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「すごいじゃん! 勝ち組決定だね。頑張ってね、応援するよ」
「いいなあ侑香ちゃん。私も招待されたいなあ。ねえ、希望ヶ峰学園に行っても遊んでくれる?」
「十神さんに会えるかもしれないんだよね、羨ましいなあ。あ、そうだ、舞薗さんに会えたらサインを貰ってきてよ!」
「あ、狡い! じゃあ私は江ノ島さんの、お願いね」

駅のホーム、帰りの電車を待つ少し冷たい夕暮れ時に、そんな少女たちのざわめきがボクの鼓膜を震わせた。
この町ではよく見かける地元の中学校の制服に身を包んだ女の子たち、その中央で困ったように笑う、何処にでもいそうな普通の女の子。
けれども彼女は、その小さな手で希望ヶ峰学園からの手紙を大事そうに握り締めていた。来年度の入学生として、学園からの招待を受けた証だ。

にわかに興味が沸いたボクは、その子のお友達がまとめて立ち去ったところを見計らって動き出した。
彼女は近付いてくるボクにすぐ気が付いたけれど、訝しむ様子も警戒するような態度も見せずに、ただにっこりと微笑んでその場に佇み、こちらの歩みを待つばかりだった。

「盗み聞きしちゃってごめん。希望ヶ峰学園に招待されたんだよね? えっと……侑香サン、だっけ」

先程のざわめきの中で拾った名前を口にして確認を取れば、彼女は小さく頷き肯定の意を示してくれた。
ボクよりもずっと華奢な女の子。斜に構えた風でもないごく普通の佇まいしか作れない女の子。
体育会系の才能ではなさそうだし、かといって芸術のセンスがある訳でもなさそうだった。
つまりはボク如きには推し量ることの叶わない、素晴らしい才能がその中に隠されていることは明白だった。
だってそうでなければ、その招待状が彼女の手の中にあるはずがないのだから。

この子はどんな才能を持っているんだろう。どんな風にこの世界を輝かせることになるんだろう。
新しい希望の誕生に立ち会えたような喜びにボクの胸は高鳴っていた。やっぱりボクは、ツイている!

「ボクは狛枝凪斗っていうんだ。超高校級の幸運枠として、抽選に当たって招待されただけの一般人だよ。
でもキミはきっと違うんだよね? どんな素晴らしい才能を持っているの?」

夏の日差しにかざしたような、飲み込んでしまいたくなってしまう程の丸く綺麗なビー玉。
……そんなものを思わせるつぶらな目がぱちぱちと瞬きをした後にすっと細められて、三日月形に弧を描いてから、彼女、侑香さんは小さく、

「内緒」

と、女の子らしい、可愛らしいメゾソプラノで呟くだけだった。

困らせちゃったかな。そう思ってその日はすぐに別れた。
クラスの才能ある皆はすっかりボクのいなし方を覚えてしまっていて、ボクの相手をしてくれる人なんかほとんどいない。
久し振りにボクの目を真っ直ぐに見て、話を聞いてくれる人に会えて、しかもそれが希望溢れる希望ヶ峰学園の新一年生だったものだから、
ボクは随分と嬉しくなって、興奮してしまっていて、少し、彼女を怯えさせてしまっていたのかもしれないと、ほんの少し反省した。
けれども、また会えるだろうと思った。ボクは幸運だから、その再会の予感を疑うべくもなかった。

そんなボクの予感は半分当たり、半分外れた。
次の日も、また次の日も、ボク等は同じ時間帯の電車に乗り合わせた。それはボクが幸運である以上、最早当然のことであると言ってよかった。
けれどもそこで、ボクが話し掛けに行くまでもなく、彼女の方が先にボクを見つけてくれるようになったのだ。これは予想外のことで、ボクは少しだけ驚いた。
「狛枝さん」と名前を呼んで、こんにちはと告げて笑ってくれる。彼女からの言葉はそれでおしまい。あとはボクの質問にひとつふたつの単語で答えるばかり。
それでもボクは嬉しかった。この時間が、ボクの幸運だけで構成されているものではないという事実が嬉しかったのだ。

彼女はボクの話をなんでも聞いてくれた。クラスの才能ある皆が聞けば眉をひそめて嫌がるようなことだって、彼女は興味深そうに耳を傾けて、頷いてくれた。
いかに才能というものが素晴らしいかということ、キミは希望ヶ峰学園に招かれた希望として志を高く持つべきだということ、そんな演説めいた言葉さえも彼女は笑顔で聞いた。

そんな日が数日、1週間、数週間と続けば、もうボクはすっかり安心してしまっていて、
彼女にとってはボクが幸運であろうとなかろうと、希望になれようとなれまいと、そのいつもの笑顔でボクの話を聞いてくれるばかりなんじゃないかと思えてしまって、
……そういう訳だから、ボクが駅のホームで、あるいは電車の中でする話題というものは、徐々に平凡で画一的でつまらないものに変わってしまっていたのだった。
勿論、そんな話題にだって彼女は笑顔で相槌を打ち、ボクの目を見てボクの話を聞いてくれる。それでよかった。ボクはそれだけでよかった。

「ねぇ、キミには人を幸せにする才能があるよ。おかげでボクはこんなに幸せだ。
……でもね侑香サン。これ以上ボクを幸せにしちゃいけないよ。この幸せを「幸運」だと誤認したボクの才能が、代償としてキミの幸せを奪いに来るかもしれないから」

駅を待つホームの中、ボクは左手を伸ばして彼女の右手をそっと握った。ボクよりもずっと小さくて、華奢で、温かい手だった。
彼女は珍しく、ボクの方を見なかった。むしろ目を逸らすように、顔を隠すように深く深く俯いてしまって、それでもボクの手を振り払うようなことはしなかった。
ややあってからきつく握り返されて、その力の強さにボクが驚いていると、
彼女はぱっと顔を上げて、こちらを真っ直ぐに見上げて、いつものやわらかな笑顔のままに、彼女にしては随分と沢山の単語で構成された言葉を、紡いだ。

「それじゃあ私、狛枝さんの幸せを守れるような希望になりたい。狛枝さんが幸せに怯えなくてよくなるような、そうした希望になってみたい」

結論から言うと、これが、中学校の制服を着た彼女と、希望ヶ峰学園の制服を着たボクの最後の会話になった。
そしてボクが恐れていた「ボクの才能が彼女の幸せを奪いに来る」という予感は、ボクの「幸せ」が絶えたことにより杞憂に終わった。
何が起こったのかだって? そんなのは明白だ。この世界に生きる人なら誰もが知っている、あの「人類史上最低最悪の絶望的事件」が幕を開けただけの話なんだ。

「もちろん動きはしないよ。だって、ボクの手じゃないからね! だけど……いまだに腐らないんだよ……。
ねぇ、これってさ、ボクと一体になれてるってことだよね! 凄くない? ボクは最大の敵である「超高校級の絶望」を取り込むことに成功したんだよ!」

ゆらゆらというよりはぐらぐらと揺れる船の中、ボクは久し振りに、随分と久し振りに会話というものを楽しんでいた。
彼の言葉は辛辣で、つれないものばかりで、とてもではないけれどボクに対して好意的な感情を抱いているようには見えなかったけれど、
それでも律儀に、こちらの言葉にはちゃんと返事をくれるし、彼自身の思想を開示までしてくれるのだから、ボクとしては嬉しくなってしまう他にない。
やっぱりボクはツイている。大嫌いな奴の腕を持ってきた甲斐があったというものじゃないかな。
そんなことを考えていたのだけれど、薄暗い船内の対角線上、黒い髪をあまりにも長く伸ばした赤い目の彼は、何の感情も宿さない顔をこちらに向けつつ、妙なことを言った。

「ふーん、死体を漁っちゃったんですか。ツマラナイことをする人間が二人もいたんですね」

「二人?」

「あいつの死体には、左腕だけでなく右腕もありませんでした。貴方ではない別の誰かが持ち去ったんじゃないですか。
貴方と同じ発想をするツマラナイ人間のことなど思考する価値もありませんけれど、貴方なら、……いえ、今の貴方には分かりようもないことでしたね」

どういうことかな。そう尋ねようとしたけれどできなかった。頭が痛い。ぐるぐると回る。
あれあれあれと歪な笑顔で繰り返すことしかできない。彼はそんなボクを無感情かつ無表情で見つめている。
ああもう何も考えたくない。だって、ほら、ほら、心地が良いんだ、とても。

「まあ、貴方の幸せを守れなかったことに絶望した誰かが、せめて貴方の痛みを理解できるようにと為した、ツマラナイ行動であったのかもしれませんが」

波の音が聞こえる。ジャバウォック島の白い砂浜が視界に飛び込んでくる。
ようやく麻酔のような致命的な心地良さから抜け出すことができたボクの左腕、動かすこともできず感覚も拾うことも叶わないはずのその手が、
まるで遠いいつかのあの日のように、きつく握られたような気がした。

新世界プログラムから目覚めて、希望たる友達と才能溢れる仲間たちと協力して世界の復興に勤しんでいたボクは、
いつものように、数ある未来機関支部のひとつへ日向クンと一緒に向かうことになった。
目的は、多忙かつ高度な知識や技術の要求される未来機関の本部でも活躍できるような、優秀な人材の発掘だ。

……というのは人員を動かすための建前に過ぎないことを、ボクも日向クンも分かっている。
これはただの見回りであり、知らしめ、のようなものだ。
元絶望の残党でありかつ最高の問題児であったボクと、カムクライズルであった日向クン、この二人がすっかり希望を取り戻して未来を歩いている姿。
それが各地で働く未来機関の構成員の希望となれるなら、そんなものでいいのならと、ボクは渋る日向クンを引き連れてあちこちへ飛び回った。
少し、ほんの少しだけ、個人的な期待を腹の中に飼いながら、ボクは友達と一緒に、各地の未来機関を半ば観光気分で見回っていたのだった。

「狛枝さん」

幸運であるはずのボクが、1回目や2回目の派遣で「見つけられなかった」のだから、
きっともう生きてはいないのだろうと思っていて、でもこの世界じゃ仕方のないことだと言い聞かせて、そうしてすっかり諦める準備が出来ていただけに、
その19回目の派遣で「その姿」がボクの目に飛び込んできたのは、ボクにとっては驚愕を表現する言葉をいくら羅列しても足りないような、そうした衝撃的な出来事だった。

あの頃からほとんど変わっていない背丈、中学生にしては少し高めだったその身長は、けれども大人達の働く未来機関の中では随分と小さく見えた。
黒いスーツに身を包んでいる彼女を更に小さく見せているのは、不自然に先を見せていない右腕だった。
寒がりのために、手首から先をジャケットの袖へ仕舞い込んでいるのではないことくらい流石に分かる。
彼女が歩く度に、その服の肘から先がただの布としてはためいている姿が「それ」を証明していた。

この女性には右腕がない。おそらくはボクと同じ理由で、右腕がない。

ボクの痛みを理解するためという理由で、そんなツマラナイ理由で、そんなおぞましい程の幸せを感じさせる、美しく悲しい理由で、彼女の腕が、ない。

「……」

侑香サンだよね、と確認を取ることも、どうしてボクみたいな馬鹿なことをしたの、と責めることも忘れて、ボクは彼女を待った。
あの頃と同じようにボクの名前を読んでくれて、あの頃と変わらない歩幅でボクのところへ歩み寄ってくれる彼女のことを、待った。

微笑む彼女の頭を一度だけ、掌で軽くぽんと叩いてから、ボクは彼女の隣に立ち、右手で彼女の左手を握った。
昔はあんなに饒舌だったボクも、昔からただ微笑んで話を聞いてくれるだけだった彼女も、長らく言葉を発することができず沈黙していた。
ただ静かに、廊下に差し込む夕日が徐々に赤く染まっていく様を見ていた。

「ねぇ侑香サン、キミはやっぱり人を幸せにする才能があるよ。そうでなければ、ボクがこんな嬉しい思いをしているはずがないんだ」

やっと口が動くようになったのは、夕日が完全に沈み、隣から嗚咽が聞こえ始めてからのことだった。
いつかのように、ボクの右手が強く握り返された。爪が少し掌に食い込んで痛みを感じた。片手では爪を切ることもままならないのだろうなと思った。

明日も此処に来よう。彼女の爪を切りながら彼女と話をしよう。左右田クンに彼女を紹介して、ボクとお揃いのデザインの義手を作ってもらおう。
建前でしかなかったけれど、彼女をボクの働く本部へ勧誘してもいいかもしれない。そうすればもっと話ができる。ボクの話を聞いてくれる彼女の傍に、長くいられる。

未来を歩むための前のめりな議論だって、凪ぎ切ったツマラナイ世間話だって、ねぇ、キミはあの頃と同じように喜んでくれるんだろう。

「今度はボクが、キミの希望にならせて」

驚いたようにこちらを見上げる彼女、泣き腫らした目をいっぱいに見開いて真っ直ぐにボクを見てくれる彼女は、少しだけ大人びた微笑みで、彼女にしてはやや長めの言葉を紡ぐ。

「狛枝さん、分かってない。もうとっくにそうなっているのに」

2019.11.30
狛枝を信じ続けた希望溢れる親友へ

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