(桜SS 1/10)
強すぎる風が目に見える。鮮やかな桜の花びらが風を見せている。
春の嵐と呼んでも差し支えないこの強風がどれ程凄まじいものであるかということを、舞い上がる桜が、頬を軽く叩く桜が、空へと飛び去る桜が、あまりにも克明に示している。
こちらが不安になってしまいそうな程の美しさであった。その美しさが風という、唐突で不条理なものによってあまりにも呆気なく壊れてゆく様は、男を物悲しい心地にさせた。
「綺麗、本当に綺麗! まるで私達が桜になってしまったみたい」
けれども男のそうした物悲しさを、彼女は楽しそうな笑みをもってして弾いた。
綺麗だわと、本当に素敵ねと、歌うようにアルトボイスを零しながら、歓喜に細めた目でクスクスと笑いながら、桜の嵐の中へと飛び込んでいく。
花弁が、彼女の髪に絡まる。けれども彼女が男から離れていくにつれ、それが花弁であるのか彼女の髪であるのか分からなくなる。
桜も、彼女の髪も、恐ろしくなる程に似通った色をしていたからだ。
「バーベナ」
男は歩幅を大きくして彼女を追う。風がびゅうびゅうと吹き荒んでいるせいで、おそらくその呼び声は彼女のもとへは届いていない。
もう一度、男は名前を呼んだ。彼女が彼女で在るための名前、彼女が彼女らしく在ることを喜ぶための名前を、紡いだ。
強風に負けじと、その声はどんどん大きくなっていった。それでも彼女は振り返らなかった。
桜の嵐と同化しつつあるその横顔はただ楽しそうで、ただ眩しくて、そこに「男」は果たして必要だったのだろうかと疑ってしまいたくなる程の美しさであった。
盗られてしまう、と焦るに十分な恐ろしさを孕んでいたのだ。
「バーベナ!」
だから男はその腕を強く掴み、振り返った彼女の頬や髪に貼り付いた、彼女と同じ色を、やや乱暴な手つきで剥がさずにはいられなかったのだ。
どうしたの、とされるがままの彼女は問うた。一人で先に行き過ぎだ、と彼は濁してまた一枚花弁を取った。
でもそれだけじゃないみたい、と見透かしてきたので、この小綺麗な嵐の中を一人で歩きたくないだけだ、と更に逃げた。
捕まえてくれてありがとう、と困ったように笑いながら自らの髪を整え、彼女は顔を上げた。
そして、分かればいい、と告げて僅かな安堵を見せる彼の髪にそっと、手を伸べた。
「あら嬉しい。貴方も今日は私の色ね」
肩に少しかかる程度に切り揃えられた男の白い髪。全く同じ長さに切り揃えてある彼女の桜色。
けれども彼女を取り返すために桜の嵐の中を駆けた男もまた、その桜色を自らの髪に纏うに至っていたのだ。
雪の上に降る春を愛でるように彼女は目を細めた。花見をするかのようなその視線に男は少しばかり戸惑った。
「……はしゃぎすぎだ」
「ええ、はしゃいでいるのよ。だってあまりにも綺麗だから、嬉しくて」
「そんなに花が好きだったとは知らなかった」
「何を言っているの、そうじゃないわ」
桜の嵐はまだ止まない。風もびゅうびゅうと喚き続けている。
だから、ああ、聞こえなかったことにしてしまってもよかったのかもしれない。
「貴方のことよ、ダーク」