ゲーチスさんとアクロマさんの裁判が終わった頃から、私達の活動の拠点はプラズマフリゲートになった。
ジョインアベニューに設置する店舗の相談、各企業への交渉などは、クリスさんの力を借りて何とか進めている。
元プラズマ団員への声掛けは、トウコ先輩やNさんが主体となって行ってくれていた。おかげで殆どのプラズマ団員と連絡を取ることができていた。
プラズマフリゲートには、元プラズマ団員の皆が着々と集まり始めていた。賑やかになったこの空間を纏めているのは、3人のダークさんだ。
アブソルのダークさんが指揮を取り、アギルダーのダークさんが皆を上手く纏めている。ジュペッタのダークさんは裏方に徹しているようだった。
あの大通りに構える店舗が一つ、また一つと決定していった。
数をこなせば、難しい手続きも少しずつ自分のものとして身についていく。
「シアちゃん、日に日に頼もしくなっていくね」とクリスさんに畏れ多い評価を貰ってしまったけれど、その言葉は素直に嬉しかった。
アクロマさんはというと、なんとプラズマフリゲートの改造に取り掛かっていた。
この場所に集う元プラズマ団員の数を考えると、とてもではないが今の規模では人並みの暮らしができそうにないと判断したらしい。
壁を壊したり、上を増築したりと、彼は設計図らしきものに色々と書き込みを加えていた。
そうして呼び寄せた業者と共に、プラズマフリゲートを、新拠点に相応しいものへと作り変えていったのだ。
しかし、重量の増加に伴い、「空を飛ぶ」機能を廃止せざるを得なくなってしまったらしい。
重過ぎる船体では空は飛べない。当然のことだった。寧ろこれだけ規模を拡大して、それでも尚、船の形を保っていることが驚きに値する。
けれど、当の設計者であるアクロマさんは酷く残念がっていて、「小さめの第二機体を造って、そちらに飛行機能を移しましょう」とまで私に提案してきた。
けれどそれは、隣にいたクリスさんの「ふふ、構いませんが費用は自己負担でお願いしますね」という言葉で、彼の計画は木っ端微塵に砕かれてしまったらしい。
船を造るのにどれくらいの費用が必要であるのかを知らなかった私は、後でクリスさんに教えてもらい、絶句した。
……残念だけれど、空を飛ぶ船体は当分お預け、ということになるだろう。
そんな訳で、海を渡る機能だけになってしまったプラズマフリゲートは、しかし居住空間としてはとても快適になり、私達もその恩恵に預かっている。
仮眠室で寝泊まりするメンバーの中に、実はコトネさんとシルバーさんの姿もあった。
「こういう組織、ジョウトにも作れないかなと思って。だから、その時のために勉強をさせてね」
その言葉は私に、いつかのクリスさんの言葉を思い出させるに十分な響きを持っていた。
『社会にはそうした人のための受け皿がもっと必要だと思う。新生したプラズマ団をお手本にして、他の地方にもそうした組織を作っていきたい。それが、私の夢なの』
クリスさんの夢であったそれを、妹であるコトネさんが同じように引き継ぎ、こうして行動を起こしている。
その事実がとても尊いことであるような気がして、私は間髪入れずに頷いた。
『本当のことを言うと、シアちゃんには、プラズマ団だけで満足してほしくないんだ。
シアちゃんの持っている力を、シアちゃんの大切な人達にだけじゃなくて、もっと多くの人のために使ってほしい』
……私は、クリスさんの願った私になれているだろうか?
私を支えてくれた全ての人に、相応しい自分になれているだろうか?私は彼等の厚意に相当するだけの価値を持つ人間だろうか?
そう、自身に問いかける日々が続いていた。きっとそれに「イエス」と答えることはまだできなくて、だからこそ私はこうして走り続けるのだろうと思えた。
そして、そうやって続いていく毎日を、愛しいと微笑むだけの覚悟なら既にあったのだ。
「シア、今年はあの青いコートを着なくてもいいの?もうすぐ12月よ」
忙しい日々の中で、季節と気温の推移すら忘れそうになっていた私に、トウコ先輩がそんなことを言った。
11月も後半になると、朝や夜の風はかなり冷たい。
そういえば、去年はこの頃からダッフルコートを手放せなくなっていたような気がする。
肌を突き刺す寒気がどうしようもなく恐ろしかった1年前の冬。彼にはもう私を殺す力などないのだと、そう言い聞かせながらあの樹海を訪れ続けた日々。
あの手探りの、何をすべきか解らないまま、ただ彼を死なせたくなくて足掻いていたあの頃から、ようやく此処まで来たのだと、そう思えば胸を温かいものが満たした。
「はい、今年は大丈夫なんです」
そう告げれば、彼女は「ふうん、そうなの」と、防寒具を身に纏わない私に興味を失ったかのような口調で、それでいて何処か嬉しそうな声音で相槌を打った。
*
そんな日々の中、次々と集まる元プラズマ団員の中に、一人の少女を見つけて私は笑顔で駆け寄った。
12月を明日に控えた、寒い秋の日のことだった。
「シェリー!」と彼女の名前を呼べば、彼女はただそれだけのことに酷く驚いたような表情をした。
まさか名前を間違えて覚えていたのだろうかと私は焦ったけれど、その心配は杞憂だったようで、彼女はふわりと儚い笑顔を浮かべた。
「名前、覚えていてくれてありがとう」
ライトグレーの瞳がやわらかな歓喜に細められる。相変わらず、消えてしまいそうな程に美しい少女だった。
彼女は以前と同じ調理場に配属され、専ら団員の食事を作る手伝いをしている。
もっとも、フライパンや包丁を握るのは調理師免許を持った人物で、彼女はテーブルを拭いたり、食器を洗ったりといったことをしていた。
寡黙な少女だと聞いていたから、人と話すことが嫌いなのかとも思ったけれど、私が話しかけると、怯えたようなその顔色が少しだけやわらかくなり、嬉しそうに微笑んでくれる。
こちらの問いには流暢に答えてくれるし、彼女から話題を提供してくれることも少なくない。
どうやら寡黙であるというよりは、酷く怯えたところのある少女であるらしかった。だからこそ、一度踏み入ることのできた相手には気さくな笑顔をみせてくれるのだろう。
「シェリーはどうして、プラズマ団に入ったの?」
夕食を一緒に食べようと誘い、もう人も少なくなった9時の食堂で、私は向かいのテーブルでクリームソースのパスタを食べる少女にそう問いかけた。
彼女はクルクルと回していたフォークを止め、困ったように小さく笑ってから口を開いた。
「私のお父さんとお母さん、引っ越し族なの」
「!」
「二人の仕事場が変わる度に、私も付いていかなくちゃいけない。だから、お父さんとお母さんに奪われない居場所が欲しかったの。
私だけの場所をくれるなら、何処でもよかった。この組織がどんな目的を持っているのか、どんな活動をしているのか、何も知らないままに入ったの。おかしいでしょう?」
そう告げられた時、私は特に驚かなかった。
なんとなくではあるが、彼女は何かしたいことがあったからこの組織に属したというのではなく、寧ろこの組織に属することだけで満足しているように感じられたからだ。
でも、と付け足した彼女の言葉は、しかしその柔らかな声音に似合わす、とても正鵠を射ていて、私は思わず背筋を伸ばして食い入るように彼女の話を聞いていた。
「このプラズマ団の人達って、少しおかしいの。
ポケモンの解放を謳っているのに、自分のポケモンをとても大事にする。いつか別れなければいけないと知っている筈なのに、彼等を愛することを止められない。
ねえ、シア。ポケモンって何なのかな?」
ポケモンとは何か。
あまりにも簡潔なその問いに、しかし私は答えることができなかった。
私の右肩の傍には、当たり前のようにロトムがふわふわと浮いている。クロバットと一緒に空を飛び、ダイケンキの背に乗って海を渡る。
当然のことだった。私はその日々を守るためにあの夏、プラズマ団と対峙した筈だった。
しかし、そんな彼等のことを説明せよと問われると、どうしても答えられない。一言で表すには、彼等の存在はどうにも私にとって大きすぎた。
「私達にはポケモンの声は聞こえないのに、どうしてポケモンは人の言葉を理解するのか。皆はどうして、言葉の通じない相手であるポケモンを愛しているのか。
それを、どうしても知りたかった。だから私、もう一度此処へ戻って来たのよ」
彼女は、目的を持ってプラズマ団に属していた訳ではなかった。プラズマ団に属する中で、その目的を見つけるに至ったのだ。
けれど、ポケモンとの関わりを殆ど持たない彼女が、そうしてポケモンのことを真剣に考えている様子は、私の目に酷くアンバランスなものとして映った。
だから私は、そんな提案をしたのだと思う。
「シェリー、ポケモントレーナーになってみない?」
ライトグレーの目を見開き、あまりの驚きに固まってしまった彼女に託すポケモンはもう、決まっていた。
*
カレンダーが最終ページとなり、12月の寒い風が、ばっさりと切り揃えたセミロングの髪を撫でつける朝。
昨日の提案を現実のものとするため、私はヒオウギシティの実家から、とあるポケモンの入ったモンスターボールを持ってプラズマフリゲートに向かっていた。
クロバットに下降を指示し、甲板に飛び降りれば、船尾に続くドアを乱暴に開けてダークさんが飛び出してきた。
顔の大半を覆う黒いマスクがあるにもかかわらず、彼が慌てていることがすぐに解ってしまう程の、おおよそダークさんらしくないその態度に私も驚く。
黙って私の方へと音もなく駆け寄った彼は、そのマスクを大きく下へとずらし、私に笑みを見せてこう告げた。
「ゲーチス様を迎えに行くぞ。お前なら、あのお方の行き先が解るだろう?」
その目に宿った強い光に私は息を飲み、しかし直ぐに彼の言葉を咀嚼しようと努めた。
忙しすぎて彼の判決が下される日を忘れていた、とか、数か月前に彼の行き先を突き止められなかった私に、それを尋ねるのはお門違いなのではないか、とか、
ああ、だからダークさんはこんなにも嬉しそうに、それでいて少しだけ得意気に微笑んでいるのだ、とか、クリスさんのあの言葉はやはり本当だったのだ、とか。
そうした思いを一頻り巡らせた後で、私は大きく頷いた。
「ジャイアントホールに一番近い浜辺へ向かってください」
今度こそ、この予測は当たっている。
2015.8.26