探し忘れた白い鬼

※50万ヒット感謝企画、参考曲「NEVER SAY NEVER」(THREE LIGHTS DOWN KINGS)

彼は思い上がっていたのだろう。

シェリーを知りませんか?」

アサメタウンから旅立った男の子が、そう言ってポケモン研究所を訪れた。ミアレでパレードが行われてから3日と経たない、ある昼下がりのことだった。
さっと血の気が引く感覚を、まるで遠くの第三者のそれであるように捉えながら、プラターヌは努めて冷静を保った。
「ホロキャスターで連絡は取ったのかい?」といつものようにやや間延びした口調で尋ねれば、彼は呆れたように乾いた笑いをプラターヌに向ける。

「返事がなかったから、こうして貴方のところに来たんですよ、プラターヌ博士」

「ああ、そうだったのか、ごめんね。……けれど、ボクのところにも彼女は来ていないよ。メールの届かないような、電波の悪いところにいるんじゃないかな?」

「……それじゃあ、シェリーが行きそうな場所に心当たりはありませんか?」

その目が縋るように自分を見据えていることに彼は気付いていたけれど、困ったように首を振るしかなかったのだ。
事実として、彼は「シェリー」の行きそうな場所に心当たりなどなかったし、そうした会話を重ねられる程、彼女と親しい位置にいた訳ではなかったからだ。
彼女が自分に心を開いたことなど、ただの一度もないように思われていた。

「そういうことは、君達の方がよく知っているんじゃないのかい?一緒に旅をした友達なんだから」

そう告げれば彼は驚いたように「え?」と小さく声を発した。彼のその衝撃の発端が、自分の紡いだ言葉の「どこ」にあったのかを彼は計り兼ねていた。
この少年は何故、こんなにも驚いているのだろう。何か、おかしなことを言っただろうか?
けれどプラターヌがそう尋ねる前に、少年は「そうですね、また何があれば連絡します」と告げて、足早に研究所を出ていった。

仕事など手に付く筈もなかったけれど、それでもプラターヌは平然と振舞おうと努めていた。
けれど彼の意思に反して、分厚い図鑑のページに掛けた手はただの一度も動かず、助手のジーナが入れてくれたコーヒーは2度、書類に染みを作った。
「電波の悪いところにいる」などという、都合のいい仮説など、彼の中では何の意味も為さなかったのだ。

シェリー、何処にいるんだい?ボクに話せなくとも、友達になら話せることだってあったんじゃないのかい?
そんな、言葉に出すことの叶わない問いが、彼女に届くことなど、ある筈もなかった。

ジーナには「しっかりしてくださいな」と叱られるだけに終わったが、もう一人の慧眼な少年は彼の異常な心理状態に気付いていたらしく、
彼女が仕事を終えて研究所を出るや否や、足早にプラターヌの方へと歩み寄り「何があったんですか?」と尋ねてきた。

「ああ、シェリーに送ったメールが返って来ないらしくてね。カルムくんが心配してボクのところに来たんだ」

「え?……どうして、探しに行ってあげないんですか?」

「探しに行こうにも、ボクは彼女の行きそうな場所に心当たりがないんだ。
カルムくんもボクに彼女の居場所についての心当たりを尋ねてきたけれど、彼等が知らないようなことを、ボクに解る筈がないと思わないかい?」

苦笑してそう告げて、書類から顔を上げて、……息を飲んだ。
彼の優秀な助手は、あまりにも愕然とした表情で、それでいてその目だけは彼を責め立てるように、あまりにも鋭い色を宿して、プラターヌを真っ直ぐに見ていたからだ。
「どうしたんだい」と焦って尋ねた彼に、デクシオは震える声音で「……冗談ですよね?」と、何かを恐れるように確認を取った。

「冗談?……いや、そんなつもりはなかったよ。だって一介の博士でしかないボクよりも、あの子達の方がずっとシェリーのことを知っているだろう?」

友達なんだから、と告げるや否や、デクシオはプラターヌのデスクに積み上げられていた書類や本の類を、そのデスクの端から端に向かって勢いよく薙ぎ落とした。
バサバサと、あまりにも大きな音が彼の耳を穿った。一瞬にして、赤いカーペットは書類の白に埋もれて見えなくなった。
冷静沈着で聡明で、いつだって礼儀を弁えていた彼の、信じられないようなその奇行に、プラターヌは絶句して立ち尽くすことしかできなかった。

彼はこの瞬間、自らの教え子を恐れていた。
しかしそれ以上に、優秀な彼にそのようなことをさせてしまった自分の失言が「どれ」であるのかに思い至れない自分が、とてつもなく恐ろしいものに思えてならなかったのだ。

「貴方が、こんなにも愚かな人だとは思わなかった……!」

「……待って、デクシオ。落ち着きなさい。何をそんなに怒っているのか聞かせてくれないか」

過ぎる怒りを暴発させた彼は、しかし今にも泣き出しそうに見えた。
色白な彼の頬が怒りで僅かに赤く染まっていて、プラターヌは自分の動揺よりも、彼の方を先に落ち着かせるべきだと判断し、努めて冷静な声音を保ちながらそう尋ねた。
きっと、何か誤解があるのだろう。だって、そうでなければ彼がこんなことをする筈がない。プラターヌはそう信じ切っていた。
しかし彼のそうした言葉すらも、デクシオの平常心を掻き乱す一要素にしかなり得なかったらしく、彼は自らの足を書類の山に埋めたまま、絞り出すようにその言葉を吐き出す。

「あの子に友達なんかいません」

「え……」

シェリーは!彼等のことを友達だなんて思っていません!カルムやサナとまともに会話できたことなど、ただの一度だってありません。
……あの子は、いつも一人でした。それでも旅を続けてきたのは、博士、貴方がそうした彼女の姿を望んでいたからです。そうした姿を望まれていると察していたからです」

頭を殴られたような衝撃だった。彼は何も言い返すことができなかった。
そんな筈はない、と思いながら、しかし物凄い剣幕でまくし立てるデクシオを納得させ得るこちら側の根拠など何も持ち合わせていないことに気付き、彼は愕然とした。

自分は、何を根拠に「シェリーはボクとだけ上手くコミュニケーションを取れない人間で、同年代の友達とは上手くやれている」と思っていたのだろう?
それは確信や信頼などではなく、他でもない、彼自身の願望なのではなかったか。
自分は、そうして現実の彼女が彼の願望から悉く逸れた位置にあったことを、すぐに認めることができないような、そうした愚かな人間に過ぎないのではないか。
何故、自分は、この少年のように真実を見ることができなかったのか。自分だけは、彼女を支えなければいけないのではなかったか?
拒まれることへの恐ろしさ故に逃げの姿勢を取ることなど、本来、あってはならないことではなかったのか。

「彼女は貴方だけに縋っていた。貴方だけには見限られないようにと必死だった。
貴方の目には、シェリーは自分に心を開いてくれない子として映っていたのかもしれませんが、あれが、彼女の精一杯だったんですよ」

「……どうして、君がそんなことを知っているんだい」

「貴方はシェリーしか見ていなかったようですが、ボクはシェリーを含めた周りのこともちゃんと見ていましたから。そうした見方を、師である貴方に教わりましたから」

デクシオはおそらく、全てを知っているのだろう。
プラターヌの、他の生徒に対する接し方と、シェリーに対する接し方が僅かに異なっていることに。
何もかもに怯えるような態度を取り続けている少女をずっと案じていたことも、
プラターヌにとって彼女が、かけがえのない生徒であると同時に、それ以上に愛しい存在であったことさえも、彼はきっと心得ているのだろう。
心得ているからこそ、大切に想い過ぎるが故に臆病になり、またしても踏み出せずにいる彼に、憤っているのだ。
彼女だけを想い過ぎて、彼女の本質を見据えることの叶わなかった、その愚鈍さに呆れているのだ。しっかりしろと叱咤しているのだ。

「あのパレードの日、貴方はシェリーに「ありがとう」と言ったでしょう。貴方は単なる感謝と賛辞の言葉として告げたのかもしれない。でも彼女には、」

「もう君は用済みだと言っているように聞こえていた、とでも言うつもりかい?」

その続きを引き取るように尋ね返せば、彼は整った眉を強く歪めて、頷いた。
「貴方は心配じゃないんですか」という彼の言葉に被せるように「心配に決まっている!」と大声で言い返せば、それ以上の大きさで彼は必死に訴えてくる。

「なら探しに行くべきです。彼女に手を伸ばすべきです。そうせずに貴方が取り零した「友人」のことを、もう忘れてしまったんですか、博士!」

デクシオとて、自らの師を嫌っている訳ではない。彼のことを嫌っているから、このような怒声を飛ばし続けている訳では決してない。
彼が一度喪っていることを、知っているからこその強すぎる叱責だったのだ。
そのことで彼が自分を責め続けていたことを知っているから、二度と繰り返してほしくなかったのだ。早くしないと手遅れになるかもしれないと焦っているのだ。

ようやく足を動かした彼の背中を、デクシオは力の限り押した。
散らばった書類を一枚一枚拾い集めながら、どうか間に合いますようにと、祈っていた。

数時間後、ヒャッコクシティの日時計に佇み、眩しそうにその光を見上げる少女を見つけた。
その名を呼べば、彼女は肩を大きく跳ねさせ、振り返ることをしないままに俯いた。
「こんなところでどうしたんだい」と、息を切らせたプラターヌが尋ねるより先に、消え入りそうな声でそれは紡がれた。

「私はまだ、必要ですか?」

ぐらり、とプラターヌは目眩を覚えた。自分は何も見えていなかったのだと、いよいよ確信せざるを得なくなってしまったのだ。
ごめんね、ごめんねと繰り返しながら、夜風に冷え切った少女を抱き締めた。少女は彼の臆病さを責めるかのように、何も言わなかった。

冷たい風が運んだ罪の足音は、けれどきっといつか赦されるのだろう。今は償われなくとも、彼女と彼の臆病が取り払われる日は、きっといつかやって来るのだろう。
何故なら彼は「間に合った」からだ。彼の臆病は叱責されたからだ。

これはそんな、臆病だった二人の話。あと少し遅ければ、間に合わなかったかもしれない彼の話だ。

2016.3.7
べべさん、素敵な曲のご紹介、並びに企画へのご参加、ありがとうございました!

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