B 秋ー2

翌日、ヒカリと、ヒカリの母と、私とで朝食を食べている時に、それはぽつりと、しかし滑らかに、まるで予め用意されていたかのように、紡がれた。

「お母さん、またお家を留守にするけれど、大丈夫?」

その言葉に私は思わず、トーストをくわえたまま顔を上げる。
ヒカリは眠そうな虚ろな目で、しかし真っ直ぐに、私を見据えた。

トウコさん、一緒に来てくれる?」

「……も、勿論!だって私がお願いしたんだから」

こうして私は、ヒカリという10才の子供を連れて、シンオウ地方を旅することになった。
シロナさんの目論見通りになっているという事実だけがどうにも釈然としなかったけれど、そんなささやかな不満は、見知らぬ土地に吹く新しい風が押し流していった。
秋の風であるとは思えないほどにそれは冷たく、寒く、痛々しくて、けれどもヒカリはそんな風にもすっかり慣れているらしく、何食わぬ顔で駆け出すのだった。
その小さな背中を追いかけながら、私は実に、わくわくしていた。

彼女は初対面の印象に違わず、とても静かで、常に物憂げな表情をする、どこか寂しそうな少女だった。
そんなヒカリとの間に会話は殆どなく、私が何かを尋ねれば、暫く間をおいてぽつりと返ってくる。そんな簡素なやり取りだけが繰り返されていた。
彼女と普通に世間話ができるようになるためには、かなりの時間を重ねなければならなかった。

ヒカリは10歳という幼さに違わず、易しい言葉だけを使い、ぽつりぽつりと声を発してくれた。
私もそんな彼女に合わせられるだけの気遣いを持ち合わせていればよかったのかもしれないが、私はそうした神経を擦り減らすことは嫌いだ。
嫌いなものは嫌いとし、拒む。私はイッシュでの旅でそれができるようになっていたのだ。
それに、ヒカリは自分の言葉に難しい言葉を使うことはしなかったが、私の言葉を理解できない訳ではないらしく、暫く時間を取ってから頷いてくれていた。

少しずつ重ねていった会話の中で、私がヒカリについて知ったこと。
母子家庭の一人っ子。せっかちな幼馴染が隣に住んでいる。パートナーはエンペルトという、水、鋼タイプ混合の珍しいポケモン。
ポケモン図鑑を貰い、旅をしている途中で、アカギという人物に出会ったらしい。

「どんな風に知り合ったの?」

「えっと、私が道に迷っちゃって……」

「ああ、旅をするのに方向音痴は致命的よね。それで助けてもらったんだ」

それから私は、ギンガ団がどういった組織だったのかを聞かせてもらった。
しかしその途中で、私が事前に調べていた前知識と、彼女から聞いた情報とが噛み合っていないことに気が付き、幾度も首を捻ることとなった。
どうにもヒカリは、ギンガ団がどういったことをして世間を騒がせていたのか、アカギがどんな目的で動いていたのかを、正しく把握できていないようだった。

「ギンガ団の人達は、私にとてもよくしてくれたよ」

一緒に昼食のサンドイッチを食べながら、彼女がぽつりと呟いた言葉に、私は思わず咳き込んでしまった。
ヒカリがジュースをテーブルに置いて「大丈夫?」と尋ねてくれる。私はそれに苦笑で返しながら、もう少し詳しく知るべく次の質問をする。

「アカギさんだけじゃなくて、ギンガ団の下っ端とも仲が良かったの?」

「うん、アジトでよく遊び相手になってくれたよ。アカギさんも、飲み物を出してくれたの。
私はコーヒーが飲めないって解ると、直ぐにコップを取り上げて、代わりにオレンジジュースを買ってきてくれたんだ」

ヒカリはストローをくわえて、僅かに微笑んだ。彼女が再び両手で抱えたグラスには、オレンジジュースが入っている。
きっとそのオレンジ色の中には、ギンガ団のアジトでの思い出が、甘酸っぱい味となって溶けているのだろう。
私はストローを強く吸い、アイスコーヒーを一気飲みした。
冷たさとカフェインで頭を冴えさせようとしたが故の行動だったのだけれど、どうにもこの状況を理解するには足りなかったらしい。

ギンガ団は「新たな宇宙を創造する」という訳の分からない思想を掲げ、その為に伝説のポケモンを利用しようとしていた。
そのために、このシンオウ地方がとても危険な目に遭っていた、らしい。
この地方を滅ぼして、新世界を作る。簡単に言えばそういうことを目的としていたのだ。そしてその新世界の頂点に立つのがアカギの目的だったという。

そうした情報から、プラズマ団に負けず劣らずの凶悪さを持った組織だという結論を私は下していた。
しかし目の前で嬉しそうに微笑む少女は、ギンガ団にそうした危険な認識は持っておらず、寧ろ仲のいい「お友達」のように捉えている。

「また、会いたいなあ」

「会えるわよ。その為にこうして探しているんだから」

「……うん、そうだよね」

寂しそうに呟くヒカリに、聞きたいことは数多くあったけれど、今は止めておくことにした。
私は残りのサンドイッチを咀嚼しながら、彼女と初めて出会った時のことを思い出していた。

きっとあの覇気のない、無気力で虚ろな目は、大勢の「お友達」と会えなくなってしまったという喪失感に暮れている目だったのだ。
しかもその友達を失わせたのは、彼女自身の選択と戦いだと気付いてしまったのだとしたら。
自分がギンガ団に歯向かった、そのせいで彼等がいなくなってしまった。そんな風に思っているのだとしたら、その絶望にも納得がいく。
きっと彼女は悔いているのだろう。そんなつもりじゃなかったのに、と、自らを静かに責めているのだろう。
その気持ちを、私は痛い程に察することができた。だからこそ、今ここで詳しいことを尋ねることができなかったのだ。
そうした記憶が複雑な痛みを伴うことを、私は知っていたからだ。

私がNと戦ったのは、彼を失うためではなかったのに。

「皆、勝手よね。何も言わずにいなくなっちゃうんだもの」

大きく伸びをしてそう呟けば、ヒカリは困ったように弱く笑いつつ、首を傾げた。

それから私達は、シンオウ地方の町を一つずつ巡った。
マサゴタウンではポケモン研究の権威であるナナカマド博士に挨拶をし、コトブキシティではポケッチという機械を貰った。
折角だからポケモンジムを制覇しようかという話になり、私はヒカリの案内の元、クロガネシティ、ハクタイシティ、ヨスガシティといった町を巡った。
それぞれのジムリーダーと戦い、順調にジムバッジを手に入れた。
見た事のないポケモンばかりで、タイプの判断が付かなかったけれど、
春と夏の旅で鍛え上げられた私のポケモン達は、タイプ相性など全く無視して火力で押し切る、とかいうことだってすんなりとやってのけてしまえたのだ。

花の町、ソノオタウンを抜けた先のハクタイの森や、ヨスガシティに向かう途中のテンガン山では、野生のポケモンが容赦なく飛び出して来た。
こちらでは珍しい、イッシュのポケモンを連れた私に興味を示すかのように、野生ポケモン達はそれはそれは熱心に私達を「歓迎」してくれた。
モンスターボールをもってきていなかったために、捕まえることはしなかったけれど、
シロナさんに貰ったシンオウ地方のポケモン図鑑をかざして、空欄を一つずつ埋めていく作業は私をこの上なくわくわくさせた。

ズイタウンという町の傍にあった遺跡では、文字を象ったポケモンが大量に現れた。
ロストタワーと呼ばれる塔は、イッシュのタワーオブヘブンに似ていた。何処の地方にも、大切な存在を喪った悲しみを悼むための場所が用意されているらしい。
トバリジム、ノモセジムでもジムリーダーと戦った。繰り出すポケモンのタイプが分からないのは相手も同じらしく、それを逆手に取った戦い方をして相手を驚かせた。

カンナギタウンに向かう途中の道には、霧が深く立ち込めていた。
再びハクタイシティに戻ってきた私達は、その足でコトブキシティまで戻り、東にあるミオシティに向かい、図書館で調べものをした後で、ジムに向かった。
私達はテンガン山を北に進んで、キッサキシティを目指したが、途中の道は雪が塞いでいた。見た事のない降雪量に私の足は思わず止まった。
けれども私よりもずっと華奢なヒカリが、何食わぬ顔でその小さな手を雪の中に差入れ、ざくざくと掻きながら進んでいくものだから、私は唖然としてしまった。
シンオウ地方に住むトレーナーにとっては、この程度の雪は障害になどならないらしい。
そしてようやく辿り着いたキッサキシティでも難なくバッジを手に入れ、次は何処へ向かえばいいのかと尋ねた私に、ヒカリはおずおずと切り出した。

「次のジムはナギサシティにあるんだけど、その前に少し行きたいところがあるの」

彼女はそう言って、紫のボールを取り出した。
それは私が春の旅で、アララギ博士から受け取った、あのボールにそっくりだった。

「!」

どんなポケモンでも必ず捕まえることのできる、最高のモンスターボール。表面に「M」と書かれているそれを、ヒカリは大雪が降りしきる空に向かって投げた。
瞬間、現れたとても大きなポケモンは、まさに「伝説」と呼ぶにふさわしい威厳を秘めていたように思う。
慌ててポケモン図鑑をかざせば「ギラティナ」と表示されて、ああこのポケモンが、と私はとても納得してしまったのだった。

「この子に乗って、トバリシティへ行こう」

何食わぬ顔でギラティナに上り始めた彼女に私は続いた。
ゼクロムが「どうして俺を出さないんだ」と不満気にボールの中で揺れているような気がして、そんな愉快な想像にクスクスと笑った。


2014.11.5

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