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「やあ、久し振りだね、シアちゃん」

「こんにちは、ダイゴさん。お時間を作ってくれてありがとうございます」

「構わないよ、どうせ石を磨くか石を探すかくらいのことしかしていないからね」

いつかと全く同じやり取りを交わして、私は勧められたソファへと腰掛けた。
此処は、ホウエン地方のカナズミシティにある、デボンコーポレーションの本社だ。デボンはホウエン随一の大企業であり、私でもその存在は旅に出る前から知っていた。
私やトウコ先輩は、その社長の息子であるダイゴさんと、去年、イッシュのポケモンワールドトーナメントで知り合って以来、何度か顔を合わせていたのだ。

『ボクは石にしか興味のない、ただの男だよ』
かつて私にそう告げた彼は、しかし物事を見抜く力に長けていた。
トウコ先輩は『あいつは石にしか興味がない奴だから、プラズマ団なんか絶対に知らないわ。ボスの名前なんて聞いたこともないんじゃないかしら』と言っていたが、
ダイゴさんはゲーチスさんのことも、彼がどんなことをしようとしていたのかも、知っていた。それでいて、何も知らない振りをして、彼の療養を認めてくれた。
彼はそうした、慧眼と寛容さを併せ持った、あまりにも大きな人間だったのだ。私はそんなダイゴさんのことを密かに尊敬していた。

「……それにしても、まさか君がクリスさんと知り合いだったとはね」

「私は寧ろ、ダイゴさんとクリスさんが知り合いだったことに驚きましたよ」

「カントー地方に石を探しに行った時に、顔を合わせたんだ。ポケモンバトルをしたけれど、全く歯が立たなかったよ。ボクの知る限り、彼女は最強のトレーナーだね」

ホウエン地方のチャンピオンであるダイゴさんから「最強のトレーナー」という言葉が出たことに私は驚いてしまった。
クリスさんも、ポケモントレーナーだったのだ。今は成人して仕事に専念しているけれど、その実力は凄まじいものであったのだろう。
天は二物を与えず、なんて言葉があるけれど、あれは嘘だ。クリスさんはあまりにも多くの物を持ちすぎているように思えた。

私は、何度紡いできたか解らない程に口にしてきた、私の夢物語をもう一度繰り返した。
彼は全く驚いた様子を見せることなく、笑顔で私の話に最後まで相槌を打ってくれた。

「いつか、君がこうしたことのために動き出す気がしていたよ」

まるで私の行動を読んでいたかのように、彼はそんなことを言ったのだ。
けれど、そのことについて私も驚かなかった。この人は、そうした物事の流れを見抜く力に長けているような気がしていたからだ。
かつて、ゲーチスさんに寄り添う理由を問われ、ありのままをこの人に話したことがあった。あの時だって、彼は私の建前と本音を見抜いていたのだ。
今回だって、それを同じことをしてみせただけのことだったのだろう。

「弁護士である彼女の能力は、ボクも評価している。そんな彼女が斡旋した組織だ。かつ、君が指揮を取っているとなれば、拒否する理由は何処にもない。
ボクにはまだ会社を動かす権限はないけれど、最高の返事ができるよう、父に話してみるよ。……それとも、今から直接会ってみるかい?」

「え、いいんですか?」

「勿論だよ。少し待っていてくれないか、今、上に連絡を、」

「その必要はないさ、全て聞いていたからね」

階段の方から突如として聞こえてきたその声に、私は驚いて肩をびくりと跳ねあがらせた。
愉快な笑い声と共に姿を現した、その銀髪の男性には、確かにダイゴさんの面影があった。どうやらこの人がダイゴさんの父親、つまりはこの会社の社長であるらしい。
心の準備をしないままに、社長を合わせることとなってしまい、私は緊張の余り言葉が上手く出て来なかった。慌てて彼に向き直り、頭を下げた。

「は、はじめまして。シアといいます」

「そんなに緊張しないでくれたまえ。確かに私は社長だが、それ以前に君と同じ、一人の人間なのだよ」

その言葉に私は少しだけ安心して、溜め息を吐いた。
こんなにも大きな会社を束ねる長ということで、かなり硬派な性格の人物を想像していたが、とても社交的で陽気な話し方に心が軽くなった。

「さて、君の話は私の心にズシンと響いた。私としても、君のような小さな起業者に力を貸してあげたい。
だが、君が踏み入ろうとしているのはビジネスの世界だ。こちらに協力を求めるのなら、君も何か、こちらに利益となるものを差し出す覚悟を持たなければいけないよ」

柔らかな言い方の中に込められた、厳しい言葉に私は息を飲んだ。
そうだ、慈悲だけで生きていける程、世の中は甘くない。世界は、そんな優しいものばかりで構成されている訳では決してない。
けれど、ただのポケモントレーナーである私に、何ができるのだろう?ホウエン随一の大企業、デボンの社長に、私が差し出せるものはあるのだろうか?
言葉を失い、考え込んだ私に、彼は肩を竦めて得意気に笑ってみせた。

「そこで、だ。君に一つ頼みたいことがある。聞いてくれるかな?」

「え……?」

「君にしかできないことだ。……おっと、ダイゴは席を外してくれないか。これは神聖な取引の場なのでね」

何処か含みのある笑いを浮かべる彼に、ダイゴさんは苦笑しながら席を立った。
「それじゃあシアちゃん、ボクは外で待っているから」と告げ、彼は秋空の下へと歩みを進めた。
社長はダイゴさんが座っていたソファに腰掛け、私の方へと身を乗り出し、悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべた。

「君はシルフの社長令嬢と親しいそうだね」

思わぬところでシルフカンパニーの名前が出てきたこともさることながら、今日、初対面である筈の彼が、私の友達のことを知っているという点にも驚きを隠せなかった。
どうして、そのことを知っているのだろう。その疑問が私の顔にも現れていたようで、彼は「別に君の元にスパイを送り込んだ訳ではないよ」と苦笑した。

「つい先日、向こうの社長と話をする機会があってね。身体の弱い娘に友達が出来たことを話してくれたんだ。イッシュリーグの元チャンピオン、とは君のことだろう?」

はい、と頷きながら、私はその友達を思って少しだけおかしな気持ちになった。
確かに私は、シルフカンパニーの社長の子供であるあの子と、半年前に友達になった。2週間に1度くらいの頻度で、今も文通をしている。
私がイッシュリーグのチャンピオンに勝利した点にも、間違いはない。

けれど、彼女が「身体の弱い」子であるかと問われれば、「否」だ。彼女は彼女の両親が思っているよりもずっと健康的で、活発な子だ。
それは他でもない彼女が、両親を欺くために吐き続けた嘘の産物に他ならない。
だからこそ、今この場で私がその嘘について言及することは許されなかった。それは私と彼女との間に交わされた秘密の約束だった。

「デボンはシルフと、折り合いこそ悪くないものの、特にこれといった取引関係にあるわけでもない。双方、荒波を立てずに様子見をしているところだったんだ。
だが私としては、シルフとは協力してこれからのホウエン、カントーをより良いものにしていきたいと思っている。……もう、言いたいことは解ったかね?」

……つまり、新生したプラズマ団に、デボンとシルフの橋渡しをしてほしいということなのだろう。
あまりにも大きな任務を課せられてしまったけれど、私としては、それを断る理由などなかった。どのみち、シルフカンパニーにも協力を仰ぐ予定だったのだ。
けれど少し、ほんの少しだけ引っかかることがあって、私は彼にとても失礼な言葉を投げていた。

「二つの企業の橋渡しをしてほしい、それは解りました。でも、理由は本当にそれだけですか?」

「……ほう、どういうことだね?」

「私はそうした取引に関して全くの素人です。こんな私に任せるより、貴方やダイゴさんが取り組んだ方が確実です。それなのに、貴方は私を仲介役に選んだ。
大事な取引先への橋渡しをする人間が、私でなければならないと貴方は言いましたよね。でもその理由を、私はまだ聞いていません」

私はつい先程まで、この人に抱いていた恐れを完全に忘れて、彼の目を真っ直ぐに見据えた。
この、決して美しくない世界で強く生きるためには、人の建前と本音を見抜かなければいけない。物事の嘘と本質を見分けなければならない。
『嘘か真実か、見抜くんだ。君が大切な人を守りたいと思うのなら』
この人の息子であるダイゴさんが、私にくれたあの言葉は、私の奥深くに根付いていた。だからこそ、私はこの社長の違和感に気付くことができたのだろう。

彼は呆気に取られたようにその目を見開いて沈黙し、しかし次の瞬間、声を上げて笑い始めた。

「いや、参ったな。君の慧眼には恐れ入ったよ。私の息子にも見習わせたいくらいだ」

「……いいえ、私はダイゴさんから、物事の建前と本音を見抜くことの大切さを教わったんです」

そう告げれば、彼は数秒の沈黙の後に、あまりにも穏やかに笑ったのだ。
そこには息子への慈愛の眼差しが含まれているような気がして、温かい気持ちになった。

そして彼が私に耳打ちした「本当の理由」に、私は思わず吹き出してしまうことになる。
確かに、それは私でなければできないことだった。けれど同時に、私の力でどうにかなるような問題ではないような気がしていた。
私には、人の出会いを生み出すことはできるかもしれないが、それから先のことは第三者が介入できる事柄ではないと思っていたからだ。
勿論、そんなことは彼にだって解っているのだろう。解っている、その上で私に頼んでいるのだ。だから私は、父としての頼みであるその申し出を受け入れた。

「できる限りのことをしてみます」

「ありがとう。……言うまでもないことだと思うが、ダイゴやお友達には内密に頼むよ。これは私と君だけの秘密だ」

解っていますと頷いて、私は彼の手を取った。あまりにも強い力で握り返された手に、胸の奥から熱い何かが込み上げて来たような気がして、微笑んだ。
こうして私は、デボンコーポレーションの社長と取引を交わしたのだ。

2015.7.26

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