天邪鬼

ミクリはその美しい少女をどうしても手に入れたかったのだ。

「こんにちは、トキ嬢。今日も美しいことだ」

「こんにちは。ミクリさんにそんなことを言われると、皮肉かと疑ってしまいそうになります」

ルネシティの中心に位置する目覚めのほこら、その大木の下で、今日も少女はプラスルと遊んでいた。
動きやすそうなアクディブな赤い服を身に纏い、芝生の上に足を投げ出している。
プラスルが入っていたのであろうモンスターボールを小さく投げて、プラスルとキャッチボールをしているらしい。
たまにプラスルが受け取るのに失敗して、転がったボールを追い掛けていく。
「海に落ちないように気を付けてね」という言葉を投げて、少女は木陰に座ったまま、プラスルの帰りを待っている。

そう、ただそれだけの、パートナーのポケモンと戯れる一人の少女に過ぎない。
しかしそのちょっとした仕草や、耐えることのない笑顔には引力があった。美しいと息を飲むに十分だったのだ。

「皮肉?まさか、そんなつもりは微塵もないよ。君はいつだって美しい。
今だって、そんな美しい君を、どうすれば私のものにできるのかと思案していたところさ」

すると彼女は肩を震わせ、クスクスと笑い始めた。
そして信じられないことを言うのだ。

「きっとそれは叶わないでしょうね。ミクリさんはとっても美しいから」

ミクリははっと息を飲む。
そう、この若干16歳の少女は、とても不可思議なのだ。

人の魅力は、その本質を理解した途端に美しさを失う。
ミクリにとって、この箱入り娘のお嬢様は、自分よりも一回り年下の、自分の姪よりも幼い少女に過ぎない筈だった。
ただ少しポケモンバトルの才能に長けていて、ただ少し、行動力がある。それだけの人間である筈だった。
しかしその少女が、自分にも理解の及ばない言葉を紡ぎ、自分にも理解できない魅力を持ち合わせていることは、ミクリに相当な衝撃を与えた。

この少女を「美しい」と思う理由を、ミクリは知りたいと思った。その為には、この少女に近付く必要があったのだ。
しかし彼女はミクリの伸ばした手を、いとも簡単にかわしてしまう。かわすだけならまだしも、その不可思議な言葉で拒絶しさえするのだ。
もしかしたら、自分はこの少女に嫌われているのだろうか?
それはない、と思った。もし自分のことが嫌いなら、自分が住むこのルネシティに頻繁に足を運んだりしないだろう。

「どういうことかな?君は、私と君では釣り合わないと思っているのかい?」

「うーん、そうは思っていませんよ。だってミクリさんは、私のことを美しいと思ってくれているんでしょう?
お世辞でも言葉には力がありますから、毎日、そんな言葉を浴びせられ続けた私も、少しは美しくなったんじゃないですか?」

至極楽しそうにクスクスと笑う、この少女が何を考えているのか解らない。
理解できないものに対しては、沈黙するしかない。その沈黙の中に、美しさが生まれる。

「美しさは私が作るものじゃありません。他人が勝手に見出すものです」

その言葉にミクリは、少女が自分にとても分厚い壁を敷いていることに気付かされる。
なかなかに手強い少女だと思った。とても生意気で、気丈でありながら、しかしその間も、その陽気な笑顔は決して崩れることはないのだ。
媚を売るだけの女性に興味はなかった。美しさだけを身に纏う人間にも惹かれなかった。

そう、この少女は、自分を美しく見せようとは微塵も思っていないのだ。

「私は可愛いものが好きなんです」

「ああ、そうだったね。そのプラスルも可愛いと思うよ」

「ありがとうございます。でも私は、可愛いからこのプラスルを連れ歩いている訳じゃないんです。プラスルが大好きだから、一緒に居るんです。
可愛いとか、美しいとか、どうでもよくなってくるんです。不思議でしょう?」

そうして少女はまた、ミクリの踏み入ることのできない言葉を操り微笑むのだ。
煙に巻かれているような心地、雲の上を歩くような覚束なさ。
それでいて、この少女は楽しそうに笑いながら、微塵も臆することなく真っ直ぐにミクリの目を見据えるのだ。

「私、ミクリさんが苦手なんです」

「!」

「ミクリさんが、美しすぎるから」

嘘だ、とミクリは直感する。
苦手な相手をそんな目で見る人間に、ミクリは未だ嘗て出会ったことがなかったのだ。

「君は苦手な人の居る町に、どうしてこうも頻繁に足を運んでいるんだい?」

「うーん、この木が美しいからでしょうか?」

「美しいものは苦手なのではなかったのかい?」

「あれ、そんなこと言いましたっけ」

クスクスとまたしても煙に巻かれる。その仕草にも、その声音にも、何処か不可思議な引力がある。
それは誰にも立ち入ることのできない、不可侵のものだからこそ美しいのだろうか。最初から、ミクリの立ち入る隙などありはしなかったのだろうか。
ミクリは小さく溜め息を吐いた。今はまだ、敵いそうにない。しかしそれでいい気がした。
この少女が難攻不落であればある程に、その美しさは輝きを増すのだ。

美しいものには、触れられない。今はそれでいい気がした。

「そういえばトキ嬢、今日は雨が降るらしいよ」

「あ、だから空が少し暗い色をしているんですね」

「傘を持っていないのなら、長く此処に居ない方がいいかもしれないよ。かなり強い雨が降るらしいから。
君の美しい顔が濡れてしまっては台無しだ。何より、風邪を引くといけないからね」

すると少女は何故か目を大きく見開いた。ボールをプラスルに投げようとしていた手が不自然なところで止まる。
しかしミクリが怪訝な表情を浮かべる前に、少女は肩を竦めていつものように笑ってみせた。

「ご心配、ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。私は直ぐに別の町へ行きますから」

「おや、今日はこの後に用事があったのだね」

「いいえ、いつもですよ、ミクリさん。私はいつだって忙しいんです。楽しいことが、ここには沢山あるから」

またしても少女はおかしなことを言って笑う。
彼女の言葉を紐解くことを諦めてしまったミクリは、「それじゃあ」と踵を返してルネジムへと戻り始める。
しかしその瞬間、小石に足を取られて、ミクリは盛大に転んだ。受け身を取ることすらできず、情けなく芝生に倒れる。
……なんということだろう。ミクリはあまりの失態に眩暈がした。

すると、背後から足音が聞こえた。

「ミクリさん、ほら」

差し出された手の主を見上げて、ミクリは息を飲む。
そこには今まで見たどんな笑顔とも異なる、彼女の異質な微笑みがあったのだ。
こまったように眉を下げ、細められたその目はあまりにも眩しい。
沈黙のままに掴んだ手は、少女により強く引き上げられた。

「ミクリさん、また今みたいに転んでください」

相変わらず、煙に巻くような物言いをする。
しかし今回のその言葉に隠された本音を、ミクリは辛うじて汲み取ることができそうだった。

「私、ミクリさんのことを好きになれそうです」

そう紡ぐ少女の、仄かに赤いその笑顔は何よりも美しかった。

2014.12.12

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