15:Confession of "the third piece leaf"

◇◇◇

朝食を食べて、ヒウンシティの病院へ向かう準備をしていると、ライブキャスターが鳴り始めた。
名前も確認せずに通話ボタンを押せば、そこにはシアが映っていた。……シアが、映っていたのだ。

「……」

「えっと、おはようございます」

見えない筈のシアが、ライブキャスター越しの私を真っ直ぐに見ている。
ライブキャスターがあの部屋の何処にあるのか、それを知ることすらできないであろう彼女が、その画面から私の名前を探し出し、こうして連絡を取っている。
それが意味するところに、私は長い時間をかけてようやく辿り着き、「え?」とか「うそ、だって、」とか、意味をなさない音ばかりを零した。
そんな私を見て、シアはクスクスと肩を震わせて笑う。

「ま、待って、お母さんには連絡したの?」

「はい、すぐに来てくれるみたいです。アクロマさんにはこれから連絡するつもりです」

どうして、こんなにも急に彼女の盲目は解かれたのか。ゲーチスの仕業ではないのだとしたら、一体、誰が彼女の目を曇らせていたのか。
それともこれは医師の言う通り心因性のもので、シアの心が晴れたから目が見えるようになったのだろうか。
けれどもそんな劇的な心境の変化を、シアはいつ経験することができたのか。
何もかもが解らなかったけれど、私の目はしっかりと真実を捉えていた。
すなわちシアの目はもうすっかり見えるようになっていて、私はこの後輩に対して、恐れることなど何もないのだという、真実。それを、私はようやく直視することが叶ったのだ。

「アクロマさんには黙っておきなさい」

やっとの思いで私が紡いだのは、「よかったね」という祝福でも、「私はまだ信じていないわよ」という冗談でもなく、そんな、私らしい意地悪な言葉だった。
「え、どうしてですか?」と首を傾げるシアの、ライブキャスター越しでも変わらない輝きを持つ海の目に、私は思いっきり笑いかけた。

「私が、あの人の驚いた顔を見たいからよ!」

そうしてライブキャスターの電源を落とし、これ以上ないくらい迅速に準備を済ませて家を飛び出し、ヒウンシティへ向かう空をポケモンの背に乗って、駆けた。
シアが盲目となった日にはまだ少し温かいと思わせる余地のあった冬の風は、しかしこの3週間ほどで肌を突き刺す厳しいものへと変わり、その温度を急激に冷やしていた。
目が痛い、と思った。それは冬の冷たい、痛さすら覚える風のせいではないと知っていたけれど、私は風のせいだと思うことにした。
退院して、この風を肌に受けたら、きっとあの子はびっくりするだろうなあ。そんなことを思いながら何度も何度も目元を拭った。
ヒウンシティに着く頃には、この冷たい風も止んでいるだろう。そうすれば私が泣き続ける理由もなくなり、いつもの笑顔でシアを祝福できるに違いない。

階段を二段飛ばしで駆け上がり、許されるであろう最大の速度で廊下を歩き、シアの病室に飛び込んだ。エレベータが降りてきてくれるのを待つ時間すら惜しかったのだ。
泣き腫らした目をこちらに向けて、恥ずかしそうに肩を竦めて微笑むシアのお母さんと、こちらを真っ直ぐに見上げて私の名前を呼ぶシアとを、交互に見比べて、笑った。
わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でた。華奢と呼ぶには随分と痩せすぎてしまった肩を抱いて、「アクロマさん、きっと泣き出すわよ」と冗談を言った。

……しかし、それはあくまでも私の中では「冗談」の域を出ないものであって、本当に彼がそうなってしまうことを予言したものでは決してなかったのだ。

いつもの時刻に病室を訪れた彼は、シアのその目が真っ直ぐに自分を見ていることに気が付くと、瞬きと呼吸を忘れたかのように沈黙し、
そうして深く俯いて、手袋を嵌めた手で顔を隠すように遮ってから「……よかった」と、あまりにも弱々しい、震える声音でそう呟いた。
慌てたようにシアが彼の方へと駆け寄れば、それでも彼は自分の顔を見られたくなかったのか、膝を折ってシアを抱き締め、それから暫く、一言も声を発しなかった。

私は計り違えていたのだろう。
この賢い大人が、シアをどれだけ大切に想っていたのかを。
彼女の海の目が真っ直ぐに自分を見上げているという、ただそれだけの事実が、彼にとってどれだけ大きな意味を持つのかということを。

私の意地の悪い企みによって、彼への報告が遅れてしまったことを、私は彼に謝らなければいけない筈であった。
けれど私が口を開くより先に、シアのお母さんが私の手を強く引いて、病室のドアを手早く開けて出ていった。
「どうしたんですか」と尋ねる私に、彼女は困ったように笑いながら、けれどとても嬉しそうに告げた。

「彼にも時間を作ってあげましょう?私達はもう、十分に泣いたから」

私よりもずっと大人で、私よりもずっと思慮深い彼女の言葉に、ただ頷くことしかできなかった。
大人には様々な姿があるのだと、それは狡く卑怯な色をしたものばかりでは決してなかったのだと、
少なくとも、この人達は私なんかでは及びもつかないところから、私よりもずっと広い世界を見ていて、だからこそ、こうした言葉を紡いで笑うことができるのだと、
そんな当たり前のことを、けれど私にとって認めるのが難しかったその事実を、私はきっと、シアが盲目にならなければ気付くことができなかった。

少しだけ落ち込んでいた私に、シアのお母さんは病院の廊下に備え付けられた自動販売機で、サイコソーダを買ってくれた。
彼女がお金を自動販売機に入れている間に、私は自分の鞄から小さな鏡を取り出して、私の目を映した。……映して、思わず笑ってしまった。

『私達はもう、十分に泣いたから。』
成る程、この真っ赤な目では見抜かれてしまうのも仕方のないことだったのだ。

その後、医師の診察を終えたシアは、ライブキャスターを使って、お見舞いに来てくれた全ての人に連絡を取った。
見えなくなっていた目が見えるようになったこと、食べ物や水の味も鉄のそれではなくなったこと、明日か明後日には退院できるだろうということ、
殆ど動かない生活をしていたから、暫くは前のように走り回れそうにないけれど、少しずつポケウッドやPWTに復帰していくつもりでいるし、そうしたいと思っていること、
それら全てを、心配を掛けたことに対する謝罪と、お見舞いに来てくれたことへの感謝を忘れずに添えて、彼女は饒舌に、画面の向こうの相手を真っ直ぐに見据えつつ、伝えた。
彼等は一様に驚き、そして、彼女と交わした復帰の約束を喜んでいた。

勿論、ライブキャスターの向こうで「よかった」と喜んでくれるだけではなく、その足で病院へと来てくれる人も何人かいた。
チェレンやベル、幼馴染のヒュウもその中にいて、彼等は驚きながら、喜びながら、しかし何処か泣きそうに笑っていた。
今日一日で私が目にした驚きと歓喜の数が、きっと、シアを思う人の数に等しいのだろうと、そう思えばまるで自分のことのように嬉しかった。

彼女の母親が帰った頃を見計らって、シアは今回の騒動の「真相」を話してくれた。
どこからともなく現れた、ジュペッタを引き連れたダークトリニティのうちの一人が、その場にいた私とアクロマさん、そして後からやって来ていたNに頭を下げた。
私は「心因性のものではない可能性がある」というアクロマさんのかつての指摘が正鵠を射ていたことに驚き、
そして、その犯人である人物がこの場にのこのこと姿を現したことに愕然とし、そして、憤った。

許せない。それは彼女を大切に想う人間の一人として、当然の感情である筈だった。
けれど、私はそのダークに対して何もすることができなかった。彼を責めることも、この腕で思いっきり殴り飛ばすことも、できなかった。何もできなかったのだ。
それは、その被害を受けたシアと、私よりもずっと憤って然るべきである筈のアクロマさんが、全く憤る素振りを見せなかったからに他ならない。

シアはそうした、詰めの甘い、優しすぎるところがあると解っていたから仕方のないことであるのかもしれないと思っていた。
けれどアクロマさんが憤らない理由に、私はどうしても思い至ることができなかった。
だから私は、解らないなりに彼のそうした沈黙を倣い、そのダークを責めることも、その行為に対して憤りを表出させることも、しなかった。

まだ子供である私には解らないだけで、賢い彼にはきっと全てが解っているのだろう。
今回、シアを蝕んだ盲目はあのダークを責めるべき事柄ではないということ、
あのダークが独断で行った今回のことは、シアに害ばかりをもたらしたものでは決してなかったのだということ。
シアのお母さんからの誘いをすんなり受けてしまったあの頃のように、彼はきっと、私には見えない、もっと大きな真理をその金色の目に映しているのだろう。
そんな彼が憤ることをしていないのだから、私に最早、憤ることなどできる筈がなかったのだ。

シアは確かに盲目だった。それはあのジュペッタの呪いのせいだった。けれど、本当に盲目となっていたのはシアだけだったのだろうか。
世界に広がる鮮やかな色をこの目に映しながら、私だって、何も見えていなかったのではないだろうか。
私はこの世界に対して、人の心に対して、目が曇り過ぎていたのではないだろうか。盲目となるその呪いは、私にもかけられていたのではないだろうか。

その呪いは、私が盲目であるということを私自身に知らしめ、私の驕りと世界への嫌悪をゆるやかに糾弾した。
シアの呪いは解けたけれど、私の呪いは「まじない」へと姿を変え、私の教訓としてずっとこの目に貼り付いたまま、そう簡単には消えてくれないのだろうと心得ていた。

シアがいつもの生活に戻ったら、彼女に、世界の見方を教えてもらおう。彼女が真剣に考えていることを、私も一緒に考えてみよう。
彼女がそうしたように、私も、欲張ってみよう。こんなところでみっともなく心を折る訳にはいかない。だって私はあの子の先輩なのだから。


2016.2.26
(「3枚目」の独白)

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