(桜SS 3/10)
陽はすっかり傾いている。夜風とするにはまだ少し明るいが、それでも肌を撫でるそれは夜風として差し支えない冷たさであった。
寒い、と、人混みの中からめいめいに声が上がる。ブルーシートがふわふわとなびいている。
花見の席を確保するために何時間も前からそこにいたのだろう、身を寄せ合い震える人の姿があちこちに確認できた。
「寒いね」
そして、そんな彼等の言葉と同じそれが少年の隣からも聞こえてくる。眉を下げて笑う少女、彼よりも少しだけ、ほんの少しだけ背の高い女の子だ。
首を激しく振って寒気を振り払おうとしている。茶色の短い、癖のあるツインテールがぴょこぴょこと跳ねる。
春のこの日、勿論、少年も少女も暖を取るための道具など用意していない。
故に彼は「そうだな」と相槌を打ちながら、その後に「大丈夫か?」と続けようか否かと、悩むことくらいしかできない。
「寒いね、本当に寒い! ねえシルバー、手を貸してよ」
「手? ……構わないが、どうするんだ?」
彼女の寒さがそれで和らぐのなら、手助けは厭わないつもりだった。そういう意味で「構わない」と告げたのだが、少女はとてもおかしそうに笑い出してしまった。
違う、違うよシルバー、そうじゃないの。歌うようにそう告げて少年の手を取る。手助け、をするための冷え切った手が、少女によって奪われてしまう。
同じく冷え切った少女の手に包まれるのみであるこの状態が、おそらくはこれからしばらく続くのだろうと察してしまったから、
その手に、何もできなくさせられてしまった彼は、本当に何もできずにただ呆気に取られるしかなかったのだ。
「俺の手なんか握っても、温まらないだろう。まだチコリータを抱きしめていた方が効率的だ」
「そうだね、私もそう思う。でも君なんだよ、君の手がよかったんだよ。どんなに冷たくても、温まらなかったとしても、こうしていたかったんだよ」
他でもない彼女自身がそう言うのなら、彼女の中で納得のいく行為であるのなら、それでいいかと少年は思った。思って、手を握られるままにしていた。
寒い、寒いと零しながら行き交う人々を眺めつつ、目的の場所へと歩を進める。
道中、同じように手を、おそらくは双方冷え切っているはずの手を、繋いでいる二人組をいくらか目撃した。
仲睦まじいことだ、と少年は思い、そしてはっとした。自らと彼女こそ、その「仲睦まじい行為」をしている張本人に違いないのだと気付いてしまったのだ。
顔が火照る。手が汗ばむ。先程までの寒気が嘘のようだ。彼はすっかり当惑してしまって、自らの迂闊さをひどく後悔して……。
それでも、その手を振り払おうという気には、なれなかったのだ。
急速に上がった手の温度に、少女が気付いていないはずがない。
案の定、彼女は楽しそうに笑いながら「逃がさないよ」と悪戯っぽく言い放ち、握った手の力を強くした。
やられっぱなしは少年の性に合わなかったのだろう、彼もまた強く握り返した。ただそれだけのことが随分と嬉しかったらしく、少女は夕陽を眩しがるように目を細めた。