憤りを抱いたところで仕方ない、と、思えてしまえるようになるんだ。
これをここ数年の間に、評論や小説からの情報としてではなく自らの実体験としていたく感ずるようになってきました。ハイティーンの頃はもっと私、怒っていた。不機嫌でした。なのに今じゃこのザマだ! 理解を乞うことさえ諦めてしまった! HAHAHAこの痴れ者が!
だから2年もの間、トウコに野望を阻まれたことを恨み続けて体もめちゃめちゃ弱っていく中で、それでもシアに対してさえ同じような、いや違うなそれ以上の憎悪、ああこうでもなかった殺意だ、殺意さえも向けられるゲーチスさんの心の強さってとんでもないんですよ。ザオボーさんとまではいかずとも確実に40は超えているはずなのにこの執着、こんなことまともにやっていたら心が壊れてしまいます。まあ実際ゲーチスさん、壊れかけていたのですけれども(ダーク「ゲーチス様はもう正気では……」)
でもよく2年も持ち堪えたなという気持ちがいたします。流石はゲーチス、としか言いようがない。
その理屈で言うとグズマさんとかアカギさんとかも怒りを抱えておくのが今後年を重ねるごとにしんどくなっていくタイプの方々だと思うんですよね。彼等にゲーチスさん程の心の強さはないと(勝手に)思っているので、普通に、丸くなっていくんじゃないかなと思っています。
フラダリさんのあれに関しては「怒りによるものではない」ので、年を重ねたところでどうにか変わるとは思えないのがまた悲しいところ。むしろ正義感みたいなものって年を重ねるごとに固着していくのでは? 融通が利かなくなってくるような気さえしています。こわいなあ。というかそもそもフラダリさんは年をとる、のか……?(木犀・Methinksルートでは確実にもにょもにょ)
そういえば「この痴れ者が!」でやさしくありませんようにのズミさんを思い出したのですけれども、第三章で50歳半ばくらいのお年になったズミさんが、キュウリの板ずりを知らない娘に対して「この痴れ者が!!」ってとんでもない剣幕で怒鳴りつけるエピソードを入れてしまっていましたね。あの激情を50超えても持っていられる、そんなすごい男性としてズミさんを書いたつもりはなかったのですが、「怒りの保存容量と人生経験の蓄積は反比例する」という仮説をもとに考えると、50超えた彼が変わらず痴れ者激昂しているのってほんますごい。なんてこった。なんというズミさんを書いてしまっているんだ私は正気か?
……あっ、でもこの連載のズミさんは50にもなって家の電球を交換する術を知らないとかいうどちゃめちゃな世間知らずアーティストとして書いていたので、人生経験がそもそも少なく、故にそうした怒りの保存容量に関しても若いころのままであったりしちゃうかもしれないですね。成る程心は若いままか、それならば仕方ないな!(?)