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外に出たあなたとクリスに、夏の暑すぎる日差しが降り注ぎました。
カフェの前でクリスを待っている筈の、メガニウムの姿が何処にも見当たらないことにあなたはとても驚きましたが、
彼女は慣れた様子で「大丈夫よ、先に私の家に帰っているだけだから」と、あなたに説明してくれました。

「そういえば、クリスさんはコトネのお姉さんなんだよね。夏休みでこの町に帰ってきているのに、どうしてコトネと同じ家で暮らさないの?」

あなたはふと気になってそう尋ねてみたのですが、彼女は困ったように眉を下げつつ、

「私はきっと、一人でいた方がいいんだと思うから」

と、人を惹き付ける素敵な笑顔で、人を遠ざけるような言葉を紡ぎました。
どうしてクリスがそのようなことを言うのか、あなたには全く解りませんでした。
彼女はとても優しくて、楽しくて、素敵な人でした。少なくともあなたの目にはそう見えていました。
そんな彼女が「一人」にならなければいけない理由など、何処にもないように思われたのです。にもかかわらず、彼女はそう在るべきだと、一人になるべきだと歌うのです。

セラちゃんも私のことをもっと知れば、きっと私から離れていくよ。だからそれまでいっぱい、仲良くしてね」

それはあまりにも残酷な言葉であるように思われて、あなたはなんだか泣きたくなってしまいました。
けれども彼女は確かにあなたの手を握っています。その手は離されないままです。
「私から離れてもいいよ」と笑っているにもかかわらず、その手は「離れていかないで」とでも乞うように、強く強く、あなたを引き留めているのです。

「さあ、行こうか!森と、海と、駅の近くの商店街と、小学校と中学校、それに小川の向こうの花畑……案内したいところが沢山あるの!」

彼女はあなたの手を取って、駆け出しました。
その声は空のように爽やかでした。その笑顔は風のように刹那的でした。駆けるスピードは日差しのように暴力的でした。
あなたは彼女の声に聞き惚れればいいのか、その笑顔につられて微笑めばいいのか、もつれそうになる足を叱咤しつつ必死に付いていけばいいのか、まるで解りませんでした。
そんなあなたの腕の中、タマゴは時折、その存在を主張するように大きく揺れるのでした。

あなたはクリスに連れられて、カフェや公園のある場所からずっと東へと向かいました。
アスファルトで舗装された道は海の方へと続いていましたが、彼女は「こっちだよ」と言って、田んぼの間にある狭い道へとあなたを誘いました。
大きなトンボのようなポケモンにあなたが驚いていると、彼女はそれを「ヤンヤンマ」と呼び、慣れた様子で彼等に挨拶をしていました。
彼女が声を掛ければ、トンボのようなポケモンも、てんとう虫のようなポケモンも、ミツバチのようなポケモンも、嬉しそうに近寄ってきて、ふわふわとその周りを飛ぶのでした。

大抵の場合、彼等は数秒程度、彼女に挨拶をするように近くを飛べば、すぐに遠ざかっていきましたが、
随分と長い間、あなたと彼女の周りを飛び回って、一向に離れようとしないポケモンがいました。
10cm程度の小さな虫ポケモンが、向日葵の咲いている畑から5匹、飛んできて、
彼女の肩に乗ったり、あなたの頭の上に止まったり、彼女が宙に伸べた指先にちょこんと居座ったりもして、
クリスとあなたが向日葵畑を抜けるまで、ずっと離れずにぴったりと付いてきていたのでした。

「あの子たちはアブリーっていうの。生き物の「嬉しい!」とか「楽しい!」とか「寂しい!」とか、そういう大きな気持ちに反応して集まってくるんだよ」

「それじゃあ、私が楽しい気持ちでいること、あのポケモンは分かっていたってこと?凄い!ポケモンってそんな力を持っているんだ!」

「勿論、全部のポケモンが人の心を読める訳じゃないわ。人の気持ちに寄り添うのが上手なポケモンもいれば、人に悪戯ばかりする困ったポケモンだっているのよ」

ポケモンの持っている不思議な力は、そのポケモンの「個性」なのだとクリスはあなたに教えてくれました。
彼等のことをよく知ることで、彼等がどんなことに喜ぶのか、どんなことに悲しむのか、推し量ることができるようになるのだと、
そのために、彼女はポケモンのことをずっと調べているのだと、誇るように、喜ぶように、そして少しだけ悲しむように、詩歌を口ずさむような調子でそう告げて笑うのでした。

「この小川の向こうに、コトネの家があるの。行ってみる?」

どうやらコトネの家は、小川を挟んだ向こうの、小道を更に奥へと進んだ先にあるようでした。
あなたが大きく頷けば、彼女はにっこりと笑ってからあなたに背を向けて、浅い川の中から顔を出している、大きな石のいくつかを選んでぴょんぴょんと渡りました。
あなたもその真似をして川を渡ろうとしてみたのですが、彼女のように素早く進むことができず、
どの石に足を置くべきなのか、一歩を進める度に立ち止まって慎重に考えていたものですから、随分と彼女を待たせてしまいました。
待たせてしまってごめんなさい、とあなたは謝ったのですが、彼女は微笑みながら首を振って、初めてにしては上出来だとあなたの川渡りを褒めてくれました。

この小川の向こうはちょっとした森のようになっており、大きく枝を広げ、鮮やかな緑の葉を生やした沢山の木々のおかげで、あなたはあまり暑い思いをしなくて済みました。
上へと視線を向ければ、木漏れ日がまるで昨日の流星群のようにキラキラと瞬いていて、あなたは思わず立ち止まって、「わあ、綺麗!」と声を上げてしまいました。

「木漏れ日を見るのは初めて?」

「!」

そんなあなたに、声が掛けられました。
きょろきょろと辺りを見渡せば、小道から少し逸れた場所、倒れた木に腰掛ける一人の男の子がいるのをあなたは見つけることができました。
クリスが「あら」と嬉しそうに微笑んで、男の子の方へと歩み寄ります。あなたもそれに続き、彼の近くへとやって来ました。

「今日は体の調子、いいんだね」

「うん。夜中に起きることもなかったし、胸も痛くないんだ。……もしかしてその子が、セラ?」

後ろ向きに被ったキャップ帽の下から、癖のある黒い髪がぴょこんと覗いていました。
少し大きめの長袖から除く手は蝋のように白く華奢なものだったので、あなたは少しばかり驚きましたが、
彼が穏やかな笑顔で、それでいてあなたに興味を示しているかのような眼差しで、あなたのことをそっと見ていたものですから、あなたは慌てて自己紹介をしました。
彼は小さくクスクスと笑いながら、「コトネから聞いているよ」と言いました。笑い方が少し、コトネクリスに似ているように思われました。
どうやらこの男の子がコトネの双子の弟、ヒビキで間違いなさそうです。

「僕はコトネみたいに外で遊ぶことができないから、普段は家の中か、この辺りにいるんだ。
君が楽しいと思えること、何もしてあげられないかもしれないけれど、もし暇があればまた、遊びに来てくれると嬉しいな」

「此処で、何をしているの?」

「花に水をあげているんだ。マリルと一緒に、森の中にいくつか花壇を作っていて、その世話をするのが僕の日課。……男なのに、変かな?」

「どうして?お花、私も好きだよ」

あなたはそこまで植物に詳しい訳ではありませんでしたが、それでも綺麗な花を見ればこころが弾みます。
フラワーショップに鮮やかな花が並んでいるのを見ると、どうにも嬉しくなって、つい店の前で足を止めてしまうのでした。
あなたの通っている小学校の小さな花壇、あの場所に植えられたマリーゴールドを見るのが好きでした。
この森にはどんな花が咲いているのかしらと、あなたは少し気になりました。
そんなあなたの返答に、ヒビキは驚いた様子でしたが、やがてふわりと砂糖菓子のように笑って、ありがとう、と何故かお礼の言葉を紡ぐのでした。

「喉が渇いていないかい?ランス先生がさっき、ラムネを持って来てくれたんだ。5本あるから、皆で一緒に飲もうよ」

「えっ、いいの?」

「君さえよければ、是非。お姉ちゃんも飲んでいくでしょう?」

お姉ちゃん、と呼ばれたクリスは、勿論、というように笑顔で頷きました。
彼は立ち上がり、驚く程に小さな歩幅であなたを家へと案内しました。
マリル、と呼ばれていた青色の丸いポケモンは、ヒビキの歩幅に合わせるようにして、そのすぐ隣をぴょこぴょこと歩いていました。
彼が格別にのんびりした子である、というよりは、そのスピードでしか歩くことができない、という方が正しいように思われました。
7分丈のズボンから除く白い脚は、やはりあなたのそれよりもずっと細いもので、ふいに倒れてしまわないかしらと、あなたは急に不安になりました。

けれどもヒビキはしっかりと歩いて、森の中にぽつんと佇む、風情ある大きな家へとあなたを招いてくれました。
扉を開ければ、コトネの「おかえり!」という声が、奥の部屋から聞こえてきました。
リビングと思しきその部屋から顔を出した彼女は、玄関に現れたあなたを見ると、わあ、という歓声と共に、相変わらず物凄い速さで駆け寄ってきました。

「もう来てくれたの?嬉しい!さあ上がって!ラムネがあるから、飲んでいってよ!」

つい数分前のヒビキと全く同じことを口にするコトネに、あなたは思わずクスクスと笑いながら、ありがとう、と同意の意を示しました。
ヒビキは「それはさっき僕が言ったんだよ」と口にすることもなく、穏やかに微笑みながら靴を静かに脱いでいました。クリスも勿論、何も言わずに笑っていたのでした。

あなたに振る舞われたラムネは冷蔵庫でしっかりと冷やされた、とても美味しいものでした。
シュワシュワと口の中で弾ける泡の感覚は、昨日、あなたが電車の中で舐めていた飴のそれによく似ている気がしました。

2017.8.2

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