それから、××の欠席は頻繁になっていった。
誰よりも早く教室にやって来て本を読んでいた筈の彼女の姿を見かけることが少なくなり、彼女のいない時は、その特等席を借りて授業を受けた。
出席する授業と出席しない授業が交互に続いた。一日中彼女の姿を見かけない日もあって、そんな時は放課後の時間を利用して、医務室の隣にある彼女の部屋へ向かった。
そこでほろ苦いコーヒーを飲みながら、彼女と他愛のない話をした。彼女は決してお喋りが得意ではなかったが、私の話を興味深そうに聞いてくれた。
私と話していてもつまらないでしょう、と彼女は稀に謙遜したが、「そうだね、そんな卑屈になっている××といるのはつまらないね。」という冗談を投げて笑った。
つまりはそうした距離に私達はいたのだ。それは親友と呼ぶに差し支えない距離だと信じていた。
そんな彼女と受けられない授業はつまらないかというと、必ずしもそうではない。
××がいないことに気付いたシルバーが、頻繁に話し掛けてくれるようになったからだ。
隣で授業を受ける機会も増え、朝と夕方の食事を一緒に摂るようになった。私の孤独は彼が埋めてくれた。
「ねえシルバー、私といてもつまらないでしょう。ずっと一緒にいて、飽きない?」
いつかの××のように卑屈になれば、しかし彼は私のような冗談を返してはくれなかった。
「まさか、お前は危なっかしくて飽きる暇がない。」
それは彼なりの励ましだったのかもしれないが、××のような大人びた人間を目指している私にとっては地雷だった。私は容赦なく彼の靴を踏みつけた。
悲鳴を噛み殺すシルバーを見ながら、ああ、こんなおてんばでは到底××のようにはなれそうにないなと思っていた。
つまりはそうした遣り取りを行える距離に私達はいたのだ。それを形容する言葉を私はまだ知らない。
しかしそんなシルバーも、私が××といる時にはそっと席を外した。
その度に××は怯えと罪悪感が混ざったような困り果てた顔をしたが、シルバーは「気にしないでくれ。」とだけ言い残して足早に去って行った。
「邪魔してごめんね。」と××は申し訳なさそうに言ったが、私の優先順位として、シルバーの時間よりも××の時間の方が優位に据えられていた。
だからシルバーに申し訳ないとは思いながら、しかし私と離れられる時間も彼には必要だろうなと思っていた。
私が彼に「傍にいて」と懇願したことは一度もなかったが、彼は出来る限り私が一人にならないようにしてくれたからだ。
そこには孤独を嫌う私への配慮を汲み取ることが出来た。本人は「お前は俺と××以外に友達なんかいないだろ。」と笑っていたが、本当にその通りだったのだ。
そんな風に気を遣ってくれる彼に、私は何も報いられていない。頻繁に挑まれるバトルや勝負で勝ち続けることだけが、彼に感謝を伝える唯一の手段だった。
彼に負ける訳にはいかなかった。その時の私はまだ、彼が「私に勝てば私への興味を失う」と本気で思っていたからだ。
ずっと傍にいるのは、ライバルである私の動向を探る為で、それでいて彼曰く「危なっかしくて何所か抜けている」私のことを、彼は放っておけなかった。
それだけだと思っていたのだから、私は随分と薄情な人間だったらしい。
しかしそれをそっと訂正してくれたのは、シルバー本人でも、××でもなかった。
*
「あんたさ、シルバーのこと好きでしょう。」
どうして今、そんなことを言うのだろう。よりにもよってシルバーの隣で夕食を食べている、この時に。
間が悪いとしか言いようがないが、しかしそれを狙ってのことだということを、私はこのゴーストとの長年の付き合いで理解していた。
Kは私とシルバーの間に座る振りをして、楽しそうに笑った。
「ああ、言わなくても良いわよ。その反応でもう解ったから。」
「嘘、貴方は私の反応を見るまでもなく解っていたんでしょう。相変わらず意地悪ね。」
いきなり発されたその言葉にシルバーが驚く。そうだ、彼にはKも見えないのだった。
「ごめんね、煩いゴーストが来たの。」と謝罪すれば、彼はしばらく考えた後に思わぬことを言った。
「K、か?」
その言葉にいち早く反応したのは、私ではなくKだった。「もしかしてあんた、あたしが見えているの?」と笑いながら、彼の眼前で片手を気だるげにひらひらをかざす。
しかしシルバーには霊感がない筈だ。故にその手も知覚出来ず、Kの透けた身体越しに私を見る。
当たり前のことだ。シルバーにKは見えない。それなのに、彼はさも当たり前のように彼女の名前を紡いだ。
どうして知っているの、と尋ねれば、逆に彼が不思議そうな顔をした。
「コトネの友達だろ。よく話しているじゃないか。」
「…ゴーストだよ?シルバーには見えていないでしょう?」
「見えなきゃいけないのか?」
その言葉に私は青ざめた。彼のその言葉は私の深く、深くに突き刺さり、私の最も醜い部分を暴いた。
つまり私は見えていなければいけなかったのだ。だってそうでなければ皆に知覚して貰えない。
私がゴーストと話をしていたとして、それは第三者から見れば「何もないところに向かって話しているおかしな人間」としか映らない筈だった。
『また何か言っているよ、大きな独り言ね。』
そう言われたのは一度や二度ではなかった。世間ではそうした目が当たり前で、私はそれを何よりも恐れていたのだ。
授業を邪魔されることよりも、煩く構われることよりも、私の世界が共有されないことが許せなかったのだ。私は自分に向けられる奇異の視線が恐ろしかった。
だからどうしてもゴーストの友達ではいけなかった。彼等と関わることは、おかしな体質である私を認めてしまうことになるからだ。
私はゴーストが嫌いだった。皆に見えないものが嫌いだった。皆と共有されないものが嫌いだった。
それをKは知っていて、だから私に話し掛ける時は、周りに人が少ない場所を選んでくれていた。
逆に言えば、そんな配慮をしてくれるゴーストとしか関われなかったのだ。奇異になるのが怖かったから。笑われたくないから。また一人になりたくないから。
「…どうしたんだ?」
「ううん、なんでもない。なんでもないの。」
彼はこんな私の傍にいてくれる。
「ごめんね。」
「どうして謝るんだよ。」
「ありがとう。」
そんな陳腐な言葉しか紡げない私を許して下さい。貴方のくれたものに報いられる何かを持たない私を許して下さい。
シルバーは躊躇いの後に、ポケットに手を突っ込み、何かを私の頬に押し当てた。
それがハンカチだと気付くのと、ああ、泣いていたんだと気付くのとが同時だった。
どうしてそんなに優しくしてくれるの、とか、面倒な子でごめんね、とか、言いたいことは沢山あったのに、溢れてくるものがその邪魔をした。
Kはいつの間にかいなくなっていた。
2013.12.6