あれから、私はイッシュ各地に散らばったプラズマ団員と連絡を取り始めた。
今も医師として働く彼の協力で、元プラズマ団員である彼等が何処にいるのか、おおよその目星がつくようになった。
その大半は、先日のギアステーションや、ヒウンシティの路地裏などで暮らしていて、私は彼等に食べ物の差し入れをしながら、話を聞いてもらうといったことを繰り返していた。
また、私はホドモエシティにも向かい、ロットさんが率いる元プラズマ団員の皆とも連絡を取った。
彼等が過去に奪ったポケモンのトレーナーを探す活動は今も続いていて、私はその活動にも協力することを約束し、彼等にも話を聞いてもらった。
元プラズマ団として小さな組織を作っていた彼等に、かつてのメンバーが集う新しい組織を造り上げるという夢物語は、予想以上にすんなりと受け入れられた。
その「夢物語」が、夢ではなくなるかもしれない。そんな希望が少しずつ見えてきていた。
そうして数日がたった頃、コトネさんの家に、お姉さんであるクリスさんが戻って来た。
*
彼女は、トウコさんやNさん、3人のダークさんやアクロマさん、更にはコトネさんやシルバーさんをも集めて、私と立てた計画の話をしてくれた。
彼女の言葉は私の話よりもずっと簡潔で、要領を得ていて、それでいて、何処か説得力のある響きを持っていた。
『大丈夫、シアちゃんの真摯な言葉は必ず彼等に届くから』
あの時、彼女は私にそう言って勇気づけてくれたけれど、今の彼女の言葉を聞けば、どちらがそうした言葉の力に長けているのかは明白だった。
彼女の方がずっと、私なんかよりも力強く、この計画を語って聞かせることができただろう。
そう思いながら、しかし同時に、彼等への話は私でしかできないことなのだと解っていた。プラズマ団員を知る私でなければ届かせられない思いなのだと知っていた。
それでも、あまりにも完璧すぎる彼女の話に、私はすっかり聞き惚れてしまっていた。きっとこの人には、どう足掻いても敵わないのだろう。
そうして全ての話を聞き終えた後に口を開いたのは、トウコ先輩だった。
けれどそれは、私に対する呆れを示す言葉ではなく、クリスさんへのもっともな質問だったのだ。
「……クリスさん、だったわね。どうして初対面だったシアにそんな夢物語を持ちかけたの?
正直、こんな欲張りな子に手を貸す人間なんか、いないと思っていたの。だからちょっとだけ訝しいのよ。何か裏があるんじゃないかってね」
「ふふ、そうだね。そう思われても仕方ないね」
彼女は自分が疑われていることへの嫌悪感を微塵も見せず、いつものようにふわふわとした笑みを浮かべてみせた。
そのあまりの毒気の無さに彼女は少しだけ怯んだ。
あまりにも奔放でマイペースな空気を持ったこの女性には、きっと誰も敵わないのだろうと思わせるだけの雰囲気があった。
「私も昔、シアちゃんと同じことを思っていたから」
「シアと、同じこと?」
「この世界には、一人の力じゃどうにもならないことが多すぎる。コトネだって、トウコちゃんだって、そんな風に思ったことがあるんじゃないかな。
でも私は大人になった。諦めることを覚えたの。だってそうしなきゃ生きていけないもの。苦しさと悔しさで押し潰されそうになるんだもの。
そうやって、狡く生きることばかりが上手くなっていった」
狡く生きること、という言葉と同じタイミングで、トウコ先輩の息を飲むことが聞こえた気がした。
『その結果、イッシュ中が氷漬けになろうが知ったことじゃない。私は私とNの世界が守られていればそれでいい』
狡い大人を拒み、世界を閉じた彼女に、クリスさんの言葉はどう響いたのだろう。
「でも、だからこそ、シアちゃんの「諦めたくない」っていう真っ直ぐな思いが、どうしようもなく眩しかったんだよ。あまりにも真っ直ぐで、羨ましいなって思ったんだよ。
だからシアちゃんの願いに、私の思いを乗せたの。これは私の、自分勝手な我が儘なのよ」
その言葉に私は強烈な既視感を抱いた。
『この子供はワタクシのものです。ワタクシが手に入れた人間です。圧倒的な恐怖と力とにより手懐け、ワタクシの忠実な僕としました』
アダンさんと対峙した時の彼の言葉を、私は思い出していた。あの時の彼はそんな文句で、私から重い荷物をいとも容易く奪い取った。
あの時の、ゲーチスさんが放ったあの言葉。彼女が紡ぐメゾソプラノの響きはそれに酷く似ている気がした。
全ては私がしたいことで、私の我が儘なのだと、彼女は私から重荷を引き取り微笑むのだ。その姿に彼を重ねたとして、それは仕方のないことだったのかもしれない。
「きっと、私のようなことを考えている人は、他にも大勢いると思うの。だから、私はシアちゃんの願いをもっと多くの人に届けたい。もっと多くの人に協力を求めたい」
「……シアの思いが、世界を変えられるっていうの?」
「プラズマ団を解散に追い込んだその力と、ポケモンと一緒に居たいと強く願ったその意志があれば、それは決して不可能なことじゃないと思うから」
その言葉は文脈上、間違いなく私を指すものである筈だった。
けれど、ポケモンと一緒に居たいという思いでプラズマ団と対峙し、その組織を解散に追い込んだのは、私だけではなかった。
プラズマ団がもっと強大な力を持っていた頃、トウコ先輩は私よりもずっと大きな力と意志をもって、彼等と対峙し、プラズマ団を解散に追い込んだのだ。
クリスさんは私ではなく、トウコ先輩に視線を合わせて穏やかに紡いだ。その視線が意図的なものだったのか、私には知ることはできなかったのだけれど。
「……私は、シアやクリスさんが考える広い世界のことなんかどうだっていい。
解散に追い込まれたプラズマ団員が路頭に迷おうと、ゲーチスが必要以上の刑期を課せられようと知ったことじゃない。私は私とNの世界が守られていればそれでいい」
長い沈黙の末に、彼女が弾き出した言葉は拒否の温度を持っていた。
トウコ先輩の過去と、その性格を考えれば、それは当然のことであるような気がしていた。解っていた。解っていたけれど、少しだけ寂しかった。
……けれど、次に紡がれたとんでもない言葉に、私は息を飲むこととなる。
「だから、Nがシアやクリスさんの立てた夢物語にどうしても関わりたいって言うのなら、私もこの件に干渉せざるを得ないわね」
その言葉に、隣に座っていたNさんが小さく笑った。
彼女は不機嫌そうにNさんの長髪を引っ張ったけれど、直ぐにクリスさんに向き直り「大体のことは解ったわ。……で、私は何をすればいいの?」と尋ねてくれたのだ。
彼女がクリスさんに懐疑の意を示したのは、彼女自身の思いによるものではなく、私を守るために為したことであったのだ。
私が、あまりにも出来過ぎた話に騙されていないか、クリスさんに利用されていないかを確かめるための質問だったのだ。
「……シア、トウコを悪く思わないでほしい。カノジョは、キミのためにできることをするという覚悟をもってこの場に臨んでいたんだよ」
Nさんが小さな声でそう耳打ちしたけれど、私は笑顔で「知っています」と返してみせた。
『だから先輩として、できる限りのことをしてあげる。アクロマのためでも、ゲーチスのためでもない。私の大切な後輩のためよ』
彼女のあの時の言葉を、私は覚えていたからだ。
トウコ先輩は、私とは違って、とても謙虚な人間だった。何も求めない。欲張らない。
その代わり、拒絶する。自らが守ろうとしている、彼女とNさんの世界を脅かす存在に対して、彼女は容赦なく牙をむく。
そんな彼女が、世界を閉じ、自らの居場所の安寧を守ることだけに専念してきた筈の彼女が、「私の大切な後輩のため」と紡いだその尊さを、私は正しく理解していた。
だからこそ、トウコ先輩は私の「先輩」なのだ。私があらん限りの感謝と尊敬の念を向けるべき相手で、きっと、それを示すには私のどんな言葉でも足りないのだろう。
「ありがとうございます、トウコ先輩」
「あはは、いいのよ。欲張りで不器用なあんたに付き合ってみるのも、楽しそうだわ」
そう言って、本当に楽しそうに笑ってくれたから、私も抱えていた不安を手放して頷くことができた。
そうして、暫くトウコ先輩と話をしていたクリスさんは、私の方へと向き直り、次にするべきことを教えてくれた。
「シアちゃんがこの何日かで見つけてくれた、元プラズマ団の人達へのコンタクトは、トウコちゃんとアクロマさんに引き継いでもらうことにしたの。
プラズマ団が奪ったポケモンのトレーナーを探す活動には、Nさんが支援してくれる。
その間に、シアちゃんはホウエン地方とカントー地方に行って、ダイゴさんと、お友達の女の子に今回の話をしてきてね」
「は、はい!」
「デボンとシルフは、新生したプラズマ団の所謂「取引先」になるの。この二つと関係を持てるかどうかで、新しい組織が生き続けられるかどうかが決まる。
大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、それくらい、会社のブランドって物凄く大きな意味を持つの。大事な仕事だけど、できるかな?」
不安は、それ以上の気概が掻き消していった。だって、やるしかない。私の夢物語はもう、私だけのものではなくなっていたのだから。
私は、その夢物語に付き合ってくれた皆の願いを背負っているのだから。
唇を硬く引き結んで頷いた私の頭を、クリスさんは笑いながら優しく撫でた。
「ふふ、そんなに気負わなくても大丈夫。シアちゃんの真摯な言葉は必ず彼等に届くから」
私には勿体ないその言葉を、今は信じてみたかった。届くのだと確信していたかった。
やるべきことが山のようにあって、私の肩にのしかかった責任の大きさに眩暈がしそうだったけれど、それでも私は躊躇わなかった。
何をすべきか、ずっと迷っていたのだ。何もできないまま、あれから1年が経っていたのだ。
ようやく、私のすべきことが見つかったのだ。どうして足を止めることができただろう。
2015.7.26