執筆:2020.9.27(ゲーム本編4章終了済、イベント「星に願いを」終了済、5章更新前)
※twst夢企画サイト「Bianca」様、第一回への提出作品、少し修正あり
※変身・変態の要素を含みます
<1>
どうぞお座りください監督生さん。VIPルームでお会いするのは久しぶりですね。イソギンチャク225人の解放を、との直談判、まるで昨日のことのように思い出されますよ。ふふ、それで? また面倒なことに首を突っ込んで、そのポイントカードを使わなければいけないような窮地に立たされてしまっているのですか? おっと、僕としたことが不躾でしたね。まずはお礼を。いつもご利用ありがとうございます。その三枚の切り札に従って、貴方の依頼、この僕が引き受けましょう。何をお望みです?
……は? 恋愛話が聞きたい? 僕の? 毎日悪い顔をした男共に囲まれて、綺麗な恋や愛のかたちを忘れてしまいそうだから、と? とびきり美しい、ロマンチックな恋愛話を聞いて、恋心の何たるかを思い出したい、ですって? ……ふふ、あっはは! 馬鹿ですねえ、そんなことにこの切り札を使うなんて! いえ、いえ構いませんよ。それだけ貴方が恋に本気で夢を見ていることがよく分かりました。僕を選んだのは三枚のポイントカードで逃げ場をなくすため、あるいは人魚は美しい恋をするものだという先入観が働いたから、といったところでしょう。そうですね……。
……おや、どうぞ開いていますよ。ああ、もう楽譜の書き換えが終わったんですか? 相変わらず早いですね、ありがとう。彼とのお話が終わり次第、弾いて具合を確かめてみましょうか。特別に僕の椅子をお貸ししますから……ふふ、そこに座って待っていればいいんじゃないですかね?
コホン、失礼しました監督生さん。話を戻しましょう。陸の男性の好みかどうかは分かりかねますが、該当しそうなものがひとつだけありますよ。ただし、今から僕が口にすることは此処だけの話、他言無用。お守りいただけるのであれば、特別に話して差し上げます。なんてことはありません。僕等の、犠牲と損失の話ですよ。
既にご存知だとは思いますが、僕等人魚が陸への生活に順応するためには相応の準備が必要でしてね。NRCからの招待状が届いてからというもの、僕等はその準備、もとい訓練のため、毎日のように陸へと上がっていたんです。二本の脚で歩くこと、肺だけを使って呼吸をすること、水ではなく空気を震わせて喋ったり歌ったりすること、とかく馴染みのないことばかりで最初はひどく苦戦を強いられたものでした。ジェイドやフロイドは要領がいいのですぐに覚えてしまいましたが、僕は二人より少し、ええほんの少しだけ習得に時間がかかったものですから、二人に隠れてこっそりと陸に上がり、歩く、走る、声を出す、歌う、などの練習をする機会が何度かあったんですよ。
あれは黒い馬車の迎えを一週間後に控えた夕方のことでした。特訓場所として利用していた砂浜、そこにいた一人の先客は、八本の脚を二束にまとめて人の形を作る僕の一部始終を静かに見ていました。人魚狩り、などが横行していたのは何百年も前の話で、故に人間を警戒する必要はあまりなかったのですが、当時の僕は自らの容姿がすこぶる疎ましかったものですから、……正直、姿を見られるのはいい気分ではありませんでしたね。ですがその人間、10代半ば程の女性は、変身過程の有様など歯牙にもかけず、服を羽織った僕へと笑顔のままに駆け寄ってこう呼んだんです。「何でも願いを叶えてくれる海の魔法使いさん」と。
「君の噂は陸にまで届いているよ。今の変身も魔法で? こんなにすごい人に出会えるなんて、私は運がいいね」
ええその通り、彼女は実にラッキーでした。僕のような親切で優秀な人に出会えたのですからね。
僕は人魚の姿を見られたことへの羞恥と苛立ちなどすっかり忘れ、自らの評判が陸にまで知れ渡っていることに浮き足立ち、初めて陸の人間と正式に契約を交わせるかもしれないという期待に胸を膨らませていました。……おや、おかしいですか? 僕だって陸の新一年生、初々しいと称されるに相応しい頃が確かにあったんですよ。
さて、そうは言うものの、相手を契約の場へと引きずり込む方法は、海でも陸でも変わりません。いつもの流れ、いつもの取引、何の苦労もしないと考えていました。けれど彼女の「お願い」が少し想定外だったものですから、僕は一瞬、契約書を差し出す手を止めてしまったんです。
「毎日少しずつ、私の持っているものを取り上げてくれないかな。要らないものなら捨ててくれればいいし、使えそうなら君のものにしてしまって構わないから」
「取り上げてほしい? それが貴方の願いですか?」
「そうだよ、取り上げてほしいものはちゃんと私が此処へ持ってくる。誰かから奪ってほしいとか、盗んでほしいとか、そういう荒事を頼みたい訳じゃないんだよ。ただ、私が幾つか手放していくのを一緒に見ていてほしいんだ。一人じゃちょっと、心細くて」
手に入れたい、ではなく、手放したい、という理由で僕を訪ねてきたのは彼女が初めてでした。財産となり得るものなら全て抱えておけばいいのに、陸には随分と酔狂な人がいるのですね。取り上げてほしい、と願う彼女から、依頼料として更に何かを取り上げれば過剰搾取になり、体裁が悪い。ですが僕から彼女に押し付けておきたい厄介事、というのも思いつきませんでした。等価交換が困難であるという点において、この依頼は少々厄介でした。
僕はまず、一週間後にこの海を離れる予定があるため、此処に来られるのはあと五日ほど、故に手放したいものは五日以内に全て持ってくるようにと告げました。そして、書物では学ぶことの叶わない陸の大衆文化や感性について、彼女から聞き知ることを一先ずの対価として設定したんです。会話の内容は僕にしてみれば何でもよかった。僕という「おぞましい人魚」と会話する時間を彼女に押し付ける、という形を取れさえすれば上等でした。
「君とお喋りすればいいんだよね、任せて!」
彼女は快諾し、僕が差し出したペンを細い指で握りました。陸の人間は人魚以上に能天気で、単純で、契約書にサインを書かせることは実に容易でした。これは順調な滑り出しだと、その時の僕は本気でそう思っていたのですから、ええ、笑えてしまいます。
成立した契約に満足しながら、僕は早速、彼女との「お話」に興じました。陸の人間との会話経験はそれまでにも何度かあったのですが、このようにのんびりと世間話をする機会は陸どころか、海においても滅多にないものでした。ええ、認めます。楽しかった。とても貴重な体験でした。僕のような奴との時間を押し付けられて可哀想に、などと、幼少の気質を持て余しつつやや卑屈に思いながら、これは対価なのだから醜くおぞましい人魚との会話で相手が苦しんでくれないと意味がないのだと思いながら、けれども僕の相槌、質問、海の話、その全てに楽しそうに笑う彼女の有様に……ひどく救われ、安心させられている自分がいました。
彼女がその日話したのは、陸のヘアスタイルについてでした。染髪、脱色、縮毛矯正、とかく様々な加工を施すことで、彼等は個性を演出しているようでした。波が髪を揺らす海と風が髪を巻き上げる陸とでは、好まれるヘアスタイルや髪の管理の仕方が異なるらしいということも教えてもらいました。貴方はどんな加工をしているんですかと尋ねると、彼女は笑顔で「何にも!」と答えました。潮風に吹かれる彼女の、腰まで伸びた長い髪、何の手も加えられていないその糸は、空を飛ぶ羽のようであり、暗がりに燃える炎のようでもありました。陸に挑む決意をした折に一通り、陸の美醜については頭に入れたつもりだったのですが、流石に異性、陸の女性のことについては勉強不足でして。ただ、そうした指標の全てを持たないまま、僕の目と心だけでそれを見たとき、ええ、単純に綺麗だと思いました。陽気に揺らめくその長い髪は、とても彼女に似合っていました。
だから、彼女が去り際に僕へと鋏を差し出して、今日はこれを取り上げてほしいと髪を指して告げたとき、僕は間抜けなことに、少し、ほんの少し口惜しいと思ってしまったんですよね。ただ契約ですから従わなければなりません。僕のルールに僕が背いてしまうなんて在り得ない。ですから僕はその鋏で彼女の髪を切りました。そのままでは不格好ですから、何度も鋏を入れてそれなりに見えるよう整えることも忘れませんでした。僕の髪よりも更に短くなったそれへと嬉しそうに触れた彼女は、
「ありがとう、君に願いを叶えてもらえる私はきっと一番の幸せ者だね。明日もまた、よろしく!」
などと大仰な言葉を使って笑い、髪の束を抱えて海へと戻る人魚姿の僕を、手を振りながら見送りました。彼女が僕に向ける笑顔は、僕のかたちが人であろうと人魚であろうと何も変わっていなくて、僕はたったそれだけのことにも少し、ほんの少し救われてしまったんですよね。
彼女の髪は滑らかで、真っ直ぐで、ある程度の強度があり、僅かに光沢も帯びていました。海に沈めても尚、その糸は見応えのあるものでしたが、やはりこの髪は陸の上、彼女の傍にあってこそ美しく映えるものだ、と思わずにはいられませんでした。そういう訳で、初日の契約自体はつつがなく達成できたものの、僕の心地としては……釈然としないものが残った、とせざるを得ませんでしたね。