22

枯れた夜顔のツルには、黒い種が大量に宿っていた。

プラターヌはそれをできる限り多く採取して、瓶に詰めて保存していた。
図書館に赴き、夜顔はいつ頃に種をまくものであるのかを調べた。4月になるとフシギダネ達と一緒に、瓶の中身を禁じられた森の入り口へと撒いた。
すっかり軽くなった黒い種は、強い夕方の風に吹かれて森の奥へとあっという間に吸い込まれてしまった。

何処まで飛んで行ったのかも解らなくなってしまった黒い種であったが、1週間ほどでその所在が明らかになった。
黒い種は若草色の芽となって、森の入口に近い場所から次々と頭を出し始めたのだ。
天を仰いだ新芽は勢いよく伸びて、数多の葉を伸ばし、ツルを伸ばし、6月頃には見覚えのある光景がすっかり出来上がっていた。
倒れた巨木を覆わんとする勢いで成長した夜顔を、懐かしむようにプラターヌは目を細めた。

梅雨に入って直ぐの頃、フシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメは、ほぼ同時期に進化した。
プラターヌの意図したところではなかったのだが、仲良しの彼等は全く同じタイミングで進化することを選んだのだった。
命というのはそうした不思議なところがあるのだと、解っていたから彼はもう特に驚かなかった。

尻尾の大きくなったヒトカゲとカメールが競うように前を駆けて、美しい蕾を付けたフシギソウは彼の隣にぴたりと並んで歩いた。
彼等に伸びる影もまた、当然のように長く大きくなっていた。プラターヌの影だけが変わることなく彼等の傍に在った。
変わり続けていると思っていた彼の変化も、けれどポケモンの目覚ましい進化の前には微々たるものでしかないのだということに気が付き、彼はおかしくなって、笑った。

7月、終業式を迎えて、ホグワーツはあまりにも静かになった。
生徒達はそれぞれの自宅に戻っていく。毎年の流れ、当然の動きだ。けれど教師であるプラターヌとフラダリは戻らなかった。
もっとも、ゴーストには休みも何もあったものではないため、彼等は夏休みであろうとホグワーツの中に彷徨い続けていた。
半透明でない生徒は、あの難解な魔法を使いこなす「K」を置いて他にいなかった。そういう訳で夏休みの間、この稀有な魔法使いは殊の外、目立っていたのだ。

「へえ、夜顔、咲いたんだ」

そんな彼女に見守られながら、夜顔が咲いた。7月も半ばに差し掛かった頃のことだった。
倒れた巨木の上へと尊大に腰掛けて膝を組み、夜風に揺られる無数の丸い月を物珍しそうに眺めていた。

「あたしは朝顔しか育てたことがないんだけど、これもなかなかいいじゃない」

小さな彼女が夜顔へと俯けば、前下がりになったワンレンボブも彼女に倣うように下を向いた。
近くの枝に巻き付いていた夜顔の花を、その黒い毛先がくすぐっていた。その黒がどうにも艶やかなもののように思われて、プラターヌは苦笑しつつそっと目を逸らした。

8月になれば、新入生の世話をするために、各寮から一部の先輩達がホグワーツへと戻って来る。ラプラスに乗ってやって来た新入生は、ネクタイを締めずに仮の寮へと案内される。
小さな魔法使い達は、一人一つだけタマゴを受け取り、孵るまで肌身離さず連れて歩くのだ。
まだ見ぬ命に思いを馳せながら、彼等は自らがポケモントレーナーになる日を夢見て、ホグワーツを歩き回っている。やがてタマゴにひびが入り、新しい命が生まれてくる。

タマゴから孵ったポケモンとのコミュニケーションの取り方を教えるのは、プラターヌを始めとする教師陣の役目であった。
ポケモンのことに関しては、主席でホグワーツを出たフラダリよりも、専門であるプラターヌの方が一枚上手であった。
旧友に「解らないことはあの先生に訊くといい」と、自分のことを紹介されるのはどうにも面映ゆい気分であった。けれども、少なからず嬉しかった。

9月になり、プラターヌは3年と4年の授業を受け持つこととなり、授業の数は去年の倍に、仕事は去年の3倍になった。
目の回るような忙しさだったが、その実、満たされていた。
その忙しさの中で、夜顔は次第に数を増し、禁じられた森を覆い隠さんとするかのように咲き誇り、10月が終わろうとする頃、彼等は一斉に枯れた。

多忙故に、去年ほど頻繁に森を訪れることのできなくなったプラターヌであったが、ゴーストという存在が「多忙」などということになることは在り得ないらしい。
実体を持つそのゴーストは、幾つもの瓶に夜顔の種をたっぷり詰めて、飼育学の準備室にまで持ってくるようになった。
膨大な量の種は、年が明けた先の春にまた森へとまいた。7月の暮れにはやはり白い花が、海のように月のように咲いた。

2年目は、1年目とは比べ物にならない速度で駆け抜けていった。時は、彼の手を冷やかすようにすり抜けるばかりであった。

ホグワーツの校舎自体が強力な魔法で組み立てられているものであり、その魔力がゴーストの姿を形作り、その魂を守り続けている。
故にほとんどのゴーストは、ホグワーツの敷地から外へ出ることができない。魔力のない場所で、彼等は姿と魂を留めることができないのだ。
けれどこの、生者の皮を被ったゴーストに、その理はまったくもって通用しないらしく、
Kは「面白そうだから」というだけの理由で、一人で魔法界の商店街に赴こうとするプラターヌの後を何度かついてきたことがあった。

質量と色を持った彼女は、彼と同じように大通りを歩き、彼と同じように買い物をした。
その途中で彼女はよく、プラターヌを連れてカフェに向かったが、必ず3つの椅子があるテーブルを選んで座り、決まって3人分のドーナツとコーヒーを注文していた。
誰にも食べられる筈のない、プラターヌの分でも彼女の分でもないドーナツとコーヒーは、けれど夜顔が咲くように「いつの間にか」なくなっているのが常であった。

そのドーナツとコーヒーの席で一度だけ、彼女が「作った」という魔法が書かれた本を見せてもらったことがある。

それはA5サイズの、200ページ程度の薄い本であったけれど、肝心の呪文はその中の50ページ以上にも及んでいた。
その場ではとてもではないが読み解くことなどできなかったが、10分や20分で詠唱を完了させられるような魔法ではないことは確かだった。
プラターヌはそれ程までに煩雑かつ難解な魔法を編み出したこのゴーストへの尊敬の念を露わにすると同時に、しかし少しだけ、訝しく思った。

「貴方はどうしてこんなにも大変なものを開発しようと思ったんだい?ゴーストを実体化させるだけのために、こんな……」

するとKは苦笑しつつ、ドーナツをぽいと口の中に放り込んでから「本当はこれ、失敗作なの」とくぐもった声で照れたように告白した。
これが失敗作、ということは、本当はもっと別の魔法を作りたくて、けれど失敗してしまいこのようなものになってしまった、ということになる。
貴方は、本当は「何」を作ろうとしていたのか。けれどプラターヌがそう尋ねるまでもなかった。彼女が己の本を乱暴に閉じて、鞄の中へと投げ込みながら口を開いたからだ。

「完成していれば、亡くなった命を呼び戻すことができる筈だったの。魂と命をくっ付ければ「本物」にだってなれる。命を作れる。生き戻せる。
……だからこれは禁書扱いになっているの。命のタブーに触れようとした魔法だから、命の巡りを遡るための魔法だから」

プラターヌは思わず、空席の前に視線を向けた。
抹茶味のドーナツは既に皿の上から無くなっており、コーヒーカップの中身もいつしかほとんど飲み干されてしまっていた。
プラターヌには見えない3人目は、けれどしっかりとそこにいた。見えない誰かはクスクスと微笑むように風を吹かせた。冷たい、凍えるような風であった。

「……貴方は何故、その魔法を完成させなかったんだい?ゴーストに与えられた限りない時間があれば、それを完全なものにすることだって、きっとできただろうに」

もしかしたら、それは訊いてはいけないことであったのかもしれない。
現に彼女は楽しそうにくつくつと笑いながら目を細めて、煙に巻くようにこう歌うだけで、
彼女がその質問にどれだけ気分を害し、どれだけ心を乱され、どれだけ悲しい気持ちになったのか、それら全てをまったくもって悟らせようとしていなかったからだ。

「飽きちゃったからよ!」

朗らかにそう告げる彼女の隣、空席が楽しそうに微笑んだ気がした。

12年。
それはあの頃、22年しか生きていなかった彼にとって、自らの半生よりも長い、途方もない期間であるように思われていた。
けれど過ぎてしまえば実に呆気ないものだった。3年目よりも4年目の方が、4年目よりも5年目の方が、ずっと早い速度でプラターヌの中を駆け抜けていった。
時とは待っているとこの上なく永いものであるにもかかわらず、動き続けていれば「いつの間にか」やって来ているものなのであった。

13年目の夏が来ていた。プラターヌは35歳になっていた。彼の旧友であるフラダリもまた、同じ年になっていた。
1年目にプラターヌが教えた、ビビヨンを連れたあの元気な女の子は、数年前、彼と同じように飼育学の教師になった。
虫ポケモンの飼育エリアの管理を任された彼女は、毎日のようにそこへと足を運んでいる。彼女のビビヨンはまだ、生きている。
生きていない存在はその姿を変えることなく、今日もホグワーツを半透明な姿のままで彷徨っている。
Cも、Cの大切な人も、Kも、Kの見えない友人も、変わらず此処にいる。夜顔も去年と同じ色で、森の入り口に月の海を広げている。

シェリーが此処に来るまで、あの子の代わりにあんたをこっそり見守ってきたけれど、それももう今日で終わりね。
これ以上あんたと一緒にいると、あたしがあの子に恨まれちゃいそうだわ」

大きく伸びをしながらそう告げる彼女に、思わず「君も行ってしまうのかい?」と尋ねれば、彼女は豪快に笑いながら「まさか!」と美しく告げた。
「あたしはいなくなったりしないわ」と、「ただちょっと眠るだけよ」と、「あんたといるとなんだか懐かしくて、楽しかったわ」と、「シェリーを見つけられるといいわね」と、
まるで歌を歌うように、ぽつりぽつりと心地良いアルトボイスが零れ出る。
彼女の小柄な体は、歌を零す度に少しずつ色素を手放し、少しずつ質量を忘れていく。

12年。
友人と呼べるような気安い関係ではなかった。2か月に1回程度、顔を合わせて話をするだけであった。
一緒に商店街に出掛けたこともあったけれど、見た目は年若い女の子の姿をしているけれど、この子は偉大な魔法使いなのだ。命のタブーに触れようとした、魔女なのだ。
そんな畏れ多い存在に、プラターヌのような「ただの教師」が関わり続けられるというのもおかしな話だった。そのように弁えていたから、プラターヌはその別れを悲しまなかった。
少し、寂しくはあったけれど。

半透明の身体の向こうに、丸く開いた夜顔が去年と同じ色で揺れていた。
明日は新入生がホグワーツにやってくる日だ。


2017.3.31

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