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モンスターボールの中で、ポケモン達はひどく衰弱していた。
よく生きていてくれた、と思いながら、フラダリは「非常食」と書かれた段ボールの中から、ポケモンフーズを取り出して彼等に与えた。
ポケモン達は驚く程によく食べ、そして疲れ果てたかのように眠ってしまった。
彼等をボールの中に戻しながら、フラダリはサーナイトに「君も食べなさい」と告げたが、サーナイトは目を伏せて首を振るばかりで、それを口にしようとはしなかった。

カエンジシやギャラドスと共に地上への道を拓き、半年ぶりに浴びる風に冬の匂いを覚えた。
閑静な「町」の様相を呈していた筈のセキタイタウンは、けれども一軒の家を残して全てが更地になっており、当時の最終兵器の凄惨さを窺い知ることができた。
ドンカラスに乗ってミアレシティへと向かえば、フラダリは呆気なく、通行人による通報を受けた。
警察へと向かうより先に、警察の方が向こうからやって来る、という有様であった。

『フレア団のボスであるフラダリが警察へ出頭』
そのニュースは瞬く間にカロス中へと広まった。カロスの住人は、そのニュースを耳にしてひどく驚いた。
しかしその驚愕は「ついにフレア団のボスが自らの罪を認めた」という事実にではなく、「この半年の間、あの穴の中で人が生きていた」という事実の方に向けられているようであった。

「貴方は一体、あの穴の中でどうやって生き延びたのですか?何故、無事だったのですか?」

「最終兵器の威力は凄まじいものでした。セキタイタウンの有様を見たでしょう。数十年経たないと、あの場所に生き物は住めませんよ」

「貴方とシェリーは死んでしまった。カロスにいる誰もがそう思っていました。
誰よりも最終兵器の近くにいた貴方がこうして生きているなんて、実際に貴方を目の前にした今となっても信じ難い」

フラダリは、自らの時が止まっていることを伏せて、それらの質問のほとんどを都合よくはぐらかした。
彼等は一様に首を傾げ、不満そうな表情を浮かべ、しかしすぐに、彼が生きているという疑問を、疑問に思っていたという事実ごと、忘れていった。

本当にフラダリがまっとうな「贖罪」を果たすなら、カロスの住人に真実を伝えるべきであったのだろう。
あの兵器の真実、あの日にあの穴の中で起こった真実、フラダリと少女の身に起きた真実。
それらを開示することで、フラダリはようやく贖罪のスタートラインに立てる筈であった。

けれどもフラダリはそうしなかった。
「生き残れたのは運がよかったからだ」「あの基地には非常用のシェルターがあり、自分はそこで害を逃れたのだ」
「非常食を食べ繋いで生きていた」「電気はポケモンに供給してもらっていた」「ずっと、あの穴から出る手段を探していて、先日ようやく出てくることができた」
そうした虚言を彼は重ね続けていた。あまりにも誠実に生き過ぎていた彼が為した、ささやかな不実を、地上の人間は誰も疑わなかった。

彼は不実を選び取った。
他でもない、あの地下にいる少女の眠りを守るためであった。

もう必要のなくなってしまった食事と睡眠を規則正しく繰り返しながら、滑稽な真似事を繰り返している間に、3年が経った。
彼に下った刑期は10年であったが、彼の素行と懲役の成績が非常に良好であったことから、満期を待たずして出てくることができそうであった。
それでも彼は「せめて5年は贖罪の期間に当てたい」と自ら交渉し、その期間、ずっと人の振りをして働くことを選んだのだった。

フラダリには、あらゆる人物からの面会の要請が入った。
かつての友人であったカロス地方のポケモン博士。同じ組織で計画を共にしていた、ポケモンリーグの四天王。あの事件によって命を失った、カロスの救世主の両親。
危うすぎる誠実、高すぎる理想、驕りすぎた使命感。そうしたものを貫き通した結果、カロスに脅威をもたらしたこの男のことを、誰もが咎め、責めた。 

フラダリはそれらの叱責、憎悪に対し、あらん限りの誠意をもって対応した。
3年という月日の中で、彼は自らの行いを、実に客観的な目で見ることができるようになっていたのだ。
自分のしたこと、神の力を手にすること、それは決して許されないことだった。
人が人の命を、美しさや理想のために奪い取ることがあってはならなかった。神の力は、そのようなことのために使われるべきではなかった。
フラダリは過ちを犯したのだ。そのためにフラダリは牢の中にいる。そのためにフラダリは「永遠の檻」の中にいる。
……勿論、フラダリが二重の檻に閉じ込められていることを、知る者は誰もいなかった。

彼は罰を完全に受け入れていた。その潔さに、人々は怒りを徐々に殺がれていった。

「初めまして、フラダリさん」

そんな中、一人だけ、フラダリに「感謝の意を示したい」として、面会に訪れた人物がいた。
今年で17になるというその少女は、深い海の目をフラダリに向けつつ、流暢なメゾソプラノで「シェリーの傍にいてくれて、ありがとうございます」と告げたのだった。

シェリーは貴方のことが大好きでした。誰よりも何よりも貴方を慕っていました。シェリーがあそこまで旅を続けて来られたのは、きっと貴方のおかげです」

「……」

「最期を貴方と同じ場所で迎えられたこと、彼女はもしかしたら喜んでいるのかもしれません。シェリーは、そういう子でしたから」

思わずフラダリは苦笑した。この少女の言っていることは正鵠を射ていたからだ。
あの場所で、フラダリと共に死ねるかもしれないと理解したとき、彼女はとても美しく微笑んでいた。あれ程に綺麗な笑みをフラダリは見たことがなかった。

「君はシェリーのことをとてもよく知っているのだね」

「いいえ、何も。何も知りません。私が彼女の苦しみを理解してあげられるような人だったら、シェリーはあの穴の中で死んだりしなかった……」

そう告げて少女は項垂れた。
ポロポロと、その大きな目から海が溢れた。青い海から溢れる涙は当然のことながら透明で、けれどもフラダリは、それが海の色をしていないことを些か疑問に思ったのだった。

フラダリはこの少女との会話の中で、幾度となく真実を告げようかどうか、迷った。
シェリーは生きている」「シェリーは時を止めているため、時の流れにいる君達のところに戻ることができない」
「わたしとシェリーはあの兵器に最も近い場所にいたため、同じ呪いを受けてしまっている」「だから君にも会おうとはしないだろう、すまない」
……そう、口にするべきだったのかもしれない。真実を伝えることが、彼女に対する誠意であったのかもしれない。
けれどもフラダリはやはり、告げることができなかった。やはりどうしても、あの少女の眠りを妨げたくなかったのだった。

少女はもう十分に走っていた。だから今は、休みたいだけ休ませてやりたかった。

「また、貴方に会いに来てもいいですか?シェリーのことを、教えてください。私の知らなかったあの子の姿を、貴方はきっと沢山、知っている筈だから」

フラダリは大きく頷いた。この健気な海のためにしてやれることがあるとすれば、それくらいのものでしかないのだろうと弁えていたからだ。

以来、少女は定期的にフラダリを訪ねるようになったのだが、それよりもずっと高い頻度で、フラダリとの面会を行い続けていた人物がいた。
他ならぬ、彼の友人であったカロスのポケモン博士であった。

「ボクと君の間には、きっと言葉が足りなかったんだ」

彼はそう告げて、フラダリと多く言葉を交わすことを望んだ。
フラダリの犯した過ち、その責任は自分にもあるのだと、彼はアクリル板を挟んだ冷たい面会室で、幾度となく自分を責めていた。
フラダリはその度に「貴方のせいではない」と「わたしが何の相談もしなかったことにこそ非があるのだ」と、「貴方はいつだって、やれるだけのことをやっていた」と、
そうやって、友人が自らの言葉によって編み出した数多の罪を、同じく言葉によって奪い去るという作業を、繰り返し行い続けていたのであった。

それはフラダリのための時間であるというよりは寧ろ、友人の、プラターヌのための作業であるように思われた。
けれども彼は、友人との面会を拒絶したことは一度もなかった。
自分が、彼の言葉に逐一否定の言葉で返すことで、彼の自責の念を奪い取ることが叶うなら、それで彼の心が少しでも救われるなら、喜んでそうしようと思ったのだ。

フラダリは寛大になることを覚え始めていた。
人の心に巣食う卑怯な心地を、彼はいつの間にか、認め、許し、もう二度と「汚らわしい」と憤ることができないような、そうした人間になってしまっていたのであった。

彼は子守歌のように、友人を肯定する文句を紡ぎ続けた。
紡いで、友人が笑顔になってくれるのを認めて、笑って、そうしてまるで生きているかのように、振舞った。

あと10年もすれば、この賢い友人は、フラダリの姿が「老いていない」ことに気付くだろう。
そうなる前に、フラダリはこの友人の前から姿を消さなければならなかった。
故にこの友人と「友人」として傍にいられるのは、あと数年程度のものだろうと、そう心得ていたのだった。

フラダリは、……誰に言われた訳でもどんな取り決めがある訳でもなかったにもかかわらず、自らの時が止まっていることを悟ったあの瞬間から、
「わたしとあの子が永遠の命を手にしていることを、誰にも知られてはいけない」と、何故だか強く、とても強く、そう思い続けてしまっていた。
「永遠の檻」という秘密は、隠されなければいけない。彼は頑なにそう信じていた。彼のその信念は、長く、本当に長く、解かれることなどなかったのだ。


2017.9.29
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