<ある母の回想・2>
フラベベが戻ってきました。わたしはおかえりなさいと告げながらその小さな頭を撫でました。楽しかった?と尋ねれば、満面の笑顔で返事が返ってきました。
フラベベはわたしのずっと前を、急かすようにふわふわと飛んでいきました。
それはミアレシティに通じるゲートの方角で、この子にとっての帰る場所は、どうやらこの花畑ではなく、あのアパルトマンの一室に、わたし達の家になっているようでした。
そうしたことを喜びながら、わたしは帰りましょうかと彼に言いました。ええと頷いた彼の手を握り直して、一歩を踏み出した途端、彼の手がふっと、離されたのです。
振り返り、どうしたのと尋ねれば、彼はいよいよ幸福そうに微笑んで、まるでわたしを眩しがっているかのように、その綺麗な青い目を細めて、そして。
「もう貴方は、私がいなくても大丈夫ですね」
そんな、とても優しい言葉を口にして。
……もしかしたらこの人は、ずっと祈り続けていたのかもしれません。
「私がいなくても、貴方が生きていかれますように」と、そうしたことをずっと、ずっと、願っていたのかもしれません。
彼と出会ってから38年、一緒に暮らし始めてから30年、彼の祈りはようやく届きました。彼の願いはようやく叶いました。
わたしは生きる力を身に付けることができています。皆さんのおかげで、そうなっています。
ですから今のわたしは、貴方がいなくても生きていかれるのかもしれません。それだけの力が今のわたしにはあるのかもしれません。
けれども「わたしが一人で生きていかれること」は「わたしがあなたと一緒にいたいと思わなくなること」と同義ではないのです。
わたしは、一人では生きていかれないからあなたに縋っていた訳ではないのです。
いいえ、あなたに縋るとかそういったこと以前の問題として、わたしは生きたいとさえ思っていなかったのですから、あなたに縋る理由など、本来なら何もなかったのです。
それでもわたしは、あなたと生きていたいと思っていました。あなたがそう言ってくださったから、あなたの願いはそのままわたしの思いになったのでした。
「でも、あなたがいなくなったら寂しいし、悲しいわ。とても」
「!」
「それではいけない?それだけでは、あなたと生きるには少し、足りない?」
いいえ、いいえ十分ですと、彼は噛み締めるように何度も相槌を打ちました。そうして彼はわたしに手を伸べて、わたしをあやすように抱き締めました。
けれどわたしには分かっていました。彼はあやしているのではない。あやされていたのです。わたしは彼に、彼をあやすことを乞われていたのです。
今この時、抱き締めているのは、包み込んでいるのは、わたしの方であったのです。
繋ぎとめていたのは果たしてどちらだったのでしょう。引き留めていたのは?愛してほしかったのは?一人では生きていかれなかったのは?
わたしであったのかもしれません。あるいは彼であったのかもしれません。もしくは互いが互いの手を引いて、互いの傍を乞うて、そうしてずっと、生きてきたのかもしれません。
わたしはそうしてようやく、彼を愛するということの本当の意味を知ったのでした。
生きるということ、生きていられるということ、それがどれ程幸いなことであったのか、ようやく知ることができたのでした。
「わたしね、外に出られるようになったら、したいと思っていたことがあるの」
何です、と彼は訪ねてくださったので、わたしは微笑みながら、いつかの言葉を歌うように告げました。
「あなたが戦っているところを見てみたいわ」
それはわたしが、まだ幼い子供だった頃に彼へと投げた願いの旋律でした。
わたしはずっと外に出ることができなかったので、彼が為すポケモンバトルというものを、これまで一度も見たことがなかったのです。
それ故に、わたしの願いはずっと叶わないままでした。彼もその願いを叶えるために、わたしを無理矢理外に連れ出すなどということはしませんでした。
けれど今なら、見られるのかもしれません。あなたが夢中になっていたものを、あなたの確かな喜びであったものを、もしかしたら、今なら。
ええ勿論ですと彼は迷うことなく頷いて、わたしの頭をそっと撫でてくれました。
わたしも同じように背伸びをして、彼の頭を撫で返そうとして、そして、気が付いたのです。
「あら、あなたの髪、銀色だったかしら?」
わたしは48歳、彼は58歳でした。彼の美しかったブロンドは、透き通る銀髪に変わり始めていました。
時が、流れていたのです。
*
……そういう訳で、わたしと彼は後日、あの子が働いているカフェに赴きました。
丁度、ローズ広場のところで、あの子が子供達にポケモンバトルを教えているところでした。
あの子はわたし達の突然の訪問にとても驚いていましたが、彼がポケットからボールを取り出し、それをあの子の方へと突き出して得意気に微笑むと、
あの子は驚きながらも同じように笑って大きく頷き、マフォクシーのコンディションを整え始めました。
ローズ広場で行われた、彼とあの子のポケモンバトルは、とても苛烈で激しいものでした。
マフォクシーの炎と、ブロスターの水とが勢いよくぶつかり、まるで魔法のように不思議な渦を描いていました。
長いバトルの末に、倒れたのはあの子のマフォクシーでした。子供達は健闘した二体のポケモンと二人のトレーナーを称えるべく、割れんばかりの拍手を送っていました。
あの子はマフォクシーに駆け寄って抱き起こし、彼はブロスターに労りの言葉をかけてボールへと戻しました。
「お父さんがこんなに強いなんて、聞いていないわ!」
悔しそうに眉根を寄せてそう叫ぶあの子は、けれどとても楽しそうでした。
また、名の知れた料理長であった彼は、各地で行われる料理コンクールの審査員として呼ばれることが多々ありました。
以前はその度に丸二日、もしくは三日ほど、家を空けるのが常であったのですが、ある頃から、その審査員としての旅に私も連れて行ってくれるようになりました。
彼はぎこちない手つきで切符を買い、更にぎこちない手つきで私の手を引きました。
切符の買い方は、どうやらあの子が教えてくれたようです。手の引き方は、……きっと誰に教わったものでもなかったのでしょう。
その旅の中で、わたしは世界の広さを徐々に知り始めていました。
ジョウト地方のエンジュシティ、シンオウ地方のトバリシティ、カントー地方のタマムシシティ、ホウエン地方のミナモシティ、イッシュ地方のヒウンシティ……。
どの町にも人やポケモンがいて、花も空も何故だかとても綺麗で、涙が出そうになりました。
世界というものはどうにも広すぎて、わたしの目では見通せないことばかりで、私の脚だけでは辿り着けないところばかりで、
わたしのできることが少しばかり増えたところで、やはりわたしは、一人では、独りでは、生きていかれないのでした。
彼は65歳の頃にレストランを退職したのですが、それからも審査員の依頼というのは度々舞い込んでくるものですから、わたし達はその度に、二人で小さな旅へと出掛けました。
彼の切符の買い方は、もうぎこちなくありません。彼もすっかり、世間というものを覚えてしまっていました。彼だってもう、一人で生きていかれるのでしょう。
それでも手は、離されないままです。
わたしの作曲は、まだ続いています。それに、最近はミアレシティにあるコンサートホールでの演奏会に、招待されるようになりました。
わたしはそこで、わたし自身が作曲したものを弾かせていただいています。
耳を突き刺すような、割れんばかりの拍手の音が、彼やあの子にではなくわたしに向けられているという事実は、なんだかどうにも、面映ゆいものです。
そうして今の、60歳になったわたしがいます。
実は今、わたし達は5人で暮らしています。わたし、彼、あの子、あの子の夫、そして「孫」の5人です。
娘は25歳の頃にとある男性をこの家へと連れてきて、以来、ずっと一緒に暮らしています。
彼は饒舌で陽気でユーモラスな、少年のような人で、彼が帰宅すると、家の中が明るい笑いに包まれます。
……といっても、多忙な彼はとても頻繁に、他地方へ「出張」していくものですから、ゆっくり落ち着いて自宅で過ごせる時間など、月に数回ある程度でした。
そういう訳で、娘は「お母さんやお父さんと一緒の方が、あたしもこの子も寂しくなくていいわ」と、ずっとこの家で暮らす意思を既に固めているのでした。
今ではわたしが掃除をして、洗濯をして、朝食を作ります。
生の野菜にも触れるようになりました。トーストを何分焼けば、綺麗な焦げ目が付くのか解るようになりました。指を包丁で切っても、その赤を恐ろしいと思わなくなりました。
昼食と夕食は彼が作ります。彼の料理は50年前も、今も、変わらず美味しいままです。
そうして静かに、時に賑やかに、わたし達は生きています。生き続けています。
娘やその夫が働いている間、「孫」はわたしと彼で面倒を見ています。とてもぎこちない子育てではありますが、それでもわたしも彼も逃げていません。もう、卑怯になどなれません。
生まれたばかりのその子を抱かせてもらったとき、昔のことを、あの子を抱き上げたときのことを思い出して、思わず泣いてしまいました。
華奢ながらも逞しく育ったあの子が、小さな命に「お母さん」と呼ばれている様はとても眩しく、そういう訳でわたしは娘のことを、誇りに思っています。
わたしは世間的に見て、良い母親では決してなかったと思います。
寧ろわたしは、30歳も年下のあの子に、わたしが負うべき「母」という役を担わせ、あんなにも小さかったあの子に何もかもをしてもらっていました。
掃除も、洗濯も、料理も、外の歩き方さえも、わたしはあの子に教えてもらっていたのです。
あの子にはとても、迷惑をかけました。苦労をかけました。わたしが母でさえなければ、しなくても済んだあらゆる苦悩を、かけてしまいました。
……だからせめてこれからは、あの子に沢山、恩返しをしたいと思っています。
けれどもあの子の頼むことといったら「一緒に買い物がしたい」とか「お菓子を作ったから一緒に食べてほしい」とか「新しい曲を聴かせてほしい」とか、そうしたことばかりです。
あの子に喜んでもらいたくて、何かをしてあげたいのに、何故だかあの子の提案するものは、わたしが楽しんでしまうものばかりです。
けれども、もうすっかりお母さんに、……「本当の」お母さんになってしまったあの子は、
それでもわたしと一緒にいるときは、まるで幼い子供のように「お母さん、また一緒に来ましょう、きっとよ!」と笑うものですから、いつだってそのような調子であるものですから、
ああ、この子はもしかしたら、本当はもっとずっと小さい頃に、こうやって母であるわたしに甘えたかったのかもしれないと、思いました。
あの子の願うことを何でも叶えてあげたい。あの子の欲しいものを何でも用意してあげたい。わたしの命が尽きるまで、あの子とあの子の大切な人を、愛してあげたい。
わたしにピアノを買ってくれた彼のように。わたしに日傘を贈ってくれたあの子のように。こんなわたしを大切に想ってくださった、彼やあの子やマリーのように。
わたしは生きています。生かされています。生かしていただいています。
皆さんのおかげで、今、此処にいられます。
2017.6.30
【30:-】(60:70)