足跡:チョコレート味

※バレンタイン企画

これはどういう状況だろうか。プラターヌは考え込んだ。

研究所に備え付けられたキッチンに、彼の溺愛する教え子と、その教え子の先輩に当たる人物が入っていった。
今日はバレンタインデーだ。おそらくは二人でチョコを作り、意中の男性に渡すのだろう。

『沢山出来たら、ボクにも一つくれると嬉しいな。』

その言葉に、ストロベリーブロンドの髪をした少女は立ち止まり、『はい。』と微笑んでみせたのだ。
故にプラターヌは少なからず、チョコの一粒でも貰えるものと期待していたのだが、待っていたのはチョコではなく、その少女の先輩に当たる人物からの連絡だった。
至急、キッチンに来てほしいと言われ、訝しむままにプラターヌはその場所へと向かった。

「……」

見るも無残に焦げてしまったチョコレートらしき物体。あちこちに撒き散らされたココアパウダー。クッキーらしきものは炭の塊と化して床に転がっていた。
先輩に当たる人物はキッチンの流水に腕を当て、もう一人の少女は茫然と立ち尽くしている。
焦げによる悪臭を外に開放するために、プラターヌは慌てて窓を開ける。これで一先ず、生命の危機は脱しただろう。
どうしようかと迷った彼はまず、馴染みの深い人物から問い詰めることにした。

「ジーナ、これはどういうことだい」

「わ、わたくしが聞きたいですわ!シェリーがバレンタインのお菓子を作るために研究所のキッチンを借りたいと言うから、わたくしが手とり足とり教えていたのに」

「……君が?」

プラターヌはその言葉だけで、この惨劇の正体が判明した気がした。
犯人は間違いなく、腕を火傷したこのジーナだ。
気の弱いシェリーが、オーブンの火力をいきなり最大にする筈がない。臆病な程の慎重さを、プラターヌはよく知っていた。

大方、先輩としての威厳を見せようと見栄を張って、作り方も知らないのに強引に調理を勧めた、というところだろう。
机の上にはお菓子作りの本が開かれることなく置かれていた。これはおそらくシェリーのものだ。
彼女はこれを読みながら、ゆっくりと、しかし確実に作っていくつもりだったに違いない。

そもそも、ジーナがキッチンに入っていった段階で、もっと警戒しておくべきだったのだ。プラターヌは大きく溜め息を吐いた。
彼女は壊滅的に料理ができない。一度、カップラーメンを電子レンジに入れて破裂させたことがあった。
説明書きを読まずに強引に何事も進めていく。いつだって火力は最大、食材を炭にしたことは一度や二度ではない。
プラターヌはてっきり、そんな彼女がシェリーに料理を教わっているものだと思っていたのだ。まさか、逆だったとは。

「ジーナ、君はシェリーに何を教えるつもりだったんだい?」

「も、勿論、トリュフとクッキーの作り方ですわ」

「君はその作り方を知っていたのかな?」

「トリュフなんて溶かして丸めるだけでしょう?そんなの、本を読まなくたって理解できますわ!
クッキーだって、型抜きしてオーブンで焼けばいい筈ですのよ!」

プラターヌは確信した。犯人は間違いなくジーナで、シェリーはその被害者であると。
きっとシェリーは、彼女のやり方を止められなかったのだろう。酷く臆病な彼女が、先輩の行動に待ったをかけるなど、あり得ない。
いつ、止めようかと悩んでいるうちに、この事故が起こってしまったのだろう。
もっと早く介入していればよかった。プラターヌは大きく溜め息を吐いたが、直ぐにその溜め息を悔いることになってしまう。

「は、博士、ごめんなさい……」

茫然と立ち尽くしていたシェリーが、嗚咽を零して泣き始めたのだ。
プラターヌは慌てて彼女に駆け寄る。床に零れたチョコレートに足を滑らせそうになったが、なんとか踏み留まった。
私が悪いんです、ごめんなさい。直ぐに片付けますから。博士のお邪魔をして、本当にすみません。
そんな言葉を繰り返すその小さな口を片手でそっと塞ぐ。

「大丈夫だよ。大丈夫だからシェリー、泣かないで」

大丈夫、と繰り返し言い聞かせれば、その嗚咽は少しだけ弱くなった。そのことにプラターヌは安堵した。
この少女の泣く姿はとても痛々しい。慣れない土地で、思っていることを滅多に口に出さないこの少女が、自分には心を開いてくれていることをプラターヌは知っていた。
そして、それを誇りに思ってもいたのだ。

シェリー、何処も怪我はしていないね?ジーナはその火傷だけかな」

プラターヌはココアパウダーと炭、チョコレートの散乱した床を歩いてジーナの方へと向かい、火傷の具合を確かめる。
大したことはないと思うが、念のために病院で確認してもらった方がいいかもしれない。プラターヌは研究所の助手を呼び、病院までの同行を頼んだ。
シェリーが完全に泣き止んだ頃を見計らって、プラターヌは片付けをしようか、と言って掃除道具を持ってくる。
しかしこれに慌てたのはシェリーの方で、「あの、私が全部しておきますから」と呼び止めたのだが、プラターヌはいつもの柔らかな笑顔でこれを拒否した。

「これを一人で片付けていたら日が暮れてしまうよ。丁度、書類仕事以外のことがしたいと思っていたところだから、手伝わせてくれないかな」

そんな風に尋ねれば、控え目な彼女が頷かざるを得ないとプラターヌは知っているのだ。
彼は雑巾で床を拭き、彼女は机の上と調理器具の片付けを担当した。
冷たい水で洗い物をする彼女の手が赤くなっている。後で温かい飲み物を入れてあげようと思いながら、プラターヌは炭の塊をビニール袋に放り込む。
最大火力でオーブンに長時間かけられたクッキーは、真っ黒な炭に成り果ててしまっていた。

床を綺麗に拭いた傍から、プラターヌの靴に付いたチョコレートがその床に足跡を付けていることに気付き、二人で声をあげて笑った。
シェリーの頬にココアパウダーが付いていることを指摘し、赤くなった彼女とまた笑った。

きっとこの材料でトリュフが完成していたなら、その一つをプラターヌは貰うことができたのだろう。
けれどチョコレートやココアパウダーで汚れたキッチンを掃除する、この時間はプラターヌにとって楽しいものだったのだ。
少なくとも、そのチョコレートの足跡で、そのココアパウダーで、シェリーが笑ってくれた。それだけで十分だと思えたのだ。

プラターヌの白衣のポケットで、ホロキャスターが着信の音を立てる。ジーナの火傷は大したことがないものだったことを告げる助手からのメールだった。
それをシェリーに告げると、彼女はほっとしたように大きな溜め息を吐いた。

「今度から、ジーナにキッチンへと連れ込まれたらボクを呼んでね。君が止められなくても、ボクなら止められるかもしれないから」

「ごめんなさい、迷惑を掛けて……」

「いやいや、こちらこそ、うちの教え子が迷惑をかけてごめんね。そのトリュフとクッキーを渡す予定だった相手にも、謝っておいてくれると嬉しいな」

洗い物を終え、タオルで手を拭いていた彼女がその目を大きく見開く。
プラターヌはその反応に首を傾げる。何かおかしなところがあっただろうか?
彼女はクスクスと鈴を鳴らすように笑って、僅かにその首を振った。

「もう、知っていますから」

「え、いつの間に連絡を取ったんだい?」

プラターヌはそう尋ねて、そして気付いた。自分が、とても野暮な質問をしていることに。
答えに辿り着いたその瞬間、プラターヌは当惑する。しかし、少し考えれば直ぐに分かる筈のことだったのだ。
どうして自宅のキッチンではなく、わざわざこの研究所のキッチンを借りたいと言い出したのか。
きっとこの臆病な少女は、焼き上がったばかりの、少しだけ予熱の残るクッキーを渡したいと思ってくれていたのだろう。
そんな健気な少女は、そうした心遣いを決して口に出すことはしない。
けれどプラターヌは、彼女に心を許されている人間の一人として、それを把握することができる。その位置に、間違いなく自分は居る。

「クッキーの材料は、もう残っていないんです。でもトリュフなら、3つくらいは作れるだけの分が残っています」

「……」

「プラターヌ博士。……もう一度、キッチンをお借りしてもいいですか?」

どうして、彼女のその懇願に拒否を示すことができただろう。
プラターヌは言葉を失ったままに、小さく頷いた。シェリーは「ありがとうございます」と微笑み、本を広げて調理の準備を始める。

2015.2.14

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