21

私の行動は迅速だった。シアの肩を掴んでいるダークに飛び蹴りを食らわせてから、その上に馬乗りになる。
流石のダークトリニティも、この私の奇行は予想していなかったらしく、目を見開いて驚いていた。
その透明感のある長い白髪をぐいと掴み、私は低い声で言葉を紡いだ。

シアは右肩を怪我しているの。不用意に触らないでくれるかしら」

「あの、トウコ先輩。この人達は……」

シアは恐る恐るといった風にそう尋ねた。3人はその言葉に驚き、沈黙する。
彼女は怯えた目をしていたが、無理もないことだ。彼等を知っている人間ならともかく、この黒一色に身を包んだ猫背の3人組を見れば誰もが訝しみ、警戒するだろう。
私は「先に家に戻っていて。後で説明するから」と告げて、シアを半ば強引にコトネの家へと戻らせた。
怪訝そうな顔をするダークトリニティに、私はさて、何から話したらいいものかと悩むことになる。
しかし私の言葉を、全てその場にいたもう一人の人間が代弁してくれた。

シアは3日前、二人が出頭した日にちょっとした事故に遭ったんだ。その衝撃で、過去一年半分の記憶を失っている」

「そんなことが……」

彼等は皆、一様に驚いた顔をして立ち尽くした。
シアがダークトリニティと出会ったのは少なくとも、彼女が旅に出てからである筈だ。その時に出会った彼等の記憶がないのは当然と言えるだろう。
少しずつ思い出しているから大丈夫だ、と私は付け足し、心の中で自分を嘲笑った。
変なの。本当は思い出してほしくない筈なのに。思い出さないようにと、プラズマ団やアクロマ、ゲーチスのことは全て伏せて伝えていた筈なのに。
どうして彼等には「思い出すから」なんて気休めで励ますようなことを言っているのだろう。
それはきっと、この3人の中に私と同じ気持ちを見たからだ。彼等もまた、シアのことを案じて此処までやって来たのだと、容易に察することができたからだ。
私は立ち上がり、後ろの家を指差して笑った。

「続きは中で話しましょう。私の友達の家だから、拒まれはしないわよ」

コトネとシルバーの適応力が恐ろしい。
突然現れた忍者みたいな奴ら3人を相手に「じゃあ、ご飯は3人分多めに作らないとね」「材料を買ってくる」と笑顔で交わした二人は相当の凄腕だ。
今日は野菜のコロッケにするね、と笑った彼女の懐の深さに感謝しつつ、しかしその笑顔の下で物凄い勢いで頭を回転させていることを知っている。

いくら見た目が怪しい奴らでも、ダークトリニティは此処にいる私達の敵ではない。
彼女は瞬時にそれを判断したのだ。そういうことができる彼女だからこそ、頼ったのだ。

シアは2階へと避難させておいた。コトネが彼女についてくれているらしい。
私もNもダークトリニティも、交換しておきたい情報は山ほどあった。どれから尋ねればいいかしら、と悩み、取り敢えず最も無難なものから聞いてみることにした。

「あんた達は、どうして此処に?」

「それはこちらの台詞だ。シアだけならともかく、お前やN様までいなくなっているとは思わなかった」

あからさまに疲労を見せるダークに私は苦笑した。聞けば彼等はあの日から、イッシュとホウエンを隅々まで回ったらしい。
3日で二つの地方を回った彼等の身体能力はやはり恐ろしいものがあった。彼等がマスコミなら、私達はもうとっくに見つかっていただろう。

そんなことを思っていると、Nがお茶の入った湯呑みを三つ、丸いお盆にのせて持ってきた。
見様見真似で入れたのだろう。すぐさま私は次の手を予測し、口に含もうとしたダークの一人に制止の一声を放つ。

「待って、」

「っい……!」

遅かった。沸騰直後のお湯を注いだらしく、彼は小さく悲鳴をあげた。彼のポケットからジュペッタが飛び出してきてケタケタと笑う。
その湯呑みを取り上げて確認するが、やはり色が付いていない。……こいつ、客に白湯を出したのか。
次はNにお茶の入れ方を教えなければいけないらしい。どうやらNは「お茶の葉」という存在を知らないようだ。
これがお茶の元だよと彼に枯葉の屑のようなものを見せたら、どんな反応をするだろうか。……よし、後でやってみよう。

「まあ、大方の予測は立つけどね。どうせゲーチスの差し金でしょう?」

シアを見ておけと言われたからな。しかしあの御方も人が悪い。ご自分が守ると仰っておきながらこの様だ」

流石の俺も笑わざるを得なかった。そう続けて彼は少し冷めた白湯を一気に飲み干した。
ダークは一様に何を考えているか解らないが、自身を「俺」といい少しだけ砕けた話し方をする彼となら、なんとか意思の疎通ができそうだと思った。
隣でケタケタと笑うジュペッタが少々喧しいが、そこは堪え所だろう。
しかし私は、ゲーチスを「この様だ」呼ばわりしたダークの言葉を聞き流すことができなかった。どうしても気になる箇所があったからだ。

「ちょっと待って。ゲーチスがそんなことを言ったの?」

「ああ、俺が言わせた」

またしてもとんでもないことを言ってのけたダークに私は驚く。

「あの方がシアをどう思っているかなど、見れば直ぐに分かった。しかしそれは、長年あの方に付き従ってきた俺達だからこそ分かることだ。
シアにはその確信がなかった。だから問い詰めた。……勿論、シアもあのお方がそう言ったことを知っている。いや、寧ろシアに聞かせるためにしたことだ」

私はあまりのことに眩暈がした。
仮にゲーチスがシアのことを、私やアクロマが彼女を想うのと同じくらい大切に思っていたのだとして、しかしその感情が芽生えたのはあの日からだと思っていたからだ。
シアが身を呈してゲーチスを庇ったあの日。ヒュウという少年のポケモンが繰り出した攻撃に、自らの左手を差し出して氷漬けとなったあの日。
しかし、ゲーチスとアクロマが出頭したのはその翌日のことだ。
今、ジュペッタを連れたダークの報告のようなことが本当に起こったのだとしたら、それは確実にあの日より前のことだ。
ゲーチスはあの日よりもずっと前から、シアを大切に思っていた?そして、シアもそれを知っていた?

しかし、だとすればシアの絶望にも納得がいく。
自分のことを守る、自分のことを大切だと言った相手が、何も言わずに自分の前から忽然と姿を消したのだ。それを裏切りと捉えるのは容易いことのように思われた。
そしてその裏切りは、彼女にとってゲーチスの「死」を意味していた。

「……」

しかし、だとすると少しだけ違和感が残る。
頭部への衝撃がきっかけで、シアは記憶を失ってしまった。しかし病院の検査では、脳に大きな異常は見当たらなかった。
その記憶の退行が精神性のものだとして、あの事故はきっかけに過ぎないのだとして、彼女が大切な人の「死」を意味するその失踪に耐えきれなくなって記憶を失くしたのだとして、
それならばその記憶の消去は、ゲーチスがいなくなったその瞬間に行われていなければならないからだ。
あの空になった病室に彼女が戻り、泣き疲れて茫然と項垂れていたあの時に失われていなければいけなかった。
しかしそうではなかった。彼女の記憶はもっと後に失われた。

更に言えば、ゲーチスに関する記憶を忘れるためであれば、一年半前の春にまで遡る必要などなかった。
彼女がゲーチスと最初に出会ったのは、去年の夏、7月の終わりである筈だったのだから。
しかし彼女の記憶はそれ以前のものまで失われていた。彼女がポケモントレーナーとなって夏にヒオウギを旅立つ、その日よりも3ヵ月の前からの記憶が、なくなっていた。
彼女の絶望は、記憶を押し込めてしまわなければならない程の絶望は、ゲーチスによってもたらされたものではなかったのだ。

では、彼女にそれ以上の絶望を突き付けたものは一体、「何」だったのか?彼女は、本当は「誰」を忘れようとしていたのか?

私は笑い出した。ダークトリニティは突然のその笑いに怪訝な表情をしたが、私はどうしても堪えることができなかった。
ああ、なんだ、そうだったんだ。私はようやく彼女の絶望の正体に辿り着いた。

一度に二人の人間が、シアの前から姿を消した。
けれど、シアが記憶を放棄しなければならない程の絶望を突き付けたのは、ゲーチスの方ではなかったのだ。

『アクロマさんは?』
『私、間違ったんだ! 正しくなんてなかったんだ! 私が間違っていたからアクロマさんが死ぬんだ! 早く行かなきゃ、死んでしまう、私が殺してしまう!』

私はずっと、誤解していた。あいつはもう既に、その位置をゲーチスに譲ったものだと思っていたからだ。
愛の意味が解っていない彼女は、あいつに抱くそれとゲーチスに抱くそれとを混同し、いつしかその位置は逆転しているものと思っていた。
彼女にとっての「かけがえのない存在」は、いつの間にかゲーチスになってしまったと思っていたのだ。それが「愛」を知らない愚かな子の愚かな結末だと思っていた。
けれど違った。彼女の思いは、もうずっと前から変わらずそこに在ったのだ。
私はその真実に安心した。安心して、泣きそうになりながら、けれど私はNの前でしか泣かないのだと言い聞かせて気丈に笑ってみせた。

「よかった、あの子はちゃんと、自分が誰を愛するべきか解っていたのね」

2015.2.19

© 2024 雨袱紗