ピンク色のシーグラスは見つからなかった。
私は彼がこの砂浜を訪れなくなってからも、日課のように毎日、此処に来てシーグラスを探して歩き回っていた。
割れ口が鋭く透明で、ガラスの面影を残しているものは、彼の真似をして海へと送り返した。
一人でいると、アオギリさんと話をしながら歩いている時には聞こえなかった音が耳をくすぐる。
波が引いていく音。沖でポケモンが跳ねる音。ミナモシティに住む人の喋り声。砂浜を歩く時に足元で聞こえる、少し湿ったクッキーを齧るような音。
強く砂浜を踏むと、「キュ」と高い音が鳴る時がある。それは砂が綺麗な証拠だと彼が教えてくれた。
たまに気が向けば、あの灯台から海に飛び込んで、ポケモン達に混ざって泳いだりもした。
ポケモンにダイビングをして貰えば、もっと長く潜っていられる。今までの私は、そうして海を渡り、海底を散策していた。
けれど、自分の手で水を分け、自分の足で海を蹴って進むことの心地良さを、私は知り始めていた。
海が格別好きな訳ではなかった。私が毎日のようにこの場所へとやって来ているのは、もっと別も理由だった。
けれど私は彼のように、海を好きになっていた。
そんなことを続けて数日後の、日曜の朝に、私はポケモンリーグを訪れていた。
*
「ダイゴさん、私達はこの世界のために何ができるんでしょうね」
6匹のポケモンを相手にし、満身創痍のサーナイトを労ってからボールに戻す。
私のそんな言葉に、ダイゴさんはその目を見開いて沈黙し、しかし次の瞬間、笑い始めた。
「君にそんなことを尋ねられるとは思ってもみなかったよ。
これまでだって君は、ボクなんかよりもずっと世界のために尽力してくれたじゃないか。グラードンが復活した時も、隕石が迫っていた時も」
「あれは、たまたま私が藍色の玉を譲り受けていて、たまたま私が隕石を貰っていただけですよ」
確かに彼の言う通り、私はグラードンと対峙して日照りを鎮めたり、レックウザの力を借りて隕石の衝突を食い止めたりした。
しかし、それはたまたま私が、その条件を満たしていたからであって、誰にだって造作もなくできたことであった筈なのだ。危機と対峙する勇気と覚悟さえあれば。
「トキちゃん、偶然は二度起こったりしないよ。二度あることは三度ある、とは言うけれどね。
君にはきっと、二度もそうした「偶然」を引き起こす力があるんだ」
「……そうでしょうか」
「少なくともボクはそう思っているよ。
いずれにせよ、君はまだ若いから、今すぐにすべきことを決めてしまう必要はないんじゃないかな。
しいて言うなら、これからも旅を続けるといい。君のその目で、もっと色々な世界を見るんだ。その経験は決して無駄にはならないからね」
彼のその言葉は、ストンと心地よい音を立てて私の胸に落ちていった。
少しだけ、焦っていたのかもしれない。アオギリさんが前に進み始めているように、私も留まることなく歩みを進めなければと、少しだけ慌てていたのかもしれない。
『私、アオギリさんが選んでくれた世界に相応しい人になります。』
あの約束を果たす方法を、今の私はまだ、明確に掴んではいなかった。何をすべきか、まだ見つけられていなかった。
けれど、見つからないのなら、見つからないままでもいいのかもしれない。私はまだ視野の狭い子供で、今の私が世界にできることなんて、きっとないのだろう。
だから私は、もう少しこのホウエンを旅してみようと思った。
トレーナーとして強くなるためでも、少し暴走気味の組織と対峙するためでもなく、ただ自分だけのために、もう一度、旅を楽しんでみようと思えたのだ。
「ボクもそうするつもりだ」
「え、」
「トキちゃん、お互いに頑張ろう」
差し出されたその手に私は触れた。すると、思いもよらない力で握り返された。
そこに彼の思いの強さを見た私は、大きく頷いて、指先にそっと力を込める。
*
海を歩いていた。私はいつかのように駆け出した。
柔らかな砂に足を取られそうになりながら、私は更に前へと進んだ。転ぶことも厭わなかった。一歩の躊躇ですら惜しいと感じた。
あの時はまだ確信には至らなかったけれど、今なら断言できる。私はこの人に会いたかった。
「アオギリさん!」
彼はあの時よりも素早く振り向き、飛びついた私を両腕でしっかり抱き留めた。二度も同じ手は食わない、ということだろうか。
しかしそれだけならまだしも、彼は私の腰に手を添えて、ひょいと抱え上げたのだ。
「わ、高い!高いですってアオギリさん!」
「なんだよ、怖いのか?」
「そういう訳じゃないですけど、」
ならいいじゃねえか、と彼は笑いながら砂浜を歩き始める。私を、抱えたまま。
私を抱えたところで、何も面白くなんかないと思うのだけれど。私はそう思いながら「重くありませんか?」と尋ねてみた。
「ああ、重いな。今にも腕が折れそうだ」
「え!じゃあ早く下ろしてください!アオギリさんの腕が折れたら大変です!」
手足をばたつかせて反抗してみたが、彼は笑いながらより一層手に力を込めただけだった。
冗談だよ、と小さく囁かれた私は、下ろしてもらう機会を失ってしまい、諦めの心地で海の方へと視線を向けた。
自分の足で立っている時よりも、ずっと海が広く見える。水平線は少しだけ近く、太陽の光はより眩しく感じられた。
「アオギリさんは、この目線で世界を見ているんですね」
羨ましい、と少しだけ思った。
けれど私は、彼の高い背を見上げるあの瞬間の、少しだけ首が痛むあの心地が好きだ。だからきっと、こんな景色はたまに見るくらいが丁度いいのだろう。
そんなことを考えていると、唐突に彼は私を砂浜へと下ろした。不思議に思って彼を見上げようとしたが、それは叶わなかった。何故なら彼の大きな手が降って来たからだ。
「相変わらず、生意気な口だな!」
私の頬を軽く摘まむ、その彼の後ろに日が差していて、その表情はよく見えなかった。
けれど、きっと彼は困ったように笑っている。私は見えなくてもその表情を察することができるようになっていた。つまりはそうした距離に私達はいたのだろう。
彼は私の手をやや強い力で引き、その手の平に小さな石を落とした。
「あ、ピンク色!」
丸く平たいシーグラスが淡く光っていた。相変わらず、逆光で彼の表情は解らないが、きっと得意気に笑っているのだろう。
くれるんですか?という確認よりも先に、ありがとうございます、というお礼の言葉が出てきた。
けれど彼はそんな私の言動に頓着する様子を見せずに、いつものように私の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「いい子で待っていられたご褒美だ、大事に取っとけよ」
心臓が空を飛ぶように弾んでいた。世界の色が確かに変わった。きっとこの、ピンク色をしたシーグラスのせいだ。この色にきっと染められたのだ。
私は小さく頷いてそのシーグラスを握り締めた。握り締めて、そして、名案を思い付いた。
「このシーグラス、加工してもいいですか?指輪にして、小指に嵌めたいんです」
約束を、いつでも覚えていられるように。
そう紡いだ瞬間、シーグラスが物凄い速度で取り上げられ、彼は私をまたしてもひょいと抱き上げてしまった。
またしても急激な視点の変化が訪れたことに私は戸惑う筈だった。しかしそれどころではなかった。何故なら彼の顔が不自然に日焼けしていたからだ。
「オマエ、オレの言葉が好きだとか言っていたがな。あれはオレの台詞だったんだぜ?何もかも先に取っていきやがって、生意気だな」
……更に生意気なことを言うようですが、アオギリさん。私が好きなのは、貴方の言葉だけではないんですよ。
私はそう答える代わりに、そっと彼の肩に縋り付いてみた。
擦れる互いの肌がくすぐったくて私は笑った。彼はまだ私を下ろしてくれそうにない。
2015.1.9
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