20:五線譜に踊る葬送歌

子供達の手紙は合わせて20枚以上に及び、便箋に付属している封筒にはどう無理をしても入れられそうになかった。
フラダリは悩んだ末に、それらの一番下に自分の書いた長い手紙を敷き込んで、書類を提出する際に使われる大きな茶封筒に入れた。
彼女の手紙がやって来る前日の夜、フラダリはその茶封筒を透明な袋に入れ、ガムテープでそれを扉に貼り付けた。
あまり見栄えはしないが、この位置に手紙を貼るための手段としては及第点だろう。

「彼女」に宛てたことが解るように、茶封筒の表に彼女の名前を書いておいた。フラダリは迷ったが、敢えて彼女がこのカフェで使っていた偽名の方を選んだ。
今回、彼女の手紙に返事を書いたのは子供達だ。勿論、フラダリの手紙も含まれていたが、今回の主役は彼等だ。
彼等が彼女を「シア」と呼び、慕っていた以上、それが正しい名前だと信じていた。

いつも彼女の手紙が貼られる場所に、その大きな茶封筒は鎮座していた。
明日、その茶封筒がなくなっていたならば、信じがたいことではあるが、彼等の手紙が「彼女」に届いた、ということだ。
フラダリはその夜、眠れなかった。その扉を夜通し見張っていようなどという思いはなかったのだが、横になっても眠気は襲って来なかったのだ。
代わりに膨れ上がって来たのは期待だった。遠足の前夜に眠れずにいる子供のように、フラダリの目は冴えたままだったのだ。

そんな静かな夜更けに、カフェの扉を揺らす音がフラダリの耳に届いたのは必然だったのだろう。
時計の針は1時を回っていた。それはあの時、「彼女」にそっくりな幽霊が姿を現した時刻と同じだった。
その音を、ガムテープで張り付けた茶封筒を取る音だとフラダリが判断して飛び起きたとして、それは当然のことだったのだろう。
フラダリは地下の寝室から階段を駆け上がり、カフェの扉を勢いよく開けた。

そこにあった筈の茶封筒が消え、代わりに、いつもの手紙が貼られていた。

「……」

その幽霊の存在を、フラダリは確信せざるを得なくなってしまったのだ。

子供達に「手紙は無事に届いたようだ」と伝えれば、カフェの中にわっと歓声が満ちた。
返事はいつ来るのかと尋ねる子供達に「少なくとも来月だ。あの幽霊はひと月に一度しか手紙を書かないからね」とフラダリは返した。
子供達はその言葉に頷いたが、彼等はそれから1か月の間、常にそわそわしていたような気がする。
どこか不安気に、それでいて期待に満ちた眼差しが、カフェの中をずっと覚束なく泳いでいたのだ。

今までなら、それは「幽霊」という未知の存在からの返信に込められた期待だと、ありのままに解釈していただろう。
けれど、そうではなかったのだ。彼等は幽霊からの返信ではなく、「彼女」からの返信を待っていたのだ。
もう会えないと思われていた「彼女」が、幽霊となって自分達とコミュニケーションを取ってくれるのだろうかという、その期待と不安に彼等の目は揺れていたのだ。
子供達はあまりにも真っ直ぐで、それでいてとても繊細で正直で、優しかった。

そうして1か月が経過した日の朝、フラダリは震える手でドアを開けた。そこにはいつものように、淡いオレンジ色の手紙が貼られていた。
そしてその下には、先月の彼が用意していたものよりも大きな茶封筒があった。

フラダリはそれを物凄い勢いで取り上げた。かなりの重さがあるその茶封筒に手を掛けようとして、しかしその手は不自然なところで留まる。
……そうだ、どうせなら彼等にこのままの形で見せてあげよう。彼等が来るまで、この封筒は開けずにいよう。
この、不思議な幽霊からの返信は、彼女を慕った子供達に宛てられたものなのだから。

……シェリー、君は20通を超える手紙の返信を、この1か月で書いていたというのか?カロスの言葉が苦手だった、君が?
フラダリは心の中で「彼女」に問い掛ける。当然のことながら答えは返ってこない。けれどそれでよかった。
これからはこの「手紙」を通じて、いつでも彼女と話ができるのだから。この大きな返信はそれを意味していたのだから。


失った存在を取り戻せると信じていた。そこに「彼女」の姿が、声が、温度がなかったとして、それでも構わなかった。その返信が「彼女」からのものだと確信していたからだ。


「おじさん、おはよう!」

そして今日も子供達がやって来る。彼女が愛した、彼女を慕った子供達が、今日も彼女の居場所であったこのカフェへと訪れる。
朝一番に顔を見せるのは、決まってこの3人組だった。フラダリは挨拶を返し、微笑んでその大きな茶封筒を掲げた。

「皆が集まったら、手紙を渡そう。それまで中で待っていなさい」

3人は歓声を上げて中へと駆け込む。走らないようにと咎めながら、自身の心も浮ついていることにフラダリは気付いていた。
やがてカフェに通っていた全ての子供達が集まると、フラダリはその茶封筒に鋏を入れた。
中の手紙まで切ってしまわないでね、と誰かに掛けられた声に苦笑しながら、フラダリは中に入っていた大量の手紙を取り出した。

20枚を超える白い封筒の一つずつに、差出人である子供達の名前が書かれていた。
まるでテストを返却する時のように、フラダリが名前を呼び、子供達がそれを受け取りに行く。
ただしテストの時と異なるのは、皆が一様に期待に満ちた表情をしていることだ。彼等は手紙を受け取り、その中身に歓声を上げた。
フラダリが覗き込もうとすると、慌てて逃げ出したり、手紙を伏せたりして見られまいとしていた。その様子がおかしくてフラダリは声をあげて笑う。

「……?」

そしてフラダリは気付いた。1通だけ、違う色の封筒が紛れ込んでいることに。
宛名のないその青い封筒は、おそらくフラダリに宛てられたものだろう。しかしフラダリは既に、いつもの淡いオレンジ色の封筒を受け取っている。
この不思議な幽霊がフラダリにも返信を書いてくれているとして、それはしかし、あの淡いオレンジ色の封筒の中に入っているのだとばかり思っていたのだ。
一度に2通の手紙を書いたのだろうかと思ったが、僅かな違和感があった。それはフラダリの傲慢とも呼べる違和感だったのだが、しかし確信を突いてもいたのだ。

それは「彼女に青は似合わない」という、とても傲慢で小さな、けれど大きすぎる違和感だった。

フラダリはその封筒をそっと開け、二つ折りにされた便箋を取り出して開けた。
白いカーネーションの写真が隅に印刷された、とてもシンプルな便箋に、たった数行の文章が綴られていた。

「……」

「おじさん、どうしたの?」

その瞬間、フラダリはその手紙を握り潰していた。

ぐしゃり、という紙の潰れる音に、何人かの子供が小さく悲鳴を上げる。フラダリは深く俯き、手紙を握っていない方の手を強く、強く握り締めた。
決して長くはない爪が、彼の掌に食い込み、血が滲み始めた。それでも彼は握った手の力を緩めなかった。

どうしたの?おじさん、大丈夫?泣かないで、おじさん。
子供達はフラダリが初めて見せた涙に驚き、困惑し、けれどもそんな彼を労るように、励ますように優しく声を掛けた。
その真っ直ぐな優しさに触れていることにすら、今のフラダリには耐えられなかった。けれどその慟哭を、この子供達に聞かせる訳にはいかなかった。
一筋だけ、涙の跡を残したフラダリは、それを誤魔化すようにぎこちない笑みを作ってみせた。

「すまない、大丈夫だよ」

「……いいんだよ、おじさん。泣きたい時は泣いてもいいんだよ」

そんな気遣いをさせてしまったことがやるせなくて、フラダリは今度こそ困ったように笑った。
彼女が愛した、彼女を慕った子供達。フラダリは彼等のために生きることを決意していた。彼等が大人になるまでは、決して彼女の後を追うまいと誓っていたのだ。

「でも大丈夫だよ、おじさん。だってこれからはいつだって、幽霊さんと手紙でお話しできるんだから」

「……ああ、そうだな」

その覚悟を脳裏で繰り返し唱えたフラダリは、ようやく笑うことができたのだ。
この子供達を不安にさせてはいけない。彼等は知らないのだから。何も、何も知らずに信じているのだから。数分前のフラダリと同じように、信じていたのだから。
子供達は知らない。「彼女」の字がとても荒っぽいことを。とても濃い筆圧で、半ば書き殴ったような形をしていることを。

「彼女」の字は、こんなにも美しい形をしてはいないということを。

この返信は「彼女」からのものではないということを。


2015.4.2

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