甘党

とある日の夕方、パキラはポケモンリーグを抜け出し、サングラスを外した比較的地味な格好でカロスの町を歩いていた。
ニュースキャスターや四天王を務める彼女は、カロス地方でも名が知れている。そのため、パキラは敢えて派手なサングラスや真っ赤な服を好んで身に着けていた。
そうした華やかな自分しか知られていないという事実は、パキラの自尊心を高めてもいたのだ。
誰も自分のことを知らない。自分の中核は誰にも知られていない。だからその中核を隠すように纏った装甲を誰がどのように言おうが知ったことではない。好きに言えばいい。

そんな彼女が、こうして地味なベージュのコートを身に纏い、お気に入りのサングラスを外してミアレの町を歩いているのには理由があった。
それが、この後予定されていた「友人」とのティータイムであり、パキラは密かにこの時間を楽しみにしていたのだ。
勿論、そのようなことをこのプライドの高い彼女が口に出す筈もないが。

折角のお楽しみを、有名人に群がる市民やマスコミにぶち壊しにされては敵わない。だからこそパキラは、自分の象徴とも言えるサングラスと赤い服を脱いできたのだ。
そして、この友人の前では、パキラは自分を覆う装甲を身に着ける必要がない。
つまりはこのプライドの高い女性が、彼女になら自分の中核を知られてもいいと思っている、ということである。

シェリー!」

ミアレシティにあるカフェの前で、彼女は大きく手を振り、待ち合わせている友人の名前を呼んだ。そこに立っている少女に、自分の存在を知らしめる為である。
こうすればその少女は、その曇った顔にぱっと花を咲かせ、すぐさま駆け寄ってくれることを知っているのだ。

「パキラさん、こんにちは!」

「ごきげんよう。……あら、ツインテールにしたのね」

オレンジ色の髪にそっと触れると、少女はくすぐったそうに肩を竦めた。
出会った頃よりも更に伸びた髪は、下ろせばもう腰まで届くような長さになっているのだろう。

「変ですか?」

「いいんじゃない?そんなこと気にせずに、若いんだからもっとお洒落をしなさいよ。……そんな真っ赤な服ばかりじゃなくてね」

パキラがベージュのコートを選んだもう一つの理由はここにあった。自らが赤を纏わずとも、この少女が真っ赤な服を着て現れることなど容易に想像が付いたからだ。
そして、パキラはこの少女に以前、「その服はやめてしまいなさい」と豪語していたのだ。
そんな少女の前で、自らが赤い服を身に纏うことがどうしても躊躇われたとして、それはきっと当然のことだったのだろう。

「でも、今日は帽子が白ですよ」

ね、と軽くカノチェを掲げてみせる少女に苦笑しながら、パキラはカフェへの扉を開いた。
最奥の椅子にどっかりと尊大な構えで腰かけたパキラは、やって来たウエイターにさらりと注文をする。

「ここからここまで、順番に持ってきて。ドリンクはコーヒーだけで結構よ」

空気が凍り付いた音を、向かいに座っている少女は確かに聞いた。

「いつものことですが、あの注文の仕方はかっこいいですよね」

向かいでティラミスを頬張りながら、少女は笑顔でそう紡いだ。
既にケーキ5皿とジェラート2皿を平らげているパキラは、手持ち無沙汰になったスプーンを弄ぶように空中で振り回し、その先を少女のティラミスに向ける。

「あ!駄目です、これは私が食べるんです!」

「何を言っているの、私のお金よ」

「気にしないでいいって言ったじゃないですか」

「っとに憎たらしいわね!」

パキラはティラミスにスプーンを突き刺し、反対の手で少女の頬を軽くつねった。
痛い痛いと騒ぐ少女に高笑いで返し、しかしスプーンで差し出されたティラミスに「可愛いことしてくれるじゃない」と言ってテーブル越しにくわえた。
ほろ苦いココアパウダーが舌を踊る。美味しいでしょう、と尋ねる少女にパキラは考え込んだ。

「先週行ったところの方が美味しかったわね」

「パキラさん、聞こえます、聞こえますから!」

慌てたように早口でパキラを咎める、その少女の目元にもう隈は見えない。
華奢を通り越して触れれば折れてしまいそうな程に細かった少女の頬には、しかしもう影を見つけることができない。
出会った頃よりも更に長くなった髪はまだオレンジ色のままであったが、それも丁寧に梳かれ、ツインテールに結ばれていた。
彼女が一般に呼ぶところの少女らしさを一つずつ取り戻していく度にパキラは安堵し、そしてそんな自分を滑稽だと笑った。
けれどその確かな安堵をなかったことになどできる筈がなかった。

豪胆なこの四天王のことを、少女は年の離れた姉のように思っていた。
それはパキラも同じで、この危なっかしい子供のことを、実の妹のように可愛がっていたのだ。
それは同情からだろうか。大切なものを失った者同士が惹かれ合ってしまったのだろうか。
それともただ寂しかっただけなのだろうか。パキラの一方的な庇護欲に少女が付き合ってくれているだけなのだろうか。
いずれにせよ、二人は長い時間を掛けてお互いの立場を許し合えるようになっていた。
ポケモンリーグでの邂逅から長い時間が経過していたが、二人の傷は少しずつ癒されていたのだ。それは本当に少しずつの治癒ではあったのだけれど。

「人間、美味しいものを食べていれば何とかなるのよ」

そう言って、パキラはよく少女をミアレに点在するカフェに連れて行っては、今日のように大胆な注文をして少女を驚かせた。
そんな時間も、美味しいケーキやジェラートも、二人の間で交わされる会話も、少女のためと言いながら、半分は自分のためだった。
この少女といる間は、彼女も彼女でいられたのだ。
この少女になら、自らの憎悪を全て曝け出した相手である彼女になら自分を知られてもいいと思った。そんな気持ちはパキラの心を穏やかにした。

「でも、もうミアレのカフェは大体巡ったわね。次はデパートにでも行きましょうか」

「デパートに美味しいお店があるんですか?」

「馬鹿ね、貴方の服を買いに行くのよ。私が買わないと、貴方はいつまでも喪服のままのようですからね」

その言葉に少女の表情が少しだけ曇った。パキラは苦笑して少女の頭をやや乱暴に撫でる。

「安心しなさい。貴方があの人を忘れたって、誰も貴方を責めないわ」

まだ、難しいのかもしれない。少しずつでいいと思った。寧ろパキラにとってはこの時間が長く続けば続くほどよかったのだ。
そんなことを思っていると、少女は少しばかり躊躇った後で恐る恐る、口を開いた。

「パキラさんは?」

「は?」

「パキラさんは、私を責めないんですか?」

パキラはその言葉に一瞬、自分の取るべき立場を見失いそうになって焦った。
しかしそれは本当に一瞬だった。その言葉を一笑に付してパキラは足を組んだ。

「馬鹿ね、責めているわよ。だからこうしてカフェに連れてきているんじゃない。見ていなさい、今にシェリーの体重がみるみる増えるわよ」

「あはは、そっか、そっかあ」

少女は本当に嬉しそうに笑った。
しかしそんなことを全く気にしないという風に、ティラミスの残りに手を付け始めた少女を見て、パキラは何故か安心したのだ。

この少女はきっと一生あの人を忘れないだろう。しかしそれでもいいと思えた。
忘れられるならそれが最善だったのだろう。しかしそうしなくとも少女は笑顔でいられるのだ。
それが自分のおかげであればいい。そうでないなら、しかしそれはそれでいい。
パキラは笑った。最後のジェラートが長い伝票と共に運ばれてきた。


2014.2.13

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