※曲と短編企画、参考BGM「花が散る世界」
少女はある日、不思議な花束を買ってきた。40㎝の立方体のガラスケースに入れられた、不思議な花束だ。
真っ赤な薔薇の隙間に、白いカスミソウが散りばめられている。
赤が好きな少女らしい花束だとフラダリは思ったが、その大きなガラスが自分の方へと差し出された瞬間、その青い目を見開いて驚いた。
「フラダリさんと一緒に暮らし始めてからもう直ぐ一年が経つのに、貴方の誕生日をお祝いしたことがありませんでしたから」
「……それは君も同じだろう」
すると彼女はそのガラスケースを抱えたまま、とても驚いた表情を見せた。
「私の誕生日を、祝ってくれるんですか?」
そんな風に、とても嬉しそうに目を輝かせていうものだから、フラダリはすっかり彼女のペースに飲まれてしまった。
この少女は何を好むのだろう。何を贈れば喜んでくれるのだろう。そんな風に考え始めた自分に苦笑する。
ミアレシティのフラダリカフェ、その奥にあるフレア団のアジト。息を潜めるようにして暮らしてきた二人は、最早自分と相手の境目を失くしつつあったのだ。
「あの、受け取ってくれますか?」
そう言われて、フラダリはそのガラスケースを、ずっと少女に持たせたままにしていたことに気付いた。
随分と大きなプレゼントを、フラダリはようやく受け取る。薄いガラスで出来ているそれは思っていたよりも軽く、フラダリはその中に横たわる花束をじっと見つめた。
「その花束は枯れないんです」
「枯れない……?そんなことが、」
「あるんです。プリザーブドフラワーって、知っていますか?加工された、絶対に枯れない花なんですよ」
フラダリは少女のそんな解説に驚きながら、その知識を得た状態でもう一度花束を見る。
……確かに、生花に比べて花弁が硬く見える。おそらくは腐敗しないよう、水分を極限まで取り除いたのだろう。
そんな加工技術があることにも驚いたが、そんな高度な技術をもって加工された花のことだ、決して安くはないのだろう。
そんな花を、あろうことかこんなに大きな花束にして買ってきた少女の大胆さにも驚きを隠せない。
「……ありがとう。大切にしなければいけないな」
「いいえ、大切にしなくてもいいんですよ。だって枯れないんだもの」
その言葉にフラダリは息を飲む。そこには穏やかな少女の鋭利な思いが込められているような気がしてならなかったからだ。
枯れない花を大切に扱う必要はない。何故ならぞんざいに扱ったところでその花は枯れないのだから。
とても合理的な彼女の主張の裏に、自身への非難が込められているような気がしてならなかった。背中を冷たい汗が伝う心地がした。
「君は何が好きだ」
それを誤魔化すようにそう尋ねてみる。
少女は少しだけ考え込む素振りをした後で、首を小さく傾げ、紡いだ。
「花を下さい」
その言葉にフラダリは頷き、出掛ける準備をする。
当たり前のように同行しようと隣に肩を並べた少女に、フラダリは少しだけ驚いてしまった。
「……君へのプレゼントを買うんだ。君が付いて来ては意味がない」
「だって私が付いていかないと、フラダリさん、私と同じ花を買ってきてしまうかもしれないでしょう?」
その言葉に隠された真意を読み解き、フラダリは僅かに苦笑してみせる。
「生花の方がよかったのか」
少女は頷く代わりにフラダリの手を強く握った。そっと握り返せば、彼女は本当に嬉しそうに笑ったのだ。
*
フラワーショップから赤いカサブランカの花束を持って出てきたフラダリに、少女はとても驚いた様子を見せた。
店の前まで同行しておきながら、店内に入ることなく待っていた少女にそれを差し出す。彼女は僅かに顔を赤くして紡いだ。
「私、赤いカサブランカが好きだって伝えたこと、ありましたっけ」
「……いいや、聞いたことはない。ただ、この花が好きであればいいとは思っていた」
フラダリもその、屹然と咲き誇る大輪に心を奪われていたのだ。そして、少女もこの花を好いてくれればいいと思っていた。
それが思わぬ形で実現したことにフラダリは安堵し、そして喜ぶ。その花束を受け取った少女は、その赤い大輪に見入っているようだった。
「綺麗……」
愛おしむような眼差しを向けてそう紡ぐ、その言葉はもうカロスの言語だった。
イッシュ地方からやって来た彼女は、カロスに溶け込めないこと、カロスの言語を使いこなせないことに強い劣等感を抱いていた。
ぎこちなくカロスの言葉を紡いでいた少女にイッシュの言葉で話し掛けた時の、彼女の嬉しそうな顔を男は忘れていない。忘れられる筈がない。
思えば、あの時からだった。少女がイッシュの人間であると見抜いたあの瞬間から、自分はきっと少女に捕えられていた。
あれから長い時間が経った。少女はもうすっかりカロスの言葉を使いこなしていた。
ただし、その流暢な言葉がフラダリ以外の人間に紡がれることはない。少女はカロスに溶けることを止め、永遠の命を持つフラダリに溶けることを選んだのだ。
「大切にします」
先程、否定されたフラダリの言葉と同じそれを、少女は愛おしむように紡いで笑った。
「それは枯れてしまう花だが、構わないのか」
「はい。だって枯れずに綺麗なままでいられてしまったら、私はこの花を看取れないでしょう?」
その言葉にフラダリは息を飲んだ。
強い風が吹き、カサブランカの花束を揺らした。少女は風の吹き付けてくる方向に背を向け、花束を守るようにそっと抱き締める。
困ったように笑う彼女の手を、フラダリは強く引いた。
この少女は自分を咎めない。叱らない。けれど肯定もしない。フラダリの思想を、少女は絶対に認めない。
「私はきっと、私が貴方に贈った、あのガラスの中の花束より先に死んでしまいますから」
「……」
「それが私の選び取った世界だから」
少女は、あと一週間もすれば色褪せてしまうであろうその花束を抱えて笑った。
そこにはフラダリの直視することのできなかった、枯れてしまったその先をも愛する心があった。
枯れてしまった褪せる姿も含めて花の美しさなのだと、その声音は雄弁に語っていた。
フラダリと少女は相容れない。少女は絶対にフラダリの思想を認めない。
そして、それはフラダリも同じである筈だった。自分はこの少女に敵わなかったけれど、それでも自分の思想に間違いはないのだと信じていた。
そして、それはこれからも変わらない筈だった。
それなのに、何故、フラダリはこの少女の笑顔に締め付けられるような寂しさを覚えているのか。
答えの見つからない疑問を打ち消すように、フラダリは握ったその手に力を込めた。少女は少しだけ驚いたように笑って、更に強い力で握り返した。
「あのガラスの中の花束より先に死んでしまう」と紡いだ少女の「死」が、フラダリの考えているよりもずっと早くやって来ることを、この時の彼はまだ知らなかったのだけれど。
2015.2.25
くまさん、素敵な曲のご紹介、ありがとうございました!