B 秋ー3

ヒカリに案内されてやって来たのは、トバリシティにある大きな建物だった。今は無人で、閑散としているが、此処がギンガ団のアジトだったらしい。
彼女は一歩一歩、その冷たい廊下を懐かしむように歩いた。きっと此処は、彼女にとっての思い出の場所なのだろう。
私は彼女の一方後ろを歩きながら、彼女の話に耳を傾けていた。

「ここでね、サターンさんと追いかけっこをしたの。あのソファに座って、マーズさんとジュピターさんが楽しいお話を沢山してくれた」

「初めて聞く名前だけど、そいつらは下っ端なの?」

「ううん。「幹部」っていう人なんだって」

幹部。……おそらく、プラズマ団でいうところの七賢人のようなものだろう。地位で言えば、きっとアカギというボスの次に高い筈だ。
そんな連中を、まるで近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんのことを紹介するかのように話してくれるヒカリが益々解らなくなって、私は釈然としない気持ちに襲われていた。
相槌を打ちながら考える。ギンガ団は、本当はどんな組織だったのだろう?
自分で集めていた客観的な情報と、ヒカリから聞く彼等の情報とがあまりにも噛み合わず、私は混乱していた。

「それにしても大きな組織ね。そのギンガ団の連中を、こんな小さな子が倒したなんて、人は見かけによらないなあ」

肩を竦めてそう呟けば、ヒカリは足を止め、振り返って首を傾げた。
そして紡がれた言葉は、益々私を混乱させるものだった。

「私が戦ったのはアカギさんと、他には何人かだけだよ?」

「……は?」

そんな筈はない。ギンガ団の行動を阻む存在である彼女に対して、ボスが団員を片手で数えられる程しか差し向けないなどということがある筈がない。
何かの間違いだとも思ったが、私は念のために聞き直した。

「さっき言っていた幹部達は?それに、他にも下っ端だって大勢いたでしょう?」

「いたけれど、通してくれたから」

「……戦わずに?誰もあんたを止めようとしなかったの?」

こくり、と頷いたヒカリに私は沈黙した。

若草色の髪が脳裏を掠めた。この混乱、この「わからなさ」は、私があいつと会話をしていたときのそれにひどく似ている気がした。
分からない。私にはこの少女の言っていることがまだ、分からない。
答えが出せない、という絶望に犯人を見出すべく、きっと今もサザナミタウンの別荘で寛いでいるのだろう、あの美しい女性を思った。
とんでもない子供と私を出会わせてくれたわね。そう悪態づいても、記憶の中のシロナさんは楽しそうに笑うだけであって、私は益々、苛々した。

きっとシロナさんも、この少女の憂いを取り除こうとしたのだろう。
しかし上手くいかなくて、けれど諦めきれなくて、それで同じような経験をした私にその役目を預けたのだ。
けれど、私にも解らない。全く解らない。ギンガ団の本性も、ヒカリとの間に何が起こっていたのかも、全てが理解できない。

私は半ば投げやりになって、近くのソファに飛び込んだ。
大体、あの聡明そうな美しい大人にできなかったことが、いくらヒカリよりも年上だとはいえ、若干14歳の私にできる筈がなかったのだ。

「アカギはどんな奴だったの?」

その質問に深い意図はなかった。ただ少しだけ気になって、尋ねてみただけなのだ。
ヒカリの母によれば、彼はヒカリを好いていたという。どういった経緯でそんなことになったのかを知りたかった。
するとヒカリは悲しそうに微笑んで、その口を開いた。

「ギンガ団は、新しい世界を作るために頑張っているって、私は聞いていたの。
アカギさんは団員の人達から本当に尊敬されていて、皆、アカギさんのことが大好きで、……でも、アカギさんは皆のことが嫌いだったみたい」

「……?」

「皆のことを、役に立たない、使えない連中だって。心は嫌いだから、私は誰にも心を開かないって」

その時、私の頭の中に、とある仮説が生まれた。
そんな筈がない、と思ったし、自分でもその思い付きは馬鹿馬鹿しいものだという自覚があった。
……しかし、もしそうなのだとしたら、ヒカリやギンガ団の「分からなさ」の全てに辻褄が合うような気がした。
私はさりげなく質問を投げて、その突飛な仮説の確認をすることにした。

ヒカリがアカギさんと戦ったのは、ギンガ団の目指す世界のせいで、ポケモンが苦しめられることになるって気付いたからよね」

「……そうだよ」

「じゃあ、そのためにアカギさんを追い掛けていたヒカリを、ギンガ団の下っ端や、幹部達は、少しでも邪魔したり、足止めしたりした?
……もしかして、アカギさんはこっちだよって、案内してくれたんじゃない?」

するとヒカリは目を丸くして、驚いた様子を見せた。

「どうして分かったの?ナナカマド博士や、シロナさんだって分からなかったのに」

私は満足気に頷き、ヒカリの手を取った。
一緒に何日も旅をしていれば、それなりにヒカリのことも解る。彼女はあまりに無垢で純粋で、人懐っこい、ただの子供だ。私と同じ、ただのポケモントレーナーだ。
そんな彼女が、単身でギンガ団と対峙しようとしたなんて、どう考えても不自然だ。

けれどもし、そのレールが、ヒカリではない誰かによって敷かれていたのだとしたら。誰かが、ヒカリとアカギが対立することを望んでいたのだとしたら。
そしてその「誰か」は、警察とか博士とかシロナさんとかそんなものではなく、他でもない、ギンガ団の連中であったのだとしたら。

ギンガ団も、プラズマ団と同じように、複雑で、狡くて、真っ黒の、ひどく悲しい組織だったのだとしたら!

「ねえ、私とポケモンバトルをしようよ」

「いいよ。でも、どうして?」

「ちょっと確かめたいことがあるから。言っておくけれど、私もシロナさんに勝利を収める程度には強いから、手を抜かないでよね」

きっとこれで、辻褄が合う。
後は、どうやって「アカギさん」を見つけるかだ。

きっと彼は、ゲーチスのように自ら出てきたりなどしないだろう。自ら種を明かすなどという「優しい」ことはしないだろう。
だから、暴かなければならない。彼は、ギンガ団は、暴かれなければならない。きっとそのために私は此処に来たのだ。
私なら、プラズマ団の内情を切り開くことに成功した私になら、それができる。

てっきりギラティナを先鋒として繰り出してくるかと思ったけれど、最初に出てきたのは真っ黒の、影のようなポケモンだった。
図鑑をかざすと「ダークライ」と表示される。どうやらこのポケモンも珍しい種類らしく、シンオウ地方の図鑑は彼の情報を殆ど示してくれなかった。
そのダークライ、ギラティナを含めた、彼女のポケモン達はやはり強かった。
けれども彼女の戦い方は10歳という年齢に違わず、どこか幼稚で、粗削りで、捻りのないものだった。私が、簡単に勝ててしまう程度には、彼女は弱かった。

つまりはきっと、そういうことなのだ。
この少女は本当に強い訳ではない。ギンガ団が解散させられたのは、彼女が連れているポケモンの強さによるものではない。
シロナさんもきっと、この悲しい目をした少女と本気で戦っていない。
彼女に勝利を収めてしまうのは、私のような、手加減することを知らない、優しくない人間だけだ。

この土地に、優しくない人間はいなかった。そういうことだったのだ。

「あの、ありがとうございました」

ぺこりと頭を下げる彼女に私は歩み寄り、ニット帽を被ったその小さな頭をぽんぽんと軽く叩いて、微笑んだ。

「こちらこそ、バトルしてくれてありがとう。……さあ、次の町に案内して。私も早くアカギさんに会いたいから」

「アカギさんに?どうして?」

「言いたいことができたのよ」

本当に、世の中には狡い大人ばかりだ。狡いくせに、優しいから、そんな彼等を嫌う私が悪者になるしかなかったのだ。
別に今更、そのようなことを恐れたりもしないけれど。

それから私達は、ナギサシティに向かった。
最後のジムリーダー、デンジさんに勝利した頃には日が暮れかけていて、今日はこの町のポケモンセンターで泊まることになった。

早朝、珍しく早起きをした私は、再び眠りにつくこともできずに身体をベッドの中でごろごろと持て余していた。
当然、隣のベッドではヒカリがすやすやと寝息を立てていて、廊下を開けてみても物音一つしない。
もう一度睡眠を取るには冴えすぎてしまった目を持て余し、私はヒカリが目覚めるまでの間、ナギサシティを散歩してみることにしたのだ。

もこもこのパジャマを着替え、トウヤのトレンチコートを羽織った。
荷物の大半は置いたまま、ゼクロムの入ったモンスターボールだけ持って部屋を出た。

「おはようございます。お早いですね」

「ええ、なんだか妙に目が覚めちゃったから」

24時間営業のポケモンセンターのスタッフは、眠気など全く感じさせない朗らかな笑顔で挨拶をしてくれた。流石はプロだ。
ナギサシティは海に面する町だから、海岸沿いを歩くと楽しいかもしれませんよ。
そんな紹介をしてくれたスタッフに「そうなの、ありがとう」と乱暴なお礼を告げて、私の足はその紹介に従うように、海岸へと吸い寄せられるのだった。

私の故郷、カノコタウンの周りにも海が広がっている。
しかし、南側は険しい崖が切り立っていて、西の海は海流がとても激しいため、あまり「海」に縁があるとはいえなかった。
険しい崖にぶつかる波の音と、平らな砂浜に打ち寄せる波の音は、やはりまるで違っている。
穏やかな波の音、真っ白な砂浜、そうしたものに私の心は自然と浮き立った。ソーラーパネルの歩道を軽快に蹴って、スキップするように駆け出した。
幸いにして、日は登ったばかりだ。こんな早朝に、きっと誰もいないだろう。少しくらいはしゃいでも恥ずかしくない筈だ。

「!」

しかし、その浜辺には先客が居たらしく、私の足はぴたりと止まった。
心臓が大きな音を立てていた。折角の至福の時間を邪魔された憤りによるものではない。満面の笑顔で駆け出そうとした自分を恥じて気恥ずかしくなったことによるものでもない。
彼だ、と私はその横顔だけで思い至った。雑誌の小さな写真でしか、ギンガ団のボスを見たことがなかったにもかかわらず、私は何故だかこの人であると確信できたのだった。
その確信に根拠があるとすれば、

「アカギさん」

この人がヒカリの隣に並んだなら、ヒカリはとても穏やかに笑うのだろう、という、私の心が為した身勝手な推測だけだったのだけれど。


2014.11.5

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