「実はね、君の頭にある空のボールがずっと欲しかったんだ。私の持っている紫のボールと交換してくれないかな」
セイボリーとの「特訓」にて10連勝を達成した日、いつも特訓に付き合ってくれるお礼をしたいと彼が口にしたので、私はやや食い気味にそう告げて、鞄からマスターボールを取り出した。彼はその紫の色を予想通りたいへんお気に召し、ニコニコしながらお安い御用ですと快諾してくれたのだけれど、駆け寄って来た道場のメンバーにその希少価値を説明されるや否や、「ヒャア!」といつもの悲鳴とともにそれをこちらへと突き返してきた。
顔を青ざめさせた彼曰く「そんなにも価値の高いものはエレガントに欠ける」ということであり、マスターボールではどうにも交換に応じてくれなさそうであった。彼の信条である「エレガント」とは随分と絶妙な領域にあるのだな、と妙なところに納得しつつ、私は道場の畳の上に鞄を下ろして大きく広げ、彼を納得せしめるに足るような別のボールを探した。
「でも何故、あなた、ワタクシのボールを?」
「君に浮かべてもらえているのが羨ましかったからね。私のところに来てしまえば『浮かない』のは分かっているけれど、君の所有であったという過去ごと貰えるのなら、それは私にとって大事な宝物になるんだ」
「……」
「エレガントな色のボールだからと思ってこれを選んだのだけれど、困ったな。他に紫色のボールはないんだ。何かデザインの希望はあるかな。できるだけ叶えるよ」
不自然に沈黙が下りる。私は首を捻りつつ顔を上げる。彼はにわかにその白い肌に血色を取り戻し、唇などは元気にわなないているという有様であった。端的に言えば、憤っていた。
こういうことは彼との間においては日常茶飯事なので、私はこれ以上余計な刺激を加えることなく黙っている。そうしていればいつだって数秒と経たずに彼の言葉が、いつもの勢いのある言葉が飛んでくる。
「あなたから頂けるボールなら何だって嬉しいに決まっているでしょう! 将来その中に入るワタクシの新しいエレガントさんが羨ましく思えてくる程です」
「何だって、ねえ」
随分と大きく出たものだ、と思い、クスクスと笑いながら私は空のモンスターボールを取り出し、彼の、白い手袋を嵌めた左手にそっと落とした。すると彼はにわかに慌てた様相を呈し「それは困ります」などと言いながら、こちらへと突き返そうとしてきたではないか。
ほら、何だっていい、などということがあるものか。何処でも手に入るような、価値に乏しいものを貰ったって仕方がないのだ。そういうものだろう、違うとは言わせない。綺麗なお世辞も大概にした方がいい。君にそうした喜びを演じてもらえると、演技でなく宝物にすると口にした私は後で少々、恥ずかしく辛い思いをすることになるのだから。期待はしない。下手に傷を負いたくはないからね。
私は少々得意気になった。彼にイニシアティブを取ったような気になったのだ。けれどもそれは錯覚であった。たった一瞬の夢であった。彼はいつもの大きな声で、あっという間にこの優位性を奪い取っていくのだ。
「これではワタクシのものとマ・ザールではありませんか!」
「何か不都合が?」
「あなたから頂いたものがどれか分からないのでは意味がない! ワタクシの宝物になってくださるのでればもっと主張してきていただかなくては! あ、先程のマスターボールは御免被りますけれども!」
パチン、と泡が弾けるような感覚に襲われた。そこに閉じ込めていた、羞恥とか照れとかいう感情が一気に脳髄へ溢れかえる感覚だった。それは頭蓋に染み渡り、頬まで染めていく。目元までじんとさせる。息が詰まる。さてこれはお世辞か、これも演技か? いや、そもそも彼は世辞や演技の上手にできる人間だったか? そんなことを器用にできる彼のボールを欲しいと思ったのか、私は。
そんなはずがない。
「……宝物にするのは、私の方なんだけどな?」
「ワタクシが同じように考えていないとでもお思いで?」
私の色に合わせるように、彼もその白い肌をほんの少しだけ赤くしてそう告げる。今度は私の唇が得も言われぬ感情にわななく。嬉しい、という気持ちよりも、悔しい、という気持ちの方が勝っているという自覚があった。私も彼も質が悪いのだから、彼のお墨付きであるのだから、どうしようもなかった。
私はそのままモンスターボールを受け取らず、彼のシルクハットを巡回するモンスターボールの中から、ポケモンの入っていないものを選んでひったくり、道場を飛び出した。ボールとボールの交換。私の目的は達成。問題ない、予定通りだ。この私の動揺以外は、何もかも。
「あこれ、待ちたまえユウリ!」
待たない。待って堪るか。私は扉を勢いよく閉め、自転車に乗って全速力で湿地への道を駆けた。
私の所有であったモンスターボールを見分けることができずに、精々苦しめばいいんだ!
*
DLCをクリアしたのが18日なので、明日セイボリーとバトルをすれば私も丁度10連勝を達成できますね。
(このユウリは「所有の希望」「愛着」の類を隠さず示しているので比較的良好な精神状態であると言えるでしょう、こういうのをSSでは積極的に書いていきたいな)