彼女と連絡がついたのは、彼女がチャンピオンになって数日後のことだった。
チャンピオンになった時のパレードを、私は見に行くことができなかった。
けれど彼女が盛大な賞賛を浴びせられていたことは知っていた。誰もが彼女を祝福し、賞賛していた。
だからこそ、私だけは決して「おめでとう」と言う訳にはいかなかったのだ。
久し振りに再会した彼女は、以前の「シェリー」の面影をまるで残していなかった。
美しかったストロベリーブロンドの長い髪は、鮮やかなオレンジ色に染められ、肩の辺りでバッサリと切り揃えられていた。
お気に入りだと言っていた黒と赤のハイウェストアンサンブルは辛うじてそのままだが、帽子や鞄、靴下やアクセサリーの類まで、全てが赤と黒に染め上げられていた。
まるで自身が潰した組織を、その思想を追悼するかのように、喪服か何かのように、彼女はその身に赤と黒を纏い過ぎていたのだ。
黒いリボンの付いたパンプスを、軽快にアスファルトに叩きつけるようにして彼女は駆け寄ってきた。
そのパンプスは、私とお揃いで購入したものだった。その靴にだけ、かつての親友の名残を見ることができている気がして、どうしようもなく悲しくなった。
夜という時間帯も、そんな彼女の不可思議な雰囲気を助長したのかもしれない。
この少女にフレア団の、そして彼女が慕い焦がれた組織のボスの面影を重ねることはあまりにも容易かったのだ。
最後にシェリーと話をしたのは、確か彼女が7つ目のジムに挑戦する直前のことだったと思う。
エスパータイプへの対策を教えてほしいと、彼女から連絡があったのだ。
他でもない親友の頼みに、私はクロバットに乗ってヒャッコクシティへと飛んだ。
町のベンチに並んで座って、バトルの話をしながら、彼女の連れていたポケモンにも挨拶をした。
『フラダリさんから、メガシンカを使えるようになった時にお祝いのメールが来たの。』
そう言って、彼女は私にホログラムメールを見せてくれた。オレンジ色の髪と首元の白いファーが印象的な、紳士的な喋り方をする男性だった。
シェリーが彼に尊敬のような憧憬のようなものを抱いていることは知っていた。それは私がかつてあのプレハブ小屋で彼に抱いたものに似ているような気がしたからだ。
あの人を失った悲しみは、こうも彼女の心を蝕んでいたのか。
私は目の前のシェリーが纏い過ぎたその赤と黒に愕然とした。そして、どうしてもっと早く駆けつけてあげられなかったのだろう、と自分を責め始めていた。
ああ、けれど彼女はホロキャスターを取ってはくれなかった。彼女がカロスの何処にいるか解らない以上、こちらから赴いても無駄だったのだ。
それでも、闇雲にでもいいから探して回ればよかった。そうすれば、一日でも二日でも早く、駆けつけることができたかもしれないのに。
けれど駆けつけたとして、私に何ができたのだろう?こうも無力な私が、彼女をどうやって支えてあげられたというのだろう。
私はどこまでも無力だった。私では彼女を救えなかった。
彼女を救ってあげられる筈の存在は、今や生きているのかどうかも解らないまま、あの瓦礫の下に埋もれているのだ。
私は救えない。彼女を救える人物がいたとして、それはきっと、私ではない。けれどその人物も、彼女を救える場所にはいない。
夜の9時を回った喫茶店には、私達以外のお客はいなかった。店主がコップを洗うカチャカチャという音だけが、この空間に響いていた。
コーヒーを注文した彼女は、ふわりと花を咲かせるように微笑んだ後で、そんな無力な私を糾弾するように紡いだ。
「私はイベルタルにこの命の半分をあげたの。長くてもあと30年くらいしか生きられないと思う」
時が止まった気がした。
静かなこの空間に、彼女の綺麗なソプラノの声音が渦を巻いて漂い、私の鼓膜をじりじりと削っていくように耳元でこだましていた。
私は瞬きすら忘れて、その少女の穏やかな鉛色の目に、絶望に表情をした私がぼんやりと映るのを、ただ見ていた。
だって、久し振りに再開した友人が、いきなり自身の余命を笑顔で宣告するなんて、どうして予想することができただろう。
何かの冗談だと思いたかった。けれどシェリーがそうした冗談を得意としないことはよく知っていた。それが、こうした質の悪いブラックジョークなら尚更だ。
そして何より、彼女の鉛色をした目が全てを物語っていた。そこにはほの暗い諦念と覚悟とが映っていたのだ。
私は言葉を紡ぐことができずにただ沈黙した。そうする他に、この状況で足をしっかりと地に着けるための手段が思いつかなかったからだ。
久し振りに会うことの叶った大切な友人に、どうしてそんなことを宣告されなければならないのだろう。
どうして私の親友に、そんな緩慢な自殺を告白されなければならないのだろう。
「……どうして、」
ようやく零した音はそんな形を取った。
シェリーは笑っている。私は笑えない。私の大切な親友が、自らの命の半分を伝説のポケモンに捧げたというその事実を、受け入れることができない。
「イベルタルは繭の状態で、抵抗できないところを捕獲されて、最終兵器を起動させるためにエネルギーを吸い取られ続けていたの。
ポケモンに罪はない。悪いのは人間なんだもの。だから、人間の代表として私がそうした償いをしたとして、それはおかしなことじゃないでしょう?」
「……そんな、だって、イベルタルが苦しんだのはフレア団のせいよ。シェリーのせいじゃないのに、どうして、」
そこまで紡いで私は息を飲んだ。彼女も全てを解っているかのように、穏やかな笑顔で私を糾弾した。
この少女は誰なのだろう。本当にシェリーなのだろうか。
「シア、貴方は欲張りだわ。でも、私は貴方の欲張りがとても羨ましかった。
ゲーチス様が苦しんでいるのは他でもない彼のせいである筈なのに、プラズマ団員が居場所を失ったのは他でもない彼等の責任である筈なのに、
そんな彼等に迷わず手を差し伸べる貴方のことがとても眩しくて、そして、とても羨ましかった」
「……」
「私も、同じことをしてみたくなったの。世界を変えた人物として、その責任を取りたくなったの。私も、貴方のようになりたかったの」
「私は!」
思わず声を張り上げていた。シェリーは少しばかり驚いた顔をしたけれど、直ぐに先程までの鉛色をした目で薄く微笑んだ。
私はその鉛色の目に懇願する。
お願いだからそんなことを言わないで。私のやり方を踏襲した筈の貴方が、私とは真逆の道筋を辿ったりしないで。
私を真似るのなら、私らしく、もっと欲張りになって。「シェリー」を、簡単に諦めたりしないで。欲張りなら何よりも第一に、貴方の命を欲張って、お願い。
「私は、自分のことが大切よ。私の大切な人が大切に思ってくれる私のことを、大切にしたいと思っているのよ。
だからどんなに追い詰められたとしても、私は簡単に自分の命を捨てたりしない。貴方が羨んだ私は、そんな風に自分の命を蔑ろにしたりしない」
「……それじゃあ、これは私だけの欲張りなのね。貴方をも凌駕することが許された、私の最初で最後の欲張りなのね」
彼女はその事実を反芻して、とても嬉しそうに微笑んだのだ。私はその柔らかな歓喜の表情を見ていられなくなって思わず俯く。
どうして、どうしてこうなってしまったのだろう。何が間違っていたのか?私はどうすることもできなかったのか?
自らに迫りくるその死に恍惚としているかのような笑みを湛え続ける彼女に、何が起こってしまったというのだろうか?
絶望は犯人を求めて彷徨う。私は頭の中で犯人を捜して回っていた。
一体、誰がいけなかったというのだろう。何が間違っていたというのだろう。私が、フラダリさんが、カロスの人々が、彼女のポケモンが、それとも、その全てが?
眩暈がする頭は答えを引きずり出してはくれなかった。絶望という名の眩暈は私の目元に透明な血を漂わせた。
頬を転がり落ちる涙を私は慌てて拭った。今、ここでシェリーの言葉に屈してはいけない。私だけは彼女に飲まれてはいけない。
おそらくは涙に揺れる目で、私はシェリーを真っ直ぐに見据えた。シェリーは今も穏やかに微笑んでいた。
「泣かないで、シア」
「……泣いていないよ」
「ふふ、そうよね。泣くのは10年くらい先にしておいてくれると嬉しいな」
その言葉にさっと血の気が引いた。
10年、という単語に私は先程のシェリーの言葉を記憶の奥から引っ張り出す。
『私はイベルタルにこの命の半分をあげたの。長くてもあと30年くらいしか生きられないと思う。』
彼女は「長くてもあと30年」と言った。それは人間の平均寿命である80年から、半分と今まで生きてきた14年を差し引いた時間として妥当なものである筈だった。
それなのに、どうして今度は10年なんて、もっと短い月日を提示したのだろう。彼女は何を根拠に、10年などという短すぎる時間を示して笑っているのだろう。
「私、チャンピオンになってから、ずっとフラダリさんを探していたの」
その言葉は、まるで死刑宣告のように鋭い刃をもってして私の心臓を貫いた。
結論はもう直ぐそこまで迫ってきているのに、それを私はどうしても受け止めることができなかった。
認めたその瞬間、涙が止まらなくなりそうだったからだ。
けれど認めたくないだけで、もう、私は解っている。彼女が何をしようとしているのか、私はとてもよく、解っている。
彼女は死のうとしているのだ。
私は彼女を、止められなかった。
2015.3.30