摂氏五千に桜は咲かぬ

(桜SS 10/10)

このいい天気の日に、絶好のお花見日和に、あの子はこんなところで何をしているのだろう。
青年は溜め息を吐きつつ少女の姿を探した。灰を被り過ぎて褪せているであろう栗色の髪、妖精のようにぴょんぴょんと遠ざかる赤い背中を必死で探した。

途切れることなく降り続ける火山灰を、桜とするのはあまりにも厳しい。雪ならあるいは、とも思ったが、ホウエン地方に雪が降ることの珍しさは青年もよく知っている。
故にそうした、風情ある理由で此処にやって来た訳ではないはずだ。

そもそもあの子に「風情」は似合わない。風情、などという定型的なものに自らの心を擦り合わせていくだけの健気さを、あの子が持ち合わせているはずもない。
だからこそ彼女は、桜の雨が降り注ぐミナモシティやカナズミシティではなく、灰の雨が降り注ぐ113番道路を訪れたのだ。
此処に、彼女にしか分かり得ない感動があるからこそ、彼女は灰を被ることを選んだのだ。

そして青年は、そんな常軌を逸した彼女が、型破りなお姫様が、ガラスの靴を落とすことをきっと期待している。
彼女の、彼女だけの感動を、いつか青年も我が事として感じることができる日が来ると、そう信じて彼女を追いかけ続けている。

「ふふ、あはは! 素敵なスーツが台無しだわ、ダイゴさん。どうしてこんなところまで来てしまったの?」

「……ああ、そこに隠れていたんだね」

「私は隠れてなんかいないわ。貴方が私を見つけられなかったというだけではなくて?」

灰の雨の向こう側からいつもの優雅な調子で彼女が笑う。呆れたように肩を竦めつつ、楽しむように肩を震わせつつ、鈍色の目をすっと細めて青年を見る。
けれどもほんの数秒もすれば彼女は青年への興味を失い、ころんと地面の上に寝転がってしまう。
褪せていた栗色の髪はすっぽりと灰に覆われてしまい、元の色を完全に失っていた。

「此処では君の髪も銀色になるから、お揃いだね」

そう告げつつ、青年はその隣へと腰を下ろす。不可解な沈黙に首を捻りつつ彼女を見れば、その目は大きく目を見開かれたまま、瞬きを忘れてしまっている。
その鈍色の目には、灰を被った青年が、灰を被らずとも銀色の髪をしていた青年が、くっきりと、それはもうくっきりと映っている。

「煙突山の火口、あそこに身を投げれば本当の灰になれるかしら」

「……熱くて近付けないだろうね。それにきっと気が狂うほどに痛むよ。君にそれが耐えられるとは思えないけれど」

「でも灰は幸せそうだわ。私みたいな酔狂な人にしか期待も注目もされない、とても寂しくてとても自由な生き物よ。
きっと気の狂うような思いをしなければ、灰のような孤独と幸福は手に入らないんだわ。だから桜も私も、生温いところで生きているものは皆、不自由なままなの」

あまりにも惨たらしい論理であることは明白であった。使い古された道徳をもってして、彼女の自論を否定することは簡単にできた。
しかし、できなかった。そうした正しさを説くには遅すぎる。彼女に魅入られ惚れ込んでしまっている青年に、そのような正しさを選び取れるはずもない。
彼女がこの場所を選んだのは、桜ではなく灰を愛でることを選んだのは、酔狂であるからとか常軌を逸しているからとかではそうした理由ではなかった。
それは、もっと重たく切実な祈りのために為された選択なのだと、そう気付いてしまったから青年はもう、何も言うことができなくなってしまったのだ。

不自由な桜色は2回の瞬きの後で、青年の優しい沈黙を責めるように微笑み、告げる。

「貴方は優しいから、きっと私を燃やしてはくださらないわね。ふふ、つまらない!」

ああ、……ああ。
この降り積もる灰をどれだけ集めれば、彼女の履く靴を手に入れられるのだろう。
その悲しい背中をどれだけ追いかければ、彼女は灰の雨ではなく桜の雨に打たれてくれるようになるのだろう。

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