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花はまだ光を湛えていた。

ホロキャスターがまたしても鳴る。50件を上回ったそのメールに私は眉を寄せ、メールを見ることなくその通信機器の電源を落とした。
家族や「友達」、博士との連絡を絶って数日が経った。彼等は私を探している。カロスを救い、チャンピオンに上り詰めた私のことを、探してくれている。
その事実だけで十分だった。彼等のそんな思いに応えようという気概はもうすっかり失われていたのだ。
少女はたった一人でこの場所にやって来ていた。
セキタイタウンの地下にあったこの場所に、今も尚、その花は蕾のままに眠っている。

命を与える機械、最終兵器、毒の花、神の道具、彼が焦がれたもの。
形容する言葉はあまりにも多く、今の私が触れているそれをどう呼ぶか迷ってしまう程だが、しかしそんな心理状態に反して私の口はただ一言だけを紡いだ。

「……綺麗な花」

綺麗だ。本当に綺麗だ。本当にそう思ったのだ。
淡い光を放つ花芯、それを守るように囲む花弁にそっと触れる。
とても綺麗だ。いつまでも見ていられそうだ。飽きない。死ぬなら此処がいい。この綺麗な光になら看取られてもいい。
そんな私らしくないことを考えて薄く笑った。正気が私の中にあったとして、そんなものはとうの昔に捨ててきてしまったのだろう。
だって私には力がなかったから。自分のエゴすら貫き通すことができなかった、愚かな人間だから。
だから仕方ない。仕方ないんだ。そう言い聞かせていた。

花は何も言わない。ただ優しく青白い光を放っている。とても綺麗だ。何度目になるか解らないその文句をもう一度呟く。
その花弁と花弁の隙間に手を突っ込み、より近くでその光を見ようと隙間に顔を押し当てた。

「!」

瞬間、物凄い強さの光が視界を覆った。次いで爆風が私の身体に吹き付けた。
驚いた私は石だらけの地面にひっくり返る。肘の辺りを岩で切ったらしく、液体がゆっくりと手首にかけて伝う感覚がした。
しかしその痛みよりも驚きよりも何よりも、光の眩しさが強すぎて眩暈が消えなかった。
頭が割れるように痛い。しかしそれすらも心地良くて、私はその光をもう一度見ようと花に近付いた。
触れたい。けれど触れようとすれば先程のように拒まれてしまう。そう判断した私は、花のすぐ近くでその輝きを眺めるに留めておいた。

この花だ。3000年前に作られたこの花。命を奪い、命を与える花。世界を作り変える程の力を秘めた花。
彼はこれに焦がれたのだ。そう思うと益々、この光が愛おしい。
この花を咲かせる為なら、世界くらい平然と変えてしまえる。命くらい幾らでも捨ててしまえる。
王はそんな覚悟でこの花を作った。そしてその気持ちが私には理解できる。
何の目的もない私ですら、この花の美しさに心を奪われ始めている。そしてこの美しい花が、世界を作り変える程の恐ろしい力を備えているのだ。
ああ、なんて美しいのだろう。彼はこの美しい花が咲くところを見たかっただけじゃないのかしら。そんなことを思い一人で笑った。

彼は何がしたかったのだろう。花弁に背中を預け、私はふとそんなことを思った。
解っている、解っているのだ。彼は世界を一掃しようとしていた。
彼のレポートも読んだ。彼がしようとしたことは勿論、解っている。
しかしそれ程の信念を持った彼が、どうしてあんな人達をフレア団に招いたのだろう。
「他の人間やポケモンがどうなってもいいのさ!」と平気で言える彼等こそ、あの人の嫌う「愚かな人間」なのではないか。
どうして彼があんな人達を選んだのか不思議だった。納得がいかなかった。
その解明に遅れてしまう程には、私は彼のことを信じていたかったらしい。彼はそんなことをする人ではないと、やはり信じていたらしい。

結局あの人も、自分以外の全てがどうなってもいいと思っていたのだろう。

「金もエネルギーも奪ったものが勝つ世界だ」と彼は言った。
その彼が、団員達から入団金と称して多額の金を奪い、発電所から電気を奪い、AZさんから花の鍵を奪った。彼はそうした人間だったのだ。
事実を並べ、冷静にそれらを分析すれば容易く真実に辿り着いたのに、私の頭はつい最近までそれを許さなかったのだ。
彼を想うその気持ちが、彼を悪人にすることを許さなかった。けれど実際は、私のその感情こそが真実への道を妨げていたのだ。
同情の余地など全くない。涙を流したから何だというのだ。彼のしたことはどう考えても間違っている。
そして彼の場合、それが「美しい世界を作るため」だと開き直っているのだ。許せない。許す訳にはいかない。
……ではそれなら何故、私は彼を探しているのだろう。

正義を振りかざすつもりはない。そんなものは役に立たないことを、私は他でもない彼から教わったのだ。
正義とは裏側を覗いた瞬間に正義であることをやめてしまう。そんな脆くて危ないものだ。そんなものを持っていても仕方ない。
今の私が持っているものはエゴだった。全て私の我儘であり、欲張りだ。しかし彼にはその我儘を受け入れる義務がある筈だ。何故ってそれが彼の理屈だから。
彼のしたことから正義を剥がせば、そこにはただのエゴしか残らない。

ならば私はそれよりも大きな力でそのエゴを抑えつければいい。

彼は「もっと」を要求する人間の愚かさに絶望したという。
しかし気付かなかったのだろうか。「もっと」を要求しない人間があまりにも少ないことに。それが避けられない人間の性であることに。
人は総じて欲張りだ。その形は人によって異なるが、私だって欲張りだし、彼だって欲張りだ。
それでいいと、どうして許せなかったのだろう。どうして自分もその一員だと、足元を見ることができなかったのだろう。
彼の世界は歪んでいる。私の世界も歪みつつある。
倒錯する思考は、美しい光が飲み込んでくれた。私は思わずそれに手を述べた。

「……本当に、綺麗な花」

正気を保つには、これまでに起こったことは惨過ぎたのだ。私はそれに耐えられなかった。だから私は、ネジを外すことにした。
そうするだけでこんなにも楽になれるのだから、まだこの世界も捨てたものではない。
そうまでして私はこの世界に縋り付かなければならなかった。それがどんな形であれ、私は生きなければならなかったのだ。
だって、きっとまだ彼は生きているから。私はもう一度彼に会わなければならなかったのだから。

じりじりと命の焼ける音がする。この光がよくないものだということは解っていた。そのために彼の捜索が打ち切られたことも知っていた。
しかしそれが何だというのだろう?
彼が焦がれた花に、私が触れている。それで十分だと思った。そんな残酷な幸福は私を笑顔にした。

「……」

私の視線はとある瓦礫の山に吸い寄せられた。それは求めていた赤い色をしていた。瞳は穏やかに閉じられていた。
外傷一つない彼は、まるで眠っているかのように静かに息をしていた。あの日から何も変わっていない彼の姿が、そこにはあった。
いた。彼を見つけた。

「フラダリさん」

途端に胸を占めた安堵に私は愕然とした。そして、泣きそうに笑った。
ああそうか、建前などどうでもよかったのだ。私はこの人に会いたかった。
この歪な人を選べなかった自分を罰するためなのかもしれない。歪なこの人のことを知りたいと思ったのかもしれない。
私の手に入れようとしている「永遠」をもってして、この永遠を手に入れることに失敗した彼のやり方を叱責しようとしているのかもしれない。
もしくは私の命を犠牲にして、私は彼にそうした、永遠の持つ残酷な側面を訴えたかったのかもしれない。
あるいはただ、彼に生きてほしかったのかもしれない。
その、全てかもしれない。
少なくとも、彼を前にして感じた安堵に偽りはない。疲れ果てた私にはそれだけで十分だった。

『私なら世界を一瞬で終わらせ、全ての美しさを永遠のものとするかもしれない。全てが醜く変わっていくのは耐えられません。』
フラダリさん。貴方は世界を変えることができなかった。
この世界の全てを終わらせることができなかった。貴方は世界に敗北した。
私はそんな貴方のことをずっと見てきました。美しさに焦がれていながら、世界を美しくできなかった貴方のことを、私は見ていました。


だから今度はフラダリさん、貴方の番です。


私を見てください。世界を変える私の姿を見ていてください。
私は私の世界に勝利し、貴方のやり方をこの身をもってして糾弾します。
責めてください。憎んでください。恨んでください。そして一瞬でいいから、愛してください。
私には、その一瞬を永遠にする力があるから。

貴方は私を止められない。貴方の負けです、フラダリさん。だからお願い、私を許さないでください。私を、忘れないでください。
貴方にこれから数多の屈辱と叱責を浴びせる私を、どうか忘れないで。

「フラダリさん、起きてください」

彼の時間が止まっていることに気付く、数秒前の話だ。


2013.10.31
2015.4.5(修正)

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