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こんな土砂降りの中、美術館に来ようなどという物好きはそういない。広いその場所は貸切状態だった。
受付の人も、まさか来館する人がいるとは思っていなかったらしい。サービスですと無料で解説ナビを渡してくれた。

「絵を描いたことはある?」

「……小さい頃に、少し」

「また描いてみせてよ。君の絵が見たいな」

言葉を噛み締めてから、浮かんだ答えをカロスの言語に変換する。少女との会話はとてもゆっくりとしている。
普段の旅ではこんな風に、少女のペースに合わせてくれる人などいない。そもそも少女は自分が余所者だと知られたくないらしい。
少なくとも、あの4人の子供達には自分の出身を明かしていない。
少女はカロスに溶け込みたいと言っていたが、その意地がかえって少女の首を絞めているように感じられた。

「ボクもこれくらい上手に絵が描けたら楽しいだろうなあ」

その言葉を咀嚼した少女は、訝しげに首を捻った。

「研究所の、絵は……」

「ああ、あれは知り合いの絵描きさんが描いてくれたものだよ。たまに譲って貰えるんだ」

ボクの絵はあんなに上手くないよと言って笑った。
自分の才能に見切りを付けるのは得意だった。そうして無駄な足掻きを切り捨てて、そしてようやく恵まれたものに出会えた。
研究という仕事は彼にとって天職だった。
それでも絵を美しいと思えるのは、その裏に人間と才能との邂逅を見るからだ。
あるいは自分のような凡人が、足掻いた末に辿り着いたものを美しさをいう形で見ることができるからだ。
人は働いている時が最も美しいというが、その通りだと思う。何かに打ち込む様はとても美しい。

暫く彼の隣をゆっくりとしたスピードで歩いていた少女だが、気になるものを見つけたらしくその歩幅を大きくした。
彼もその後に続いて、そしてその目を見開く。それはイッシュのとある町を描いたものだった。
ミアレシティに似た円形の町だが、こちらは海に面している。立ち並ぶ高層ビルの様相も、ミアレとは一線を画していた。

「君は此処に住んでいたのかい?」

「……いいえ」

それじゃあどうして泣きそうな顔をしているの、と聞くのはあまりにも野暮だった。彼は黙ってその絵を見つめることにした。
少女は表情を変えない。ただ呆然とその鮮やかな町を見ている。
声を掛けられなかった。少女が何を考えているのか解らなかった。
旅に出たいと言ったのは他でもない少女だったが、この旅は少女に何を与えたのだろう。
そう彼が思った瞬間、少女は小さく開いた口から唐突に爆弾を投げる。


「旅を、止めます」


冷静な思考を働かせる余裕はなかった。気が付けば彼は少女の肩を掴んでいた。

「どうして、」

我に返った時にはもう遅かった。彼女は怯えた目で自分を見上げていた。
慌てて少女の肩から手を離し、その場に屈んで彼女と目線を合わせる。ごめんねと謝罪すれば僅かに首を振ってくれた。

「……旅は、苦しかった?」

「いいえ」

「飽きてしまったかな」

「違います」

彼女は喉元にそっと手をやり、沈黙した。
怯えている。言葉を探している。その時の少女の癖だった。
その長い沈黙にそぐわない短い言葉が、ぽつりと零れ出る。

「怖く、なって……」

しかしその一言は雄弁だった。今度こそ彼は躊躇わず、大きく首を振った。

「君は何も悪くないんだよ」

「……」

「君はフレア団を止めた。そのことでフラダリさんも救った。君が怖がることなんか何もない」

彼は知らない。あの時、少女に起きたことを何一つ知らない。
だからその言葉には何の根拠もないし、悪くすれば間違っている可能性さえあるのだ。
それでも彼はそう言わなければいけなかった。

少女はあの日のことを何一つ口にしない。
だからこそ彼から尋ねるのは憚られたし、彼女も口には出さなかった。
違うと否定したのは心からの言葉だった。他でもない彼がそう信じていたかったからだ。

貴方は何も知らないからそんなことが言えるんだ、とか、いい加減な言葉で励まさないで、とか、そんな風に感情を晒してくれれば良かったのだ。
しかし少女は黙っている。ただ黙って、困ったように笑っている。
どうして怒ってくれないのだろう。どうして泣き喚いてくれないのだろう。
しかしそんな懇願は根本的に間違っている。そんな風に感情を出せないからこそ少女は困り果てているのだ。
それを解決するには長い時間と多くのコミュニケーションが必要だと彼は感じていた。
その為にこの時間がある。だから焦ってはいけない。

「君は何も悪くないんだよ」

その言葉の槍は少女に突き刺さるが、その傷口から透明な血が零れることはないのだ。


2013.10.28

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