28

私はトウコ先輩の目を盗んで、ジュペッタのダークさんと話を交わすことを続けていた。
彼はとても寡黙な人間だった。聞かれたこと以外は、滅多に言葉を紡ぐことがない。
一日に数分あるかないかのその機会を生かすには、私がどれだけ沢山の質問を重ねられるかにかかっていた。だから私は尋ねたいことを毎日、メモ用紙に纏めていた。

私はいつ、何処で、アクロマさんと出会ったんですか?
彼は、何をしている人ですか?彼は何歳ですか?
私は彼とポケモンバトルをしたことがありますか?彼はどんなポケモンを連れていましたか?
私達はどうやって親しくなったんですか?

それらの質問に、彼は沈黙を貫くことなく流暢に、知らないことについては正直に「知らない」と答えてくれた。
この人は、嘘を吐かない。トウコ先輩が私に嘘を重ねる時のような、コトネさんやシルバーさん、Nさんが私を気遣う時のような「違和感」が、彼には無かった。
だから私は、それらの言葉を鵜呑みにした。彼がくれる情報を、私はそのまま私の記憶へと埋め込んだ。

「出会ったのは確か、去年の夏、7月の終わり頃だ。そこには我々も居合わせていたから、よく覚えている」

「何処で出会ったんですか?」

「あいつが研究をしている施設だ。お前はそこに堂々と侵入してきた」

……そんな不作法なことをしていたなんて。私は過去の自分を恥じた。
私がその施設に侵入し、彼の部屋へと入ったその時、彼はとても大事な仕事をしていたらしい。
そこへ無断で侵入した私を追い出そうと、ポケモンバトルを繰り広げたのだとか。

「お前は3体のポケモンしか連れていなかった。それに対してあいつは6体のポケモンを連れていた。力の差は歴然だと思われていたが、お前はあいつの手持ちを退けた」

「……お仕事の邪魔をしてしまって、本当にごめんなさい」

ジュペッタのダークさんがその様子を事細かに知っているということは、少なくとも、彼は「アクロマさん」と同じ仕事場で働いていたのだろう。
彼の仕事場に私が乗り込み、迷惑を掛けたということは即ち、ジュペッタのダークさんにも迷惑を掛けたということだ。
そう結論付けての謝罪だったのだが、何故かダークさんはその色素の薄い目を見開いて沈黙し、その直後、肩を震わせて笑い始めた。

「ど、どうしたんですか?」

寡黙で無表情な彼が笑っているところを今まで見たことがなかった私は驚き、しかし今の私の言葉におかしな点が見つからずに困惑する。
彼は「すまない」と謝りながら肩の震えを落ち着かせ、小さな溜め息を吐いてから楽しそうにこんなことを告げた。

「お前が全てを思い出した時が恐ろしい、と思ったんだ」

「私、そんなにいけないことをやったんですか?」

「ああ。しかし気にしなくていい。それを責める人間は、この世に只の一人もいないのだから」

そんなことがあるのだろうか、と私は益々驚いて首を傾げる。
普通、大事な仕事をしている会社の部屋に一般のポケモントレーナー、しかも子供が不法侵入したら激昂してしかるべきだ。
それなのにそんな不道徳な侵入が「許されている」という事実にどうしても納得がいかず、沈黙する。
その不法侵入が許された可能性について、私は真剣に考え込んだ。
私がここ一年半の間に知り合った人物の中に、その会社の社長さんがいたのかしら。私の侵入は、その社長さんによって許可されたものだったのかしら。

「もしかして、その会社の偉い方と私は、知り合いだったんですか?」

「……ああ、確かに知り合いだと言っていたな」

その人の名前を尋ねたが、彼は「重役一人一人の名前など覚えていない」と、私の質問に答えてくれることはなかった。
不思議な「アクロマさん」との出会いの一幕について、私がまだ納得のいかないままに考え込んでいると、彼は次の質問に答えてくれた。

「お前とあいつがどうやって親しくなったのか、という質問だが、……どう説明すればいいのだろう。
上手くまとめることができないのだが、お前が毎日のように、あいつのところへ通っていたんだ。最初、あいつはお前の訪問を疎ましがっていた」

……私はいよいよ目眩がした。
この私が、それなりに社会でのマナーを弁えていた筈のこの私が、その不法侵入を一度ならず毎日のように繰り返していたというのか。
この一年半の中で、私の倫理観やマナーは何処かへすっ飛んでしまったとでもいうのだろうか。

私は何故、「アクロマさん」の元へと足を運んだのだろう。私はどうして、疎ましがられながらも彼の元へ通うことを止めなかったのだろう。
コミュニケーションを拒まれたのなら、一歩引くべきだ。存在自体を拒まれたのなら、大人しく去るべきだ。少なくとも、今の私はそう思っている。
しかし、過去の私はそうしなかった。そうできないだけの理由が、「アクロマさん」の傍から去りたくなかった理由があったのだろうか。
それをジュペッタのダークさんに尋ねるのはお門違いであるような気がして私は口を閉じた。そんな理由があるとして、しかしその理由は私しか知らないものである筈だったからだ。

「あいつはその頃、体調を崩して自宅で療養していた。お前はそこへ毎日のように通っていた」

「え、……ということは、私は「アクロマさん」の自宅にまで不法侵入を……?」

「いや、そうではない。家の者が迎え入れていたから、不法侵入ではないだろう。あいつがお前の訪問を許していたかどうかは定かではないが」

思わず苦笑しながら、私は次々と新しく入ってくる「アクロマさん」の情報を整理しようと努めていた。
彼は体調を崩して会社を休み、自宅で療養していた。そこに私が「お見舞い」と称して毎日のように訪れていたのだろう。
……迷惑な人間だ。迷惑極まりない。私は居たたまれなくなって俯いた。ジュペッタのダークさんはそんな私を不思議そうに見ていた。彼の隣でジュペッタがケタケタと笑った。
私はいつからそんな不作法と無遠慮な振る舞いを平気でする人間になってしまったのかしら。
そんな迷惑な私の存在を、「アクロマさん」も疎ましがっていた筈なのに。

落ち込んでいた私を励ますように、ダークさんは小さく笑ってから次の言葉を続けた。
そしてその内容は、私にとって信じられないようなものだったのだ。

「だが、あいつは少しずつ、お前の訪問を待つようになった」

「私を、待っていた……?」

「お前の存在を疎ましがっていたのは最初だけだ。あいつはいつも、お前を待っていた」

嘘だ、と私は思った。疎ましがっていた人間の訪問を、どうして待つようになったのか、今の私には皆目見当もつかなかったのだ。
私が、「アクロマさん」にとってとても有益な何かをしたのだろうか。私はそう尋ねたが、彼は「そうではない」と紡いで私からふいと視線を逸らした。

「いや、それはあいつにしか解らないな。あいつが何故、お前を待つようになったのか、俺には正確なところは解らない。
だが敢えて言うならば、お前は最初から「何か」をしていた。あのお方は、」

そう言ってから、彼は驚いたように一呼吸置いてから再び口を開く。

「……あいつはずっと、お前から「何か」を受け取っていた。その「何か」の正体は、お前とあいつしか解らないことなのだろう」

私が差し出したというそれは一体「何」だったのか。
ジュペッタのダークさんはそれを「私かあいつしか解らないことだ」と言った。そしてこの場に「アクロマさん」はいない。そして私には、その記憶がない。
故にその正体に辿り着くことはできなかった。その方法もなかったし、私は何も思い出せないままだった。

では、疎ましがっていた私という人物の存在が、「アクロマさん」の中で、どのように変化したのかという点については、どうだろうか。
しかし、やはり今の私には、その疑問にも結論を出すことはできそうになかった。その心情の変化を、今の私は推し量ることがどうしてもできなかったのだ。
それは一年半前の私が知らなかった感情で、そうした感情があるという事実を、私は「誰か」に教わった筈だった。

「……」

夏の焦げたアスファルト。震える足。頬をぽろぽろと伝う涙。肩に触れられた白い手。『大丈夫ですよ』と私に囁くテノール。
あれは、誰だったのだろう。

しかし私はその思索に耽ることはしなかった。代わりに軽く肩を竦めて微笑んでみせた。
ダークさんが咄嗟に言い直した「失言」の追求を、少しだけしてみようと思ったのだ。

「ジュペッタのダークさん。もしかして貴方にとって「アクロマさん」は、上司だったんじゃないですか? だって、そうじゃなければ「あのお方」なんて、言わないもの」

「……」

「私も相当な無礼を働いたみたいですけれど、ダークさんも人のことは言えませんね。自分の上司を「あいつ」だなんて」

ジュペッタのダークさんはバツの悪そうな顔をしてから、クスクスと笑う私の頭を、左手で乱暴に撫でた。
この人の優しさは誰かに似ている気がした。

2015.2.21

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