W 夏ー7

ウバメの森を抜け、以前、コトネとシルバーとやって来たコガネシティでポケモンの声を聞き、更に北へ進むと、大きな公園があった。
その西側に沢山の声を聞き取ったNは、ゲートを抜けて、立派なドームのある場所へとやって来た。

ドームの中は沢山のトレーナーとポケモンとで賑わっていた。
ジャージを着たトレーナーとポケモンとが準備運動をしている。受付の上にあるモニターでは、ポケモン達がダッシュやジャンプをして、得点らしきものを競っている。
どうやら此処は、トレーナーとポケモンとが協力して競技をする場所らしい。ポケスロンと言うんですよ、と受付の女性が教えてくれた。
参加してみませんか、とも尋ねられたが、ポケスロンの参加には3匹のポケモンが必要らしい。
ゾロアークとレシラムしか連れていなかったNはその誘いを断り、観客席の方へと上がった。

4組のチームが、10種類ある競技のうち、それぞれのコースに従い3つに挑戦するらしい。
コースは5つあり、その内のジャンプコースを見ていたNは、その4組の中に見慣れた顔を見つける。

「……コトネとシルバーだ。参加していたのか」

シルバーの連れていた紫のポケモンが目覚ましい活躍を見せ、彼のチームが優勝となった。
観客席が拍手に沸く中、Nもそれに倣って彼に拍手を送る。

「!」

その時、シルバーと目が合ったような気がした。彼も驚いたようにこちらを見上げている。
コトネがシルバーに話し掛けることで、ようやく彼は視線をNからコトネへと移したが、競技場から去る時に一度だけこちらを振り返った。
そして手をこちらへ掲げ、人差し指を下へと向ける。「下で待っていろ」ということらしい。
Nは慌てて立ち上がり、まだ拍手に沸く観客席を後にした。

シルバーがジャージから着替え、出会った時の服装で現れるまでには数分と掛からなかった。
コトネはまた別のポケモンを連れて、別のコースに参加しているところらしい。
折角だから話でもしないか、と彼に誘われ、Nはポケスロン会場の外へと出た。

「まさかポケスロンでお前に会うとは思わなかった」

「そうだね、ボクも驚いているよ」

「それは俺にポケスロンが似合わないってことか?……まあ、その自覚はあるが」

シルバーは肩を竦めて自嘲気味に笑った。
ゲートを抜けて、自然公園のベンチに座る。シルバーは鞄から缶を2本取り出して、1本をNに放り投げた。
その缶にはサイコソーダ、と書かれている。こうした飲み物を飲んだ経験のないNは、缶のプルタブをどのように開ければいいかが解らずに首を傾げる。
サイコソーダを一気飲みしていたシルバーは、そんなNの行動を見逃さなかった。
缶の飲み物を飲んだことがないというその反応に、「極度の世間知らず」という結論を出すことは簡単にできたのだ。

「お前、一体どんなところで育ったんだ?何歳か知らないが、缶の開け方を知らないなんて」

「ボクは17歳だよ。……君は知っているのかい?」

「まあ、常識だからな」

シルバーはNから缶を取り上げ、プルタブを摘まんで、缶を開けてみせた。プシュ、という炭酸特有の音にNは驚く。
開けられたサイコソーダの缶を受け取り、恐る恐る口に運ぶが、そもそも炭酸飲料を飲んだことがない彼はその刺激に突如として咳き込む。
その反応にシルバーは驚く。

「おい、どうしたんだよ」

「何だ、この刺激は!舌を突き刺すような小さな気泡の破裂が大量に発生している……これはまさか、毒なのかい!?」

炭酸をそんな風に表現するNがおかしくて、シルバーは声をあげて笑った。
一方のNは、こんな危険な飲み物を平気で渡してくる彼に対して懐疑の念を抱き始めていた。
しかしそれも「これはそういう飲み物なんだよ。炭酸飲料っていうんだ」という説明を受けたことで消失した。どうやらこれはその刺激を楽しむ嗜好飲料らしい。
「折角だけど、ボクにはこれを飲み干せる自信がない」その缶をシルバーに突き返せば、運動した後で喉が渇いていたのか、2本目のそれもあっという間に飲み干してしまった。

「俺の話をしようか」

サイコソーダを飲み終えた彼は、唐突に口を開いた。

「俺は、このジョウト地方や、隣のカントー地方で悪さをする組織、ロケット団のボスの息子だ。12歳になる少し前まで、俺はその組織の中で育ってきた」

「!」

「でも、ロケット団のやり方が嫌いで、俺は組織を飛び出して、一人で強くなることを選んだ。
世間知らずで、ロケット団以外の奴との関わりがなかった俺は、ウツギ研究所でポケモンを盗み、旅を始めた。言い訳に聞こえるだろうが、そんなやり方しか思いつかなかった。
最初はポケモンのことを、強くなるための道具だと思っていた。だから弱いポケモンは嫌いだった。なかなか成長しないポケモンに苛立った。……でも、コトネに出会った」

Nは彼のそんな独白が信じられずにただ沈黙した。この少年に、よもや自分に酷似した境遇があっただなんて、俄かには信じられなかった。
彼は自分よりもずっと常識的で、自分よりもずっと世界に馴染んでいたからだ。
そしてそれよりも不可解なことがある。何故、シルバーは自分にこんな話をしているのだろう、という、純粋な疑問だ。

その答えにNは辿り着けない。そして、それは当人であるシルバーにさえも解っていない。
自分はこいつに自身の境遇を話してどうしようというのだろう。何のためにこんな話をしているのだろう。
ただ、目の前の青年は、何も持たずにイッシュからジョウトへと旅に出たと言い、2日も食事を摂っていないと平然とした顔で口にし、そして缶の開け方が解らないと首を捻る。
全てではないが、どこかきっと、自分に似ていたのだ。自身への既視感をNに抱いていたのだ。
きっと、それが理由だ。

シルバーは求めていたのだ。自分の境遇を受け入れてくれる相手、自分のこれまでが否定されない柔らかな会話を。
それを彼の最も信頼する少女に求めるには、もう少し時間が必要だと思った。コトネは恵まれすぎていたし、それを妬む気持ちもシルバーには僅かながら存在していたからだ。
いつか、コトネに全てを話せる日が来れば、それが一番いいのだろう。
しかしそれを焦る気持ちはまだなかった。シルバーは新しい生活に満たされていたからだ。そして、全てを話さないシルバーを、コトネは受け入れてくれているからだ。

「でも、旅をして俺は変わった。世の中には考えの多彩な人間が大勢いる。そいつらと関わることで俺の世界は広がったし、何より、いつだってポケモンが居てくれた。
ポケモンが俺に見せてくれる誠意に、俺も応えたいと思えるようになった。
ポケモンに優しくしろ、だとか、大切にしろ、だとか、そんな甘い考えを受け入れられなかった頃だってあったのに、おかしな話だよな」

これはシルバーにとって初めての試みだった。
コトネがかつてのシルバーにしてくれたこと、それを今、シルバーが別の形でしようとしているのだ。

「何故ボクに、その話を?」

「……お前の世間知らずがあまりにも酷いから、昔のことを思い出しただけだよ」

こんな話をして、どうしようというのだろう。シルバーは笑った。
自分よりも4歳も年上のNのことを危なっかしいと感じたからだろうか。先行き不安な彼の旅路を励まそうとしたのだろうか。
いや、きっと違う。それは単純な興味だった。このおかしな奴がどういう経緯で此処にやって来たのか、過去に何があったのかを、知りたかったのだ。

「お前がどういう経緯でジョウトに来たのかは知らないが、折角こうやって知り合ったんだ。お前が困った時には話くらい、聞いてやる。できることなら手を貸すさ」

「……キミに、どうやって連絡を取ればいいんだい?」

その言葉にシルバーは「ああ、そうだったな」と苦笑して、鞄からポケギアを取り出し、自分の電話番号をNに見せた。
Nはぎこちない手つきで自分のポケギアを操作し、番号を登録する。そして唐突にその目を輝かせ、口を開いた。

「キミの電話番号はとても美しいね」

「は……?」

「フィボナッチ数だよ。この番号を逆から読めば、その数列の幾項かに相当するんだ。無限の広がりを見せる美しい形なんだよ、素晴らしいね。まさか君は知らないのかい?
これは常識と言ってもいいくらいに有名でかつ洗練された数列なんだよ?この数列を表す数式には黄金比が隠れていて、それは自然界のあらゆるものを表しているんだ。
漸化式で書くとこんな風に、」

「ストップ!もう少しゆっくり喋ってくれ。
それと、そのフィボなんとかっていう数列は、残念ながら俺の常識には入っていない」

そんな!と愕然とするNにシルバーは吹き出した。
人と関わることは存外、面白さに満ち溢れているのだと、その面白さは、自らが一歩を踏み出しNに自身のことを開示して初めて得られたものなのだと、察することができた。
それは一般的に見れば些末な勇気であったのかもしれない。けれども彼は嬉しかった。その面白さを受け取れるようになっている自分が、どうしようもなく嬉しかった。
Nだけではない。シルバーの世界もまた、広がりつつある最中だったのだ。


2014.11.7

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