生きるとはとても情動的なこと。
想いがなければ、感情がなければ、きっとその生はお花のようにただ静かで淡々としたものになっていたことでしょう。
生きるとはまた、とても恣意的なこと。
我々は仕方なく生きている訳ではなく、生きたいから生きているのだと思っています。
それは細胞レベルで、とか、体の仕組み的に、とか、そういう生物学的な生への恣意的な渇望も当然含まれるのですが、
何より当人が、当人の心が「生きたい」と思わなければ本当の生は動きださない。
私はそう思います。
生きるとはそれでいて、やはりとても破滅的なこと。
「わたしもあなたも、きっといつだって死ねるの。だからきっと今じゃなくてもいいわ」
アルミナのこの台詞に代表されるように、またMethinksでも書いてきている通り、生き物は死ぬものです。
どれだけ情動的に生を想っても、どれだけ恣意的に生きようとしても、やはり最後はどう足掻いてもその生は破滅するように出来ているのです。
だからこその情動性、恣意性が光り輝くところではあるのですが……。
何故、当時の私はこんな、強烈な3つの単語を並べることが叶ったのでしょうね……?
今じゃこの単語は選べない。今の私はこの3つを並べられない。だからこそ今、この文を読み返すと「うわぁ」って思っちゃう。
2年前の私に「思い出せ、お前の想う生とはこうだったのだぞ」と、叱咤されているような気がしてしまう。
2年前の私は、強かったのだなあ……。