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両親はそれからというもの、1か月に1回だけ、わたしを「世界」へ連れて行ってくれるようになりました。
組織がわたし達三人のために用意してくださっていた部屋には、月めくりのカレンダーがあり、それを捲ることがわたしの楽しみになりました。
新しい月がやって来れば、また「世界」に飛び出せるからです。また、あの男性の料理を食べることができるからです。

両親が「世界」へ出て行くのは、日が沈んでしまってからのことでした。
けれど「日」というものをまだよく分かっていなかったわたしは、この暗闇は「夜」が故のものであるのだということを、どうにも上手に納得することができずにいたのでした。
「世界」とは総じて暗いものなのだと、わたしは信じ切っていました。
この「世界」を照らす大きな大きな蛍光灯が、昼という時間帯にだけ辺りを眩しく照らすのだと、そういうことを、けれどずっと地下にいたわたしはまるで解っていなかったのでした。
わたしはそうした、とても無知な子供でした。世間知らずな子供でした。常に一人でいたわたしは、誰かに教えを乞うということがどうしてもできませんでした。
学ぶとはどういうことなのかを知らないままに、わたしは11歳になりました。わたしにとっての「世界」はまだまだ暗いままで、眩しいものといえば、彼の笑顔くらいのものでした。

レストランに入れば、わたし達はいつも同じ個室に通されました。両親はいつも同じコースの名前を口にしていました。
わたしはまだ、二人が飲んでいる「ワイン」という赤い飲み物も、胡椒の利いたパスタも、どうにも口に合いませんでした。
そういう時、わたしは決まってこう言うのです。

「ズミさんに作ってほしい」

そうすれば、彼はすぐにやって来て「何にしましょうか?」と尋ねてくれます。
わたしはリクエストをすることもあるし、彼に全て任せてしまうこともありました。
何が出て来ようとよかったのです。彼が作ってくれるもので、わたしが食べられないものなど一つもなかったからです
それ程に、少なくともわたしにとっては、彼の作る料理(彼はそれを「芸術」と呼んでいました)はとても美味しいものでした。
お食事というものが「楽しい」ものであり、料理が「美味しい」ものであることを、わたしはこのレストランで、彼の作る料理で知ったのでした。彼が、教えてくれたのでした。

アルミナさん、こんばんは。いつも私を呼んでくださりありがとうございます」

そんなことが何回か続いた頃、彼もわたしの名前を覚えてくれるようになりました。
彼にとって、わたしに料理を振る舞う時というのは、修行中の身である自分が堂々と厨房に立てる、唯一の時間だったのでしょう。
そこに「情」のようなものがなくとも、少なくともわたしと彼の間には確かな「利害関係」に似たものがありました。
わたしは彼の作る料理でないと「美味しい」と思えないし、彼もわたしに料理を作るときでないと、憧れの舞台に立つことが叶わない身であったからです。
互いが互いを必要としているように思われました。そして少なくともわたしは、この優しい笑顔を湛える男性のことが好きでした。

彼の作ってくれる料理に夢中になればなる程に、わたしは組織の地下で食べる、決まりきった食事に段々と、うんざりするようになってきました。
それまでも食事というものは決して楽しいものではありませんでしたし、変化のない単調なメニューに「美味しい」という感想など抱きようもなかったのですが、
それでも、なんとか食べることができていましたし、その時間が来ることを心底億劫だと思うようなことはありませんでした。
けれども「美味しい」ということを知ってしまったわたしにとって、「美味しくない」ことは耐え難い苦痛であるように思われたのです。
フォークを途中で置くことが増えました。一食丸々抜いてしまうこともありました。お母様は毎日のようにわたしをそっと窘めましたが、それでもわたしの食は進みませんでした。

そんなことを数か月、続けているうちに、わたしは随分と痩せてしまっていたようです。
その具合は、1か月ぶりに顔を合わせた彼に驚かれてしまう程でした。細くなったわたしの腕をそっと両手で包み、彼は狼狽えたような表情で「どうしたのです」と尋ねました。
けれどお母様が事情を説明するや否や、彼は両親も息を飲む程の剣幕で怒鳴ったのです。

「この痴れ者が!!」

これまでずっと優しかった彼の、とんでもなく険しい怒声にわたしは驚きました。
出された料理に全く手を付けないとは何事だ、とか、子供が食を怠るなど言語道断、とか、それは食材への愚弄であり、我々料理人へのプライドを蹂躙するのと同じことだ、とか、
理解できる言葉も理解できない言葉も混ぜこぜになって、凄まじい声量でわたしの頭に轟々と降ってきたのです。
驚愕、衝撃、困惑、反省、そうしたあらゆる感情がわたしの中で渦を巻いていました。ずるずるとそこへ引きずられていったわたしは、声を忘れてただ、泣きました。
わたしが泣き出したことにより、彼も冷静さを取り戻したのでしょう。顔を青ざめさせて両親に何度も頭を下げていました。

「いいえ、お気になさらないで。この子の我が儘が過ぎただけのことなんです。
……それより、またこの子に料理を作ってくださらない?貴方の作ったものをこの子が残したことは一度もありませんから」

お母様がそう告げると、彼は慌てたように立ち上がり、もう一度だけ深く頭を下げてから個室を出て行きました。
すぐにいつもの前菜を別の男性が二人分、運んできて、それからいつもより少しだけ長い時間をかけて、彼がわたしの分の料理を持って来てくれました。
サイコロのようなビーンズローフを、わたしはいつものように一つずつ口に運んで、その度に「美味しい」と口にして、泣きました。
あまりにひどく泣き過ぎてしまって、白いお皿の上にもぽたぽたと落ちてしまいました。
彼はそんなわたしに苦笑しながら、わたしの頭をそっと撫でつつ、そっと口を開きました。

「先程は失礼しました。私があまりに大きな声で怒鳴ったものだから、びっくりしてしまったのですよね」

「ごめんなさい……」

「いいえ、私も、貴方の事情を聞かずに随分と酷いことを言いました。よければ話してくださいますか?何故、貴方が食べられなくなったのか」

わたしはとても焦りました。私が「食べられなくなった」理由は、とても我が儘で下らない、それこそ「痴れ者」という怒声に相応しいものであったからです。
わたしがみっともなく泣いてしまったことに非があるのであって、彼の憤りはもっともなことであったのです。
また、怒鳴られてしまうかもしれないと思いました。けれどわたしは馬鹿正直に、本当の理由を口にしてしまったのでした。

「何を食べても美味しくないの。あなたの料理だけが美味しいから、他のものを食べることがとても苦痛で、うんざりしてしまって……」

わたしは不器用なことに、嘘を吐くということができない人間でした。嘘を吐く、という行為の必要性を、まだ、見出すことのできていない人間でした。
隠したところで、偽ったところで、わたしはわたしであり変わりようがないのだと思っていたからです。良く見せることに何の意味があるのだろうと、本気で考えていたのです。
取り繕うための嘘、優しい嘘、利己的な嘘、そうしたものを見抜くことも、吐くこともできない人間でした。故に彼に対しても、わたしのありのままを伝えてしまったのでした。

けれど彼は怒鳴りませんでした。代わりに「少しお待ちください」と告げて厨房へと消えていき、すぐに小さめのワインボトルを抱えて戻ってきました。
コルクを引き抜けば、お酒とは似ても似つかない、甘酸っぱい匂いが鼻先をくすぐりました。ドレッシングという野菜にかけるソースのようなものだと、彼は教えてくれました。

アルミナさんの好みに合うように、少し甘くしておきました。サラダが食べられないときにはこれをかけてみてください」

「あなたが作ったの?」

「ええそうですよ。このズミが作りました」

たったそれだけのことにわたしはすっかり安心してしまって、もうこのワインボトルの中身さえあれば何だって食べられるような気がしてしまって、
ぬいぐるみをプレゼントされた子供のように、そのボトルをぎゅっと抱き締めて「ありがとう!」と告げたのでした。
けれど彼が用意してくれたのは、そのドレッシングだけではありませんでした。
彼はデザートのチーズケーキを食べ終えた頃にもう一度やって来て、わたしに小さな紙袋を渡してくれたのです。
中を見れば、光沢のある包み紙にくるまれた、一口サイズの何かが沢山、入っていました。なんだろう、と首を捻りつつ手を差し入れかけたわたしを、彼は苦笑しながら窘めました。

「チョコレートが30粒、入っています。アルミナさんが三食きちんと食べることができた時にだけ、一日一粒、食べてください」

わたしは夢中で何度も頷き、何度もお礼を言いました。
1か月に一度しか会えない筈であった彼と、これから毎日、顔を合わせることが叶うような、そうした歓喜にひどく似ていました。
そうであったならどんなに素敵だろうと思いましたが、実際に会えるのは彼ではなく、彼が作ったドレッシングとチョコレートです。
それでも十分でした。それ以上など、その時のわたしには望むべくもありませんでした。

「守れそうですか?」と尋ねる彼に、わたしは大きく頷いて小指を立てました。
指切りというものをどうやら彼は知らなかったようで、約束をするときの挨拶だと説明すれば、彼はいつものように微笑んで、その大きな指をそっと差し出してくれました。
彼の指はわたしのそれよりも随分と温かいような気がしました。その時のわたしはひどく痩せていましたから、身体もすっかり冷え切っていたのかもしれません。
食べることの意味をわたしは知り始めていました。これも、やはり彼が教えてくれたことなのでした。

わたしはそれからというもの、サラダや付け合わせの温野菜にドレッシングをかけてとせがむようになりました。
そうしたことが数日も続けば、身の回りのお世話をしてくれていた方は、わたしが口に出すより先に、サラダや温野菜にドレッシングをかけて持って来てくれるようになりました。
それでも、ドレッシングをかけることのできない料理はどうにも美味しくなくて、けれどもわたしはできる限り食べようと努めていました。
理由は単純で、これを食べなければチョコレートを貰えないからなのでした。わたしはそうした、とても打算的なことを覚え始めていました。

出された料理を完食することは稀でしたが、それでもお母様はわたしの頑張りを認めてくださって、
「お父様には内緒よ、いいわね?」と囁きながら、チョコレートを一粒、わたしの手の中に落としてくれました。
そのチョコレートも、赤いサングラスをかけた子供達が食べている、ただ甘いだけのものに比べると、ずっと品があって、少しのほろ苦さもあって、とても美味しいものなのでした。

わたしにとって「世界」は、他の誰でもない、彼の形をしていました。両親がいたく嫌っていた「世界」というものを、わたしは悉く愛していました。


2017.4.6
(11:21)

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