45 (With M)

見つけた!

スーパーメガやすの跡地で、ピカチュウを模した布を纏うポケモンと戯れている少女の、相変わらず底抜けに明るい笑顔をその目に認めた瞬間、グズマの胸に沸き上がった、何か。
彼がもう少し語彙に堪能であったなら、あるいはもう少し自らを冷静に見られるだけの余裕を持ち合わせていたなら、
きっとその何かに「歓喜」という素朴な名前を付けて、その「歓喜」を噛み締めている自分をひどく恥ずかしく思ったことだろう。
けれど彼は語彙に堪能な訳でも、大人らしい冷静さを持ち合わせている訳でもなかった。
故に彼はその「名状し難い何か」に突き動かされるまま、大きな歩幅で黒い砂浜を駆けるより他になかったのだ。

メガやすの跡地に続く、ひび割れたアスファルトの坂を駆け上がったグズマは、僅かに弾んだ息を整えながらゆっくりと歩みを進める。
先程まで全速力で黒い砂浜を駆けていた、そうした自分を隠すように大きく溜め息を吐く。
このような場所で油を売っている少女に呆れているのだと、相変わらず不気味なところにいやがると、そうした嫌味の一つでも口にするために訪れたのだと、嘘を纏う。
座り込んだ少女の背中に影を落とせば、彼女は弾かれたように振り返る。その顔がぱっと明るくなるのと、男がぬっと眉をひそめるのとが同時であった。
彼女の真実と男の嘘がどこまでも対極に在るように、男は少しばかり自らの心地と表情を調整する必要があったのだ。
それはこの歪な少女と向き合うための、彼のささやかな儀式であった。

「随分とおっかねえポケモンじゃねえか」

その儀式の結果が、歪な笑顔で発されたこのような言葉であり、つまるところ、その会話の中身など何だってよかったのだ。
覆うべき装甲の種類に彼は拘泥しなかった。ただ「隠すことができればよかった」のだ。
そして彼よりもずっと幼く知性に欠けるこの11歳は、彼の纏った無骨な装甲に気付かない。気付ける筈がない。
だからこそ笑顔のままに「あ、グズマさんだ!」と純な歓喜を露わにする。グズマは彼女のそうした笑顔を紐解くことをせず、ただ彼女が喜んでいる様を黙って許している。

「ふふ、やっぱりグズマさんも怖いところが好きなんですね。だってそうじゃなきゃ、こんなところで偶然出会うことなんて、在り得ないもの」

いい線を行っているがやはり甘い。少女はやはり気付かない。彼がこの、ゴーストポケモンの巣窟と化した場所に足を運んだのは、彼が怖い場所を好んでいたからでは決してない。
ハイナ砂漠を訪れていたのは彼自身への戒めのためであって、彼とて好んで自らの心を乱そうなどということは微塵も考えていない。
それでもこの場所を訪れたのは、この少女がこういった「怖い場所」に好んで立ち寄っているからに他ならない。
偶然を装っているが、彼の目的は怖い場所ではなく少女の方にあったのだ。彼は怖い場所を目指してきたのではない、少女を目指したその結果として此処にいるだけなのだ。

「此処にはゴースやゴーストが沢山いるんです。一緒に遊んでいると、たまにゲンガーも出て来てくれるんですよ!」

「ゴーストタイプのポケモンが好きなのか?」

「ポケモンはどの子も大好きですよ。でもゴースやゴーストのこと、私は此処に来る前から知っていたので、懐かしくなるんです。幸せになれるんです。
いいですよね。少しくらい、アローラのことを忘れていてもいいですよね。大丈夫ですよね」

何が「大丈夫」なのか。何が「いい」のか。彼女はアローラを忘れることで、何を得ようとしていたのか。何も解らなかった。
彼女の笑顔、彼女の言葉、彼女の博愛、彼女の依存、全てが覚束ないままに漂っていた。
けれどそうした、全てのことに理解が追い付いていないグズマに対し、少女は縋るように、許しを請うように、ふにゃりと頬を緩め、目元を下げて笑う。
グズマがそれに対して「まあ、いいんじゃねえの?」と首を傾げつつ、気怠そうにそんな肯定をしてやろうものなら、
彼女はそのゆるやかな笑みを、まるで施しを受けたかのような、感謝と歓喜に満ちたものへと鮮やかに変えるのだ。

「だが、ゴースなんてアローラじゃ珍しくも何ともねえだろう?ハウオリ霊園にもいるじゃねえか」

「あはは、そうですね。でも此処がいいんです。大切にされている人のいる場所には、行かないようにしているので」

不思議なことを告げた少女は、クスクスと笑いながら「もう死んでいるのに大事にされているなんて、狡いと思いませんか?」などと続けてみせる。
死んでいるからこそ尊厳をもって大切に扱われて然るべきなのではないか、死者に敬意を払うのは当然のことなのではないか。
そんな風にグズマは思う。それがまっとうな考え方であることを、彼でさえも弁えている。だからこそ彼は少しばかり訝しむ。はて、と不安になる。
11歳というのはそうしたことさえも解らない程に、悉く知性を欠いた生き物であったのだろうか。それともやはり、この少女が歪であるだけなのだろうか。

「何言ってんだ、死んでまで辛い思いなんかさせたら、懸命に生きた奴等が浮かばれねえだろうが。死んだ奴を大事にして何が悪いってんだ」

何をふざけたことを口にしているのかと、呆れと憤りの入り混じった溜め息と共にグズマはそう発した。
ふうん、と拗ねた調子で彼の言葉に相槌を重ねた少女は、ミミッキュを掴んで抱き上がて、頬擦りする。君のことが大好きよ、と告げて、そしてクスクスと笑ってみせる。

「私も死んだら大切にされるかしら?」

それはほぼ反射的な行動だった。大きく振りかぶった腕はそのまま少女に振り下ろされた。
長年培われてきた彼の暴力性は、息をするような自然さで彼の生き様へと現れていた。故に彼が衝動的に拳を向けたとして、それは当然のことであったのだ。
けれどこの、ふざけたことを口にした少女には、自らの発言が「ふざけている」ことなど分かりきっていた。
故に彼が振るう拳を予測することも、その拳から己の身を守ることも簡単にできた。
けれどそこはやはり常軌を逸した彼女らしく、その防衛方法までも破天荒であった。彼女は鞄から見覚えのあるビニール袋を取り出し、その中身でグズマの拳を受け止めたのだ。

ぐしゃり、とビニール袋と中の包み紙とが歪む音が聞こえる。中でグズマに食べられることを待っているマラサダは、きっと中身が飛び出し形も崩れて悲惨なことになっている。
唖然とするグズマとは対照的に、少女にはマラサダの惨状がひどく愉快なものに思われたらしく、いよいよ声を上げて笑い始めている。

「あーあ、グズマさんが乱暴なことをするから、折角、貴方にあげようと思っていたマラサダがこんなことになっちゃいました」

グズマは完全に毒気を抜かれて立ち尽くす他になかった。
この少女に向けて暴発させるべき彼の憤慨は、クスクスと鈴を転がすような、子供らしい高い笑い声にするりと吸い込まれてなかったことにされてしまった。

『私も死んだら大切にされるかしら?』
後には、彼女の発した歪な言葉の、残滓とも呼べそうなささやかな余韻だけが、グズマの脳裏を漂うばかりであったのだ。

「元はといえば、お前がふざけたことをぬかすからこんなことになったんだろうが」

「あはは、そうですよね、ごめんなさい!……それじゃあお詫びにこのマラサダ、受け取ってくれますか?」

マラサダの中から飛び出たピンク色の甘いカスタードクリームは、茶色の包み紙にべっとりと貼り付いている。
少女は袋の中へと視線を落とし、そのマラサダの惨状を喜ぶように笑っている。
風向きが変わったのか、甘い香りがグズマの鼻先を掠める。我に返る程の強い香りだった。少女は眉を僅かにひそめてから、やはり笑った。

形の崩れた、中のクリームがはみ出てしまったマラサダを笑顔で差し出すというのは果たして如何なものなのかと、先ずはその無礼を窘めるべきであったのかもしれない。
けれど今のグズマにはそうした、ごく一般的なお説教をする余裕などなかったのだ。彼はこの歪な少女にどうしても、問わねばならないことがあったのだ。
無邪気に首を傾げる、その煤色の目を睨み下ろしてグズマは笑った。押し付けられたマラサダの袋を拒み、逆に押し返せばその煤色が驚愕に見開かれた。

「要らねえよ、お前が食えばいいじゃねえか。いつも人に押し付けるばかりで、お前、ちっともそいつを食ってねえだろう」

「私はいいんですよ。貴方に食べてもらった方が、マラサダも嬉しいと思うんです」

いつもの笑顔だ、美しい理論だ。だからこそあまりにもわざとらしく思われて、グズマは大きく溜め息を吐く。
何処だ、この少女は何処にいる。こいつは何処に本音を隠している。
そうしたことを考えながら袋の中に手を差し入れる。潰れたマラサダを器用に割って、大きく割れた方を自分のものにする。
崩れていない、まだ形のいい小さな方を少女の方へと差し出す。彼女は困ったように肩を竦めて「どうしたんですか?」ととぼけてみせる。

「食えよ。オレの前でこいつを食ってみせろ」

「……」

「……それともお前、まさか自分が食えないようなものを人に渡していやがったのか?」

ええそうですよ、マサラダ、私は嫌いなんです。
そう紡ぐことを想定していた。少女の紡ぎ続けた「大好き」の中に隠された、そのささやかな「嫌い」という真実を、グズマは見抜き、鼻で笑うだけでよかったのだ。
お前の博愛主義も存外脆いものだったんだなと、ほら、何もかもを大好きになることなんかできないだろうと、だから無理に馬鹿げた愛情を振り撒くのはもうやめてしまえと、
そうした趣旨のことを少女に知らしめることができれば、それで充分であったのだ。
あれ、どうして解ったんですか?といつかのようにそう尋ねて、困ったように微笑む少女を見られれば、それだけで。
……そうすれば、少女の中の何かが変わるように思われたのだ。そう、心から願っていたのだ。

けれど、そんなグズマのたっぷりの皮肉に対し、少女はにこりと雄弁に笑った。
その笑顔のままに手を伸ばし、ピンク色のカスタードクリームがべとりとはみ出た不格好なマラサダを鷲掴みにした。
マラサダがもし生き物であったなら、きっと今の一掴みでこいつは絶命していただろう。それ程に彼女の掴み方は粗暴を極めていた。
寧ろグズマの側の十八番であった暴力性を、彼女の方があまりにも鮮やかに残酷に使いこなしている。
そう認識すれば、甘すぎる眩暈がグズマを襲った。何やってんだ、と怒鳴りたくなった。

彼女は頑として「嫌い」とは紡がない。
けれど彼女の笑顔が、マラサダに汚れた手が、あまりにも雄弁にその感情を語っている。嫌いだと、声にすることなく叫んでいる。拒んでいる。

「あれ?このマラサダ、まだあったかいですね」

自らが創り出した惨状に似つかわしくない、とても楽しそうな声音で少女は告げる。


2017.1.24

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