【Dawn morning glory】
華奢な肩の覗く、Aラインのドレス、透き通った白の長いベール。水色の花飾りで彩られた長い髪。ぞっとする程に美しいその人の背が記憶にあるより高いのは、ヒールのせいか、経過した時間のせいか。遠くでカリヨンの鐘が高らかに鳴っている。二人の名前を呼ぶ声がする。随分と都合のいい光景だ、と笑いながらセイボリーは口を開く。
「あなた、そういうのが似合うんですね。覚えておきますよ、二億秒後のために」
その言葉を皮切りに夢の中の光景はガラガラと崩れていく。暗い天井を睨み上げつつ、あと六年、などと独り言ちた。けれど鐘の音だけはそのまま彼の鼓膜を叩き続けている。随分と煩いそれが鐘ではなく、スマホのコール音であることに気付くまで、少し時間が掛かった。画面に表示された妹弟子の名前に驚きつつ、時刻を確認して、更に驚く。
「ユウリ、このお馬鹿! こんな真夜中、午前三時に呼び出しなんてアリ・エーヌ! 無遠慮にも程があります、あなたらしくもない! ……まったく、何事です?」
「やあセイボリー! 今から外に出て来ない? 星がとても綺麗で……いや、天体観測の誘いではなくてね? 花が咲くところを一緒に見たいんだ。ほら、あの、朝顔だよ」
朝顔。以前、彼がテレキネシスで無理矢理開かせ、彼女にひどく叱られたあの花だ。あれ以来、綺麗に開いたあの水色を見る度に、遣る瀬無い気持ちになっていた。あの日の再演、やり直しの機会を得られるのなら、真夜中の花観測もやぶさかではなかった。あるいは彼女は、セイボリーが朝顔への後悔を引きずっていることを見抜いて、それでこのような時刻に、敢えて無作法な形での連絡を寄越してきたのかもしれなかった。
*
少々愉快な心地になりつつ、着替えを済ませて外に出る。道場の東側、朝顔の植えられた細長いプランターの前、膝を抱えて座っている彼女の隣に腰を下ろす。こんな酷い呼び出しは受けたことがない、どうかしている、ワタクシの妹弟子は随分と悪い子になったものだ……等々、彼の零すそんな文句の全てを彼女はただ聞き入れる。彼が本気で怒っているのではないと分かっているから、反論しない。穏やかにただ自分の非を認めるのみだ。そうした具合に傾聴を終えた彼女は、自らの作った「悪い見本」を誇るように笑った。右側の口角を上げてにっと得意気に形作るそれは、彼が普段作り慣れている質の悪い笑み、その鏡映しに違いなかった。
「ねえ、『連絡』の理由付けなんて、これくらい悪質なもので一向に構わないんだよ。変に躊躇ったりせず、呼びたいときに私を呼んでくれればいい。私も、そうするから!」
成る程、とセイボリーはその提案に質の悪い笑みで同意した。深夜三時にけたたましいコール音でセイボリーを叩き起こした妹弟子の口から、そのように言われること以上に強い説得などあるはずもない。さて面白くなってきた。近いうち、もっと悪質な理由を付けて、今度はこちらから真夜中に呼び出して、困らせてやらなくては。
質の悪さを誇っていよう。至極愉快に遊んでいよう。無益で無駄でつまらないことを許し合っていよう。いつか来る旅立ちの時までは、共に在ることをただ全力で楽しんでいよう。きっとそれで正解だ。ごく自然な心地でそう思えた。
そうした彼の確信を祝福するように、涼しい風が吹いた。朝顔が頷くように揺れた。
*
暗がりの中、蕾の朝顔に視線を向けつつ語らい合う。互いの将来や夢に関する少し真面目な相談事も、他の門下生に聞かれたら一生笑いのネタにされてしまいそうな滑稽な議論も、この尋常ならざる妹弟子が相手であれば、絶えることなど在り得ない。
言葉を互いに尽くし合うこと一時間、東の空が明るみ始めている。二人よりも先に日の出を感知したらしい水色の朝顔が、僅かにその蕾を開かせている。完全に開くまできっともう一時間は掛かるだろう。花の開花は実にのんびりとした、緩慢で欠伸の出るようなものだった。けれどもセイボリーはちっともうんざりしていない。彼が勢いに任せて宣言した二億秒の前には、開花と朝を待つ二時間など瞬きに等しいからだ。
「あなた、花が好きですよね。清涼湿原に咲く黄色い花も、決して踏もうとなさらない」
「そうだよ、好きになったんだ。君と一緒にいると、花がとても、とても綺麗なんだ」
こちらを見上げる目、至福を溶かした紅茶色がすっと細くなる。薄明の日差しが彼女の髪を静かに刺す。その淡い輝きはまるで夢で見たベールのよう。ああ、やはりあなただ。あれは間違いなくあなただった。ならば二億秒、待ってみせよう。あなたが咲くまで、見届けてみせよう。あなたとなら大抵のことを為せる。あなたのためなら大抵のことができる。彼は、そう思っている。彼も、そう思っている。二億秒後、本当の意味で「ただいま」「おかえり」を交わせる未来が必ず来ると、二人は本気で信じている。
「さあ、おはようセイボリー。今日は何をしようか?」
また新しい日が始まる。完全に花開いた朝顔が、二人の栄光を淡く照らしている。