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久し振りにやって来たイッシュの土地、最初に降り立つ場所として私はライモンシティを選んだ。これはクリスさんのアドバイスでもあった。
ライモンシティにはギアステーションがある。あの場所にはイッシュの各地から様々な人が訪れるため、情報収集の場としてはかなり重宝するらしい。
また、あの場所は地下にある。雨に濡れない公共の場所には、住処を失った人間が集いやすいらしい。
そのせいで深夜の治安はあまりよくないけれど、今回のような人を探すには適しているのだとか。

イッシュに一度も来たことがないという彼女が、イッシュの地図だけで人の流れや治安を予測してみせたことに、私はただ驚くしかなかった。
彼女の目は、頭は、どうなっているのだろう。その空色の澄んだ目が映す世界は、私の見ているそれとは全く異なるものであるのかもしれない。
13歳の私には、彼女のそうした予測が、未来予知か何かのように思えたのだ。

そして彼女の推測通り、夕方のギアステーションには、あまりにも多くの人が波を作っていた。所謂、帰宅ラッシュというものだろう。
私はその人の流れに逆らうようにして、少しずつ奥へと進んでいった。やがて人通りの少ない駅のホームに出ると、床に座り込んでいる人を何人か見かけた。
終電に乗り過ごすような時間ではないにもかかわらず、そこに腰を下ろして動かない人間。彼等が此処で夜を越すつもりなのだと、推測することは難しくなかった。
クリスさんの予測は当たっていたのだと、私はあの不思議な女性を益々尊敬するに至った。

「ギアステーションの中って、こんな風になっていたんだ……」

この駅では、ポケモントレーナーがバトルを楽しむための施設がある。
私は専ら、ホドモエのポケモンワールドトーナメントに呼ばれていたため、この場所を訪れることは滅多になかったが、その施設を目的に通い詰める人間も少なくない。
イッシュ各地から、あらゆるポケモントレーナーがこのギアステーションに集う。人の多様性という点に関して、このギアステーションという場はあまりにも突出していた。
そうしたあらゆる職種、あらゆる年齢の人に話を伺うことで、効率のいい情報の収集ができる。これも彼女のアドバイスだった。

何はともあれ動かないことには始まらない。早速聞き込みを開始しようと、私は駅のホームに座っていた男性に歩み寄ろうとした。
しかし、予想もしていなかった方向から、私の名前が呼ばれたのだ。

「もしかして、シアさんですか?」

驚きに硬直した私に、一人の男性が駆け寄って来た。
清掃員の服装をしたその男性は、私の顔をじっと見つめた後で「ああ、やっぱりそうだ」とその眉を少し下げて微笑んだ。
その覚えのある表情に、私もようやく思い出す。旅の途中で出会い、あのプラズマ団にスパイとして紛れ込んでいた、白服の元プラズマ団員さんだ。

「お久しぶりです。ホドモエシティと、プラズマフリゲートでお話ししましたよね」

「ああ、覚えていてくれたんですね」

『駄目だ……。N様が悲しむ。そんなことはできない……!』
『N様は過ちに気付かれ、自分の道を自分で決めて進まれたのに、それを裏切りと言うんですよ』
純粋にポケモンのことを想い、元は同じ組織であった彼等の行動を止めるために動いていたその真摯な姿は、私の目に強烈な印象を持って焼き付いていた。
最初に出会えたのがこの人でよかったと思える程には、私はこの人と多くの会話を重ねていたのだ。

「どうして私だと分かったんですか?髪を隠していたから、見つからないと思っていたのに」

「あはは、そりゃあ分かりますよ、シアさん。貴方が本当に姿を隠したいと思うなら、何よりも先ずサングラスをかけるべきだ」

サングラス、という言葉に私は首を傾げる。……私、そんなに目つきが悪かったのかしら。
不安そうな顔をした私に、彼は首を振って微笑んだ。

「違いますよ、悪い意味じゃありません。貴方の目がとても綺麗だから、見る人が見れば目だけで貴方だと分かるんですよ。……それはさておき、どうして此処へ?」

「あ、えっと、貴方を探していたんです。少し、お時間を頂けますか?」

その言葉に彼はとても驚いたようだったけれど、私の目を暫く覗き込むように見つめた後で、快く頷いてくれた。
駅のベンチに座り、私は鞄からおいしい水を取り出して彼に渡した。
ありがとうございます、というお礼と共に開けられたボトルの水は、物凄いスピードで彼の喉を通り過ぎていった。どうやら、かなり喉が渇いていたらしい。

聞けば、彼は此処で清掃員の仕事をしながら、ホドモエシティのあの家で、トレーナーの見つからないポケモンの世話をしているらしい。
生活は決して楽ではないが、自分にはまだ仕事があるからマシだ、と彼は悲しい顔で語った。
黒服の団員の中には、職も住まいも失い、このギアステーションのホームで暮らしている人間がかなりの数に上るという。

一度は同じ組織に属していた人間が、行き場を失くして此処に集まってくる。そんな彼等の姿を、この場所で清掃員を務める彼は毎日のように目にしている。
元々、ポケモンのことを心から思い遣ることのできる、優しい人だ。彼がそんな元プラズマ団員たちの姿に心を痛めていることは明白だった。

シアさんが責任を感じることじゃありませんよ。元々、非合法なやり方で社会に無理矢理居座っていたような、横暴な組織でした。居場所を奪われて当然です」

彼は目を細めてそう紡いだ。
勿論、プラズマ団のやり方は正しくはなかった。彼等の行動や思想は、あまりにもこの社会の秩序に反し過ぎていた。
けれど、それでも、あの場所は彼等の居場所だった。非合法な組織だったかもしれないけれど、その間違ったやり方に救われていた人間も確かに居た。
彼の悲しそうな横顔を見ていられなくなって、私は思わず口を開いていた。

「……プラズマ団がもし、非合法、じゃない団体として復活したら」

「え……?」

「もし、このギアステーションで寝泊まりしている人達のための居場所ができたら、そこに皆が戻ってくることができたとしたら、貴方は、プラズマ団に戻りますか?」

長い沈黙が降りた。人並みが奏でる靴音が、地下のホームに木霊していた。彼はもうその顔に驚愕の色を携えて私を見ていた。
……解っている。夢物語だと、非現実的なことを言っているのだと、解っている。それでも、私の意志を伝えておきたかった。
私はそうした場所を作りたいのだと、そのために貴方の力が必要なのだと。

「会いたい人がいると、言っていましたね」

その言葉に私は息を飲んだ。彼の言葉が何を指しているのか、私にはよく解っていた。
『会いたい人がいるんです。その人のことが、大好きなんです』
プラズマ団にポケモンを奪われた訳でもない、故郷を氷漬けにされたわけでもない。そんな私が彼等と対峙していることが、この男性には不思議だったらしい。
どうしてプラズマ団と戦っているんですか?という質問をはぐらかすように、私はそんな言葉を告げたのだ。
プラズマフリゲートの床を駆ける私の靴音。ワープパネルに足を踏み入れた瞬間の、身体が宙に浮くような不思議な感覚。それらを私は今でもはっきりと覚えていた。

「貴方は、その人のためにそんなことを?」

「いいえ」

私は首を振って困ったように笑った。私は誰かのために、こんな非現実的な夢物語を叶えようと走り回れる程、出来た人間ではないのだ。
アクロマさんのためではない。ゲーチスさんのためでもきっとない。他の人はそのように思うのかもしれないけれど、少なくとも私はそうした献身的な思いで動いてはいない。
私がこの不条理な世界を許せないだけ。そんな世界を少しだけ変えられるかもしれないと、夢を見て、思い上がっているだけ。ただ、それだけ。

「私のためです。私がこの世界を好きでいるために、この世界の不条理に抗いたい。それだけなんです。全て欲張りな私の我が儘です。
だから、私が私の我が儘を叶えるために必死になったとして、私にできる全てのことをしようと決めていたとして、それはだって、当然のことですよね」

彼の見開かれた目に、彼を真っ直ぐに見上げる私が映っていた。
『大丈夫、シアちゃんの真摯な言葉は必ず彼等に届くから』
私はクリスさんの言葉を思い出していた。そして、どうかと祈っていた。
この優しい人にすら届けることができなければ、とてもではないが、元プラズマ団員の皆を集めることなどできやしない。
最初にこの人に出会うことができたのは幸運だった。だってこれくらいで根を上げていては理不尽を覆せない。
私は今、理不尽に試されているのだとさえ思えた。だからこそ、屈するものかと気丈に彼を見据えることができた。

「……貴方は、俺達の罪悪感を奪い取るのがとても上手ですね。あの時も、今も」

あの人に当て嵌まりそうな言葉で彼は私を修飾し、その唇に小さく弧を描いた。

「いいですよ、俺の願いを貴方の我が儘に託します。そういう人、きっと沢山、待っていますよ」

差し出された手を、私はあまりにも強い力で握った。握ってようやく、彼の言葉が現実性を帯びて私の心に迫ってきた。
私の拙い思いが届いたのだと、認めた瞬間、思わず泣きそうになったけれど、もう片方の手を強く握り締めることで耐えた。

『貴方は、俺達の罪悪感を奪い取るのがとても上手ですね』
あの人を修飾する文句であった筈のそんな言葉が、私を表すものになっていた。その事実は私の心臓を拙く揺らしたけれど、その感情の正体に辿り着くことはできなかった。
私の重い荷物を奪い取ることが得意だった、あの人を思い出して私は笑った。握られた手をそっと離せば、小さな、けれど確かな音が聞こえた。

2015.7.20

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