自分の手でどうにかしたものは自分の意思にかかわらずいつまでも残る、呪いのように

 昨日のポケモンの素晴らしいヤツも、本日届いていたツイステ設定資料集も、その喜びの度合いはそれはもうすさまじく大きいものだったけれど、持続性という意味でいうと大してもたなかった。ポケモンのやつは何度か再生して1時間くらい味わって終わったし、設定資料集も1回だけ目を通して読んですぐ「もういいかな」ってなった。閲覧して、感動して、盛り上がって、楽しい気分になって、でもやっぱりそれで終わりなんですよね、ついったやしぶ様でお見掛けする素敵なイラストや二次創作漫画も、楽しい、美しい、感動する、けれどそれが2年も3年も心に残って私を救い続けてくれるかと言われればそういう訳ではない……。
 でもどんな駄作であれ、つまらなく低俗で笑っちゃうようなものであれ、自分で何か作ればそれは少なくとも自分の中ではとんでもない持続性で「効き続ける」んだ。ちょっと前に、サイトには上げていないけれどアズール・アーシェングロットのお話を1本だけ書いて別サイト様へ提出したんだけれどね、1万字くらいの、大したことない話だったのだけれど、それはずっとずっと頭の中に残っていてね。ポケモンのヤツもツイステ設定資料集も、私の書いたたかだか1万字なんかよりずっと素晴らしいものに違いないにもかかわらず、私の心の中に残り、私の支えとなってくれる物語はやっぱり無益で無駄でつまらない1万字なんだよ。閲覧に徹した神の如き作品よりも、自分の手で編んだ1万字の方がうるさくさわがしく私の頭には残り続けるんだよ不思議なことにね。話の続き、前日譚、別ルート、とか、そういうの、幾らでも膨らませて楽しめるしずっとずっと地続きで生き続けてくれる。たかが1万字の二次創作小説でこれだけ楽しいのだからイラストとか漫画とかアニメーションとかゲームとか音楽とか作っていらっしゃる方々の心の満たされ具合って本当にすごいだろうな。いつもいつでも思い出せて、その物語がいつもいつでもそばにいてくれるんだもんな。小説よりもずっと印象的な形で心を掴み続けてくださるのだものな。そりゃあ素晴らしいよな。特に動画とか演劇とかそういうやつだと目と耳、両方で楽しめるものを作れるんだからもうとんでもない至福だよなすげえなほんとになあ。

 だから、今の私がどんなに過去作を嫌おうと、シアもシェリーもずっと私を追いかけてくるに違いないんだ。ポケモンの製作はいつか終わるかもしれないしツイステもサービス終了するかもしれないけれど、それでも私の中では海も空も鉛も小石もきっと私が死ぬまで「いる」し、アズール・アーシェングロットに髪や服や声や体を取り上げさせて喜んでいるあの歪な犠牲を愛した女の子のことを、私はきっと海を見る度に思い出すんだ。
 何かを作ることで一番救われるのも一番呪われるのも私だ。きっとそれでいいんだろう。

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