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※この回には最終兵器に関する独自の考察、誇大解釈が含まれます。ご注意ください。

テーブルの上に置かれたエスプレッソからは、強い匂いのする湯気がふわふわと出ていました。
パキラは目を細めたまま「がんだったらしいわ」と、カロスの救世主であった筈の存在の「死因」について説明を始めました。

「脳にも、胃にも、骨にも、転移していたみたい。ギリギリまで治療していたらしいけれど、もう限界だったのでしょうね。
でも、元々体の弱い子だったとか、そういうことではなかったのよ。寧ろあの子は健康体だった。だからこんな死に方を選んだのかもしれない」

「どういうことですか?病気など、なろうとしてなれるようなものではないでしょう」

「……あの子は自ら死のうとして、この美しいカロスの地下に眠る「毒の花」に触れ続けていたの。そうすることで早すぎる死を恣意的に招いたのよ。
あの子の大好きだった人を探すために、彼女は何日も、毒の傍で……」

毒の花、とは、おそらく5年前、セキタイタウンに咲いたらしい「最終兵器」のことを言っているのでしょう。
3000年前の王が、死んだポケモンを蘇らせるために作った装置であること、その装置の稼働には、多くのポケモンの命が必要であったこと。
王はその「命を与える機械」を「命を奪う破壊兵器」へと作り変え、カロスを火の海にしたこと。その最終兵器は5年前までずっと、地下に眠り続けていたこと。
……そうした「毒の花」に関する情報を、私も当時のニュースで少なからず耳にしていました。
その「毒の花」の危険性が故に、セキタイタウンの地下に生き埋めにされたと思しき、フレア団ボスの捜索が打ち切られていたことも、知っていました。

「あの子」の大好きだった人、とは、おそらくフレア団ボスのことを指しているのでしょう。
あの少女は、プロの捜索隊でさえ救助を断念したあの穴の中へと、単身飛び込み、毒の花のすぐ近くでボスのことを探し続けていたのでしょう。
少女の死因となった「がん」という病気を、誘発してしまう程の毒。そのようなものに触れ続けても尚、その少女はフレア団のボスを見つけたかったのでしょう。
パキラの言うように、おそらくは「大好きだった」のでしょう。

「私のあの兵器の仕組みを完全に理解していた訳ではないから、これは私の考察に過ぎないのだけれど、
「命を与える」というのはおそらく、あの機械の光を浴びることにより、生き物の遺伝子が書き換えられることから来ているのだと思うわ」

「遺伝子、ですか」

「ええ。生命活動を再開させるような、永い眠りから目覚めることを可能にするような遺伝子が、おそらくポケモンの中にはあったのでしょう。
だからエネルギーを得られない不十分な状態で、あの兵器が暴発してしまえば、その光による遺伝子の書き換えは、生物にとって有害な形としてもたらされてしまうのかもしれない」

残念なことに、私はその遺伝子というものについて無学でした。
けれどもそうした情報が一般に開示されているのなら、そうした考察の一部を、これまでの私が一度や二度は耳にしたことがある筈でした。
けれども、このような考察をあまりにも饒舌に語ったのは、この女性が初めてでした。
それ程にパキラはあの「毒の花」のことを知り過ぎていました。それ程にカロスの人間は、あの事件を「なかったこと」として時の流れに溶かし過ぎていました。

「随分と詳しいですね。フレア団に属していただけのことはある」

「あら、やっぱり気が付いていたのね。私がフレア団の大幹部だったこと」

「大幹部、であることまでは知りませんでしたよ。けれども、まあそうですね。出会った頃からずっと、貴方には赤がとてもよく似合っていましたから」

そう告げれば、パキラは困ったように笑いながら「こんな時にまで芸術家ぶった物言いをしなくてもよくってよ」と、呆れたように、窘めるように告げました。

フレア団に属していたこの女性でさえ、確信することのできていないあの兵器の真実を、当時14歳であったあの少女が知り得たとはとても思えませんでした。
けれども知らないなりに、彼女もまた、あの穴の中で今も浅い呼吸を繰り返している「最終兵器」という代物が、とても危険なものであることは察していたのでしょう。
フレア団ボスの捜索が打ち切られたことが、より少女の予想を更に確固たるものとしたのかもしれません。

あの穴の中へ、何の装備もなしに入れば死ぬかもしれない。そうした恐れを、あの臆病な少女が抱いていなかった筈がありません。
それでも、少女はあの最終兵器に近寄ったのです。少女の「大好きだった人」を探すために。自らの命が焼き焦げることを厭わずに。

……けれどもそれは、死ぬかもしれないと解っていて、敢えてその花の傍に近寄ることは、一体「自殺」と何が違っているというのでしょう。
その「緩慢な自殺」と呼べそうな少女の暴挙を、何故、誰も止めることができなかったのでしょう。

「ねえ、どうしてあの子が死ななければならなかったのか、私には解らない、解りたくもない。けれど、花になったあの子はとても綺麗だったわ。
あの子は生きている限り、あの花のように美しく在ることはきっとできなかったのよ」

そうしたことを考えていた私に追い打ちをかけるかのような、あまりにも残酷な言葉をパキラは発しました。
私は自分の頬にかっと熱が集まるのを感じましたが、冷静になろうと努めました。
生きている限り、美しく在ることなどできない。それは私がこの数年間、掲げ続けてきた信念と全く逆のものだったからです。
それはパキラの、この女性自身の固有の感情であるにもかかわらず、誰にも他者の思想を否定する権利などないにもかかわらず、私はその言葉を許すことができませんでした。

「……あの少女が生きていることは間違いだったのだと、貴方は言いたいのですか?どのような状態であれ、生きていることはかけがえのないことなのでは?」

気を抜けば、すぐに責めるような口調になってしまいそうでしたが、私は自らの中に吹き荒れる激情の嵐に気付かない振りをして、ゆっくりと、言い聞かせるように問いました。
どうか否定してくれるなと、頼むから同意してほしいと、懇願するように尋ねました。
パキラは驚いたように目を見開いていましたが、長い沈黙の後で小さく息を吐きました。
どうやらパキラの「死ぬしかなかったのだ」という信念は、私にとっては吐き気を催す程におぞましいその信念は、まだ、折れてはいないようでした。

「フレア団のアジトはあの真っ赤なカフェと、セキタイタウンの地下にあったわ。地下には多くの構成員が住み込みで働いていた。子連れの幹部も、大勢いたわ。
あの爆発の日に、皆は幹部の避難指示の下に無事、逃げ出した。逃げ出せたと思っていた。……でも、一人だけ見つかっていない女の子がいるの」

私は思わず、心臓があると思しき自らの胸に手を当てました。そうでもしなければ、自らの肉の内側で脈打つその臓器が、弾け飛んでしまうように思われたからです。
それ程の衝撃でした。この女性の口から「彼女」の話を聞くことになることを、私は全く想定してませんでした。
そのときの私は、きっと酷い顔をしていたのでしょう。けれどもパキラは私の表情にも気付かず、そのまま、話を続けました。

「あの子のご両親は随分と、当時のカロスの在り方を嫌っていてね。世界を作り変えてよいものにするまで、絶対に、自分の娘を外に出すまいと必死だった。
あの子は幼い頃からずっと、同じ服、同じ髪型、同じ食事、同じ場所で過ごしていたの。外に出たことなんか、あの子が10歳になるまで一度もなかったんじゃないかしら。
同じようにカロスの汚れを嫌って、フレア団に属していた私でさえ、青ざめてしまう程の徹底した隔離育成だった。でもあの子は何も言わずに、その狭すぎる世界に甘んじていた」

「……」

「あの子を外に出してあげたいと思ったわ。汚れたカロスであったとしても、気に入らないところを多く持つこの世界でも、あの閉鎖的な場所よりはずっとマシに思えたの。
でも、できなかった。あの子は自分がどれだけおかしなところにいるのか解っていなかったの。外の世界を喜ぶには、彼女があの場所で過ごした時間はあまりにも長すぎたのよ」

異常なところで呼吸をしている人間は、自分ではその異常性に気が付かないものです。私もそう心得ていました。故にパキラの言っていることが、とてもよく解ってしまいました。
ずっと地下で過ごしてきた彼女にとっては、私達にとってありふれた「空」というものがとても異常な、恐ろしいものに見えていました。
それは、その異常なことは、紛うことなき私達の「事実」でした。

「あの子は何も欲しがらなかった。あの子は好きなものを答えられなかった。あの子は着る服を選ぶことができなかった。食べたいものを口にすることもなかった。
無垢で綺麗なあの子はあまりにも空っぽで、……今更、選択肢の溢れすぎている自由な世界に連れ出したところで、あの子は世界の広さに呼吸を奪われてしまうんじゃないかと思った」

彼女の空への恐怖はまだ、続いています。私が何度言って聞かせても、彼女は窓を開けて外を見ようとはしませんでした。
彼女にとって、外の世界というのは、太陽の光というのは、あまりにも広く、あまりにも眩しいものだったのです。
それは、彼女が地上へと出てきたところで、何も変わっていませんでした。共に生きている筈なのに、共に年を取っている筈なのに、彼女は変わりませんでした。
私は彼女の何も変えることができませんでした。変えられる筈がありませんでした。

けれどもパキラは大きすぎる思い違いをしています。彼女は息をしています。生きているのです。
確かに彼女は外を恐れていました。確かに彼女は、使うものや身に付けるものは「白」でなければ手に取ることさえできませんでした。
けれどもそれが一体何の問題になるというのです?私にはパキラの言っていることが、いよいよ解らなくなり始めていました。
心を痛める必要など、何処にあったというのでしょう。彼女はこうして生きているのに。もう何年もの間、彼女は苦しみながらも生き続けてくれているのに。

「あの子はあの場所でしか生きられなかった。外の世界でなんかやっていける筈がなかったの。
だからその空間が潰れてしまったあの時に、もう、死んでしまうしかなかったのかも……」

けれども、ああ、この女性は、彼女があの地下で死んでしまったとばかり思っているこの女は、どうしようもなくおぞましいことを言う。
まるで、彼女を生かし続けるという選択が間違っているかのような。まるで、彼女が生きていることが間違いであるかのような!

「勝手の過ぎる傲慢だ、二度とそのようなことを口にするな!」

気が付けば私は立ち上がっていました。バシャリ、と惨い音がして、エスプレッソの中身がテーブルに撒き散らかされました。
パキラは茫然と私を見上げていました。二人しかいない深夜のカフェはただ静まり返っていました。スタッフも私を制止しようとはしませんでした。
……あの時の異常な空間は、私が怒鳴り続けていることを許しているかのようでした。

そういった具合でしたので、私はコーヒーの濃い匂いを嗅ぐ度に、あの日のことを思い出してしまいます。


2017.6.25
(23:33)

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