10:真実

「おじさん、最近、シアがいないね」

フラダリカフェにやって来た10歳程の少年は、その奥で食器を片付けていた男にそう問いかけた。
彼女がやりたいと望んでいた、ポケモントレーナーの旅路を支える活動を、フラダリは細々と行っていたのだ。

この活動を2年程しか続けられなかった彼女の意志を継ぐように、彼はミアレに住む子供達や、この町を訪れるポケモントレーナーと関わり続けていた。
カフェで軽食を振舞うのは少女の役目だったが、残念ながらその仕事を完全に引き継ぐことはできなかった。
故に振舞えるのは飲み物くらいだったが、それでも子供達はフラダリを慕い、この場所を訪れていた。
ポケモンバトルをしたり、旅のアドバイスをしたりしながら、彼はこうして子供達と交流を持っていたのだ。

「……そうだな」

「ねえ、シアはいつになったら帰ってくるの?」

シア、というのは彼女が使っていた偽名である。
少女の唯一の友人であるというその名前を借りて、彼女は決して自分がシェリーであることを知られないように生きていた。
彼女の本当の名前を呼ぶのが自分しかいないというその事実は、当時のフラダリの心を不可思議な温度でくすぐった。

「おじさんだけでは不満か?」

彼は少しだけからかうようにそう問い掛けたが、少年は首を大きく振ってフラダリを見上げる。

「僕もそうだけど、おじさんがもっと寂しそうだから」

その言葉にフラダリは息を飲む。
縋るようにこちらを見上げるその澄んだ目の輝きには強烈な既視感があった。彼は込み上げてくるものを噛み殺すように静かに微笑み、少年の頭をそっと撫でる。
ねえ、いつ帰ってくるの?と尚も問いかける少年に、フラダリは真実を告げることにした。

「25年だ。25年待たなければ、彼女は迎えに来てくれないのだよ」

25年という年月は、まだ10歳程の少年には永遠とも感じられるような長さだったようで、彼は驚きに目を見開いたまま絶句した。
長い沈黙の後で「……どうして?」と少年はまたしても縋るようにフラダリを見上げる。

「わたしと彼女の約束だからだ」

フラダリは微笑んで、徐に外を見る。そして息を飲んだ。
そこにはとてもではないがカフェの中に入れそうもない、大男の姿があったからだ。
首を傾げる少年に「少し出掛けてくるよ」と告げ、フラダリはカフェを飛び出す。大男の手には、小さな紙袋が握られていた。
少女が男の元を去ってから、2週間が経過した日のことだった。

「彼女から預かった手紙はこれで全部だ」

ミアレシティの南にあるゲートを抜けて、二人は4番道路に向かった。AZは手紙が入った紙袋をフラダリに手渡した。
フラダリはそのあまりの量に絶句するしかなかった。この大量の手紙が、全て自分に宛てたものであるという事実がまだ信じられなかったのだ。
いつの間に、とフラダリは思った。彼は少女が手紙を書いているところなど、見たことがなかったからだ。
少女はずっと、フラダリに隠れて、フラダリに宛てた手紙を書き続けていたのだ。
あの少女が、カロスの言葉すら満足に操れなかったあの臆病な少女が、何故、これだけの手紙を。

全てのことがフラダリの理解の及ばないところで回っていた。彼は紙袋の一番上に重ねられた手紙を手に取った。
先月の日付が刻まれたその封筒に、目眩のする頭で考える。しかし思考を巡らせるまでもなく、AZが答えを差し出した。

「60通だ」

「60通……」

「1か月に1通、彼女は私の元へとやって来て、この手紙を預けていった。いつか自分がいなくなったら、まとめて渡してほしいと」

AZは茫然とその手紙を手に立ち竦む彼を見ながら、ただ沈黙した。
この男に自分と同じ、永遠の命が刻まれていることを、AZは少女から聞いて知っていた。
彼女はそのことに憂うることも喜ぶこともせずに「私のしたいことは変わらないので」と悲しそうに笑った。

その華奢な身体に蓄積された毒は、数年の時を経て花開いたらしい。
自分が止めていればよかったのか、とAZは少しだけ後悔して、しかし直ぐに首を振った。
あの少女は止めても向かっただろう。何故なら彼女はフラダリを愛していたからだ。
勿論、彼女の口からそのような言葉を聞いたことはない。だがその姿は、3000年前の男に酷似していたのだ。
昔々、本当に遠い昔、男はそうやって愛する者を救った。どうしてAZに彼女を止めることができただろう。

5年前の事件の舞台となったセキタイタウンは、今ではもう以前の穏やかさと静けさを取り戻している。
あの時期こそ、記者や土木建築の業者が次々と押しかけていたが、今では「あの町の中央に大きな花が咲いていた」と言っても殆どの人間が首を傾げるだろう。
時間の流れは記憶を絡め取ってしまう。3000年の時を生きた男は、そのことを十分に理解していた。
けれどAZは忘れていない。忘れる訳にはいかない。自らが犯した罪を、その罪を最期まで糾弾し続けた少女を、そしてその罪を利用した一つの命のことを。
そして、それはフラダリも同じだったのだろう。彼が愛した少女は色褪せない。彼は少女を忘れない。

「……」

花の咲き乱れる4番道路で、フラエッテが小さく声をあげてはしゃいでいた。
しばらくそうして野生のフラベベと遊んでいたが、ふいにふわふわとAZの元へと戻って来る。そしてAZの視線の先を追うように、フラダリの元へと漂う。
彼は少女が書いた最後の手紙に目を通していた。その手と肩は震えていて、フラエッテは彼を心配そうに見上げる。

『私を忘れないで。』
最後に書かれたその言葉が滲む。

「皮肉なものだ。数多の命を葬り去ろうとしていた男が、一人の死に涙を流すか」

それは決して、言ってはいけない言葉だったのかもしれない。けれどAZは、止められなかった。
何故ならそれは糾弾の言葉ではなかったからだ。それは紛れもないAZの安堵を示していたのだ。
フラダリがあの少女に変えられたことは明白だった。彼の涙がそれを証明していた。

シェリー、これがお前の望んだ結末か。

「これからどうする」

「25年、待ちます」

AZの問い掛けに対して、フラダリは予め用意していたかのように流暢にその答えを紡いだ。
その意味を図りかねた男が首を傾げると、彼はその手紙を丁寧に折り畳んで便箋に仕舞う。紙袋の中に入れて、肩を竦めるようにして笑ってみせた。
その目元は濡れていて、その声音はまだ震えていたのだけれど。だからこそ、その言葉には相応の重みがあったのだと、AZもフラダリも知っていたのだけれど。

「25年経てば、彼女がわたしを迎えに来ると約束してくれたのです」

さも当たり前のようにそう言って彼は微笑む。
もういなくなってしまった少女が、フラダリの目の前に姿を現すことなど、できる筈がない。にもかかわらず「迎えに来る」と告げた彼の言葉の意味を、AZは正しく理解していた。

25年。3000年の時を生きた自分には僅かな時間だとAZは思う。
しかし希望を探しながら生きていたAZの3000年に、希望を失ったフラダリの25年は均衡が取れているようにも感じられた。

「彼女は全てを捨ててわたしを選んだのだ。ならばわたしも、全てを捨てて彼女を選んだところで文句は言われまい」

違う、そうではない。あの少女は、全てを捨ててこの男だけを選んだように見えるが、それはしかし彼女の真実ではない。
そう諭す代わりにAZは小さく頷いた。真実など、それこそ人の数だけあるのだ。
彼の真実と少女の真実が噛み合わなかったとして、それが真逆の様相を呈していたといて、それは当然のことだったのだ。

「後でセキタイタウンに来い。彼女が育てていた苗木がある」

「……苗木?」


「私の100分の1にも満たない永遠だが、それでも一人で過ごすには長すぎるだろう」


AZは僅かに微笑んでから踵を返した。フラダリは引き止めなかった。フラエッテはAZの背中を追って宙を駆けた。
セキタイタウンに植えられた一本の木には、オレンジ色の花が咲いていた。

彼の永遠に、まだ迎えは訪れない。


2013.10.24
2015.3.28(修正)

Thank you for reading their story.

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