私はその1分に永遠を見るだろう(共に散れども)

 そもそも「書く」という作業が大袈裟に表現してしまえば「一瞬を永遠にする作業」だと思っていて、それを認識し意図的に用いているのがシアなんですよね。絵画を嗜んでみたり、死んだ親友のことを本に書き残してみようとしたり。この初代誠実お化けはその力を「分かっていて使っている」人間です。だからどうしても誠実に重ねて彼女には「傲慢」が形容されがち。忘れないで、覚えていてと訴えるための手段であるために、なるべくして傲慢になったようなところもありますが、……いや、違うな。傲慢は彼女の元からの気質だろうな……。

 でも二代目誠実お化けのユウリはそんなことちっとも考えちゃいない。彼女が一瞬に永遠を見るとき、そこに起こるのは傲慢ではなく「論理の破綻」です。
 常日頃から感情よりも合理を優先して生きている彼女が、合理を飛び超えた確信を、感情に引きずられるようにして覚えたなら。たとえば誰かが笑いながら至極楽しそうに狂わせた時計の針。たとえば誰かが彼女の目元に触れながら祈るように望んだ1分。壊れたのは時計に過ぎず、実際に流れる時間が狂うことなど在り得ないと分かっていながら、それでも「時が狂った」と思わしめる何かがその時、彼女の中で暴れたなら。その論理の破綻によってのみ一瞬は永遠になり、彼女は「その1分に永遠を見る」ことが叶います。意図的なものではなく「何か」によって引き起こされた偶発的なものであるが故に、それを伝播させようなどということを考えつくはずもなく、彼女が見る永遠は彼女と彼女の相手の中だけでささやかに完結するばかりです。
 つまりは……押しつけがましくなくてとても上品なんだ、初代と違って。けれども同時に……ひどく寂しい形であることには違いないんだ、初代と違って。でもユウリは自らのそれが「上品」であることも「寂しいもの」であることも認識せず、ただ其処で永遠を楽しむだけでしょう。少なくともセイボリーと生きるなら、そうなります。そうなるはずです。彼の魂の清さではユウリに「強欲」を教えることなど叶わないだろうから。
菫の彼ならあるいは、とは思っているのですが

 シアとアクロマさん、ユウリとセイボリー。この誠実お化け二組を並べると見えてくるものが色々とあって面白いな。誰にでも何処へでも開いていく誠意と、二人の中だけで閉じている誠意。人を殺すおそれさえある誠意と、ただ一人を生かすためだけに尽くされる誠意。いいな、面白いな。私だけが楽しい対比いいぞなかなかにいいぞ。
 此処に「永遠を一瞬に」した側のシェリーとフラダリさんを持ってくると更に面白そ……いやそんなことなかったな、更に混沌としてあかんことになりそうなのでやめておきましょう。Methinksも、書きたいね。

© 2025 雨袱紗