イズルがKのために自分を作る話をかつて書いたのだけれど、他の誰がその行為を蔑もうと、他の誰がそのホログラムを別人だと嗤おうと、Kにとってそれがイズルだと信じられる要素が完璧に揃っていればKは周りの目など気にしないのだ。彼女が信じているのはイズルの存在と才能。彼が「これが僕です」と言ったなら、そう信じるに足るだけの精巧さがそこにあったなら、肉の器などなくたって構わないんだ。新世界プログラムへ行けばそんなのいくらでも再現できるもの、ね?
パーツが全て入れ替わった船でもそれは元の船だし、体も記憶も全て完璧に複製した泥人形だったとしてもそれは変わらず最愛の人だ。
だからそもそもスワンプマンやテセウスの船という名前自体が私にしてみればこう、うん、別にそんな恐れたり苦しんだりしなくてもいいじゃんね、ってなる。完璧にその人ならもうその人だよ、仕方がないよ。真実よりも愛すべきものなんて世の中にはわんさかあるよ。