裏でぽつぽつ書いてる0と1のあれ(論破)

(改行の仕組みがいつもの書き方と大きく異なるため読みにくいかもしれませんご容赦ください)

 その人がその人であるための要素として最も大きなウエイトを占めるもの、それは「記憶」であるという確信があたしの中にはある。あたしがあたしのまま「そこ」へ入るには、その記憶さえあれば何の問題もないように思われてしまう。
 けれども人という難儀な生命体はそのメモリだけでは動かないらしく、人間らしい思考回路をSFさながらに組み立てることにイズルはその才能の多くを砕いていた。彼が組み立てているのは要するに、0と1の電子空間の中に人間そっくりの知的生命体を構成するためのプログラムだ。脳の電子化、命の電子ダイブ、人間性を失いかねない致命的なパンドラボックス……如何様にも表現できそうなその試みを、けれどもあたしはただの一度も恐れなかった。その過程がどれほど複雑で、危険で、倫理性を欠いた愚かで寂しいものであったとしても構わない。その果てに「イズルと生きられる」という帰結があることだけが重要なのだ。そのためにイズルが取ってくれる手段の善悪などどうして気に留めていられよう。

(中略)
 0と1の世界が生んだ奇跡、当事者やあたしにとっては喜ばしいばかりのこの奇跡、ならばそれでいいではないか。他の人間が非倫理的だとか虚しいばかりだとかほざいたところで何にもならない。好きに言っていればいい。あたしはこの奇跡を信じている。カムクライズルという魂がいつだって致命的に正しいことを信じている。だから何も、恐ろしくなどなかった。
 けれども彼にとっては、そうではないらしい。

(中略)
「失敗の可能性がゼロである、と証明するのは、成功する、と証明することとは比べ物にならない困難性を秘めています」
「ゼロじゃなきゃいけないの? どうせあんたのことだから、成功率は99%くらいあるんでしょう」
「馬鹿にしないでください。99.99%の確率で成功すると出ています」
「じゃあそろそろ泣き止みなさいよ。0.01%以下の失敗を怖がるなんて、それこそ無益で無駄なことだわ」
 仮にこの脳意識の電子化、というものの成功率が50%とか30%とかであったとしても、あたしが不安に思うことはなかっただろう。その低確率をこのイズルなら引き当てるだろうという確信があたしにはあったし、仮に失敗したとしても、どうせこのツマラナイ現実、あいつもイズルもいない現実にはとうに見切りを付けていたから、思い残すことなど何もなかった。だから何も怖くなどなかった。あたしはただイズルを、この絶対的かつ致命的に正しい魂を信じているだけでよかったのだ。
 けれども彼にとっては、そうではないらしい。
「0.01%以下の確率で、貴方は記憶を失ってしまう。0.01%以下の確率で、貴方の味覚や嗅覚が再現できなくなる。0.01%の確率で、貴方の認知機能に障害が生じる」
「はいはい、分かったわよ。丁寧な説明をありがとう。でもそんな風に脅されたところであたしはちっとも怖くないわ」
「貴方はそうかもしれませんが、僕は違う。僕は怖い。貴方を、完全な状態で連れてこられないかもしれないことが」
「人間って不完全なものよ。欠けたものはまた埋めればいい。あたしはイズルと生きていたいだけで、イズルのような完璧な存在になりたい訳じゃないの。分かる?」
 完全な状態であるはずのイズルが手放せない恐れと、不完全を極めたあたしが呆気なく手放せる恐れについて、考える。あたしは彼の手に誘われるのならその確率が50%だろうと30%だろうと構いやしないのに、彼は99.99%という驚異の成功率の、針さえ通らないような狭すぎる隙間から零れ落ちるものを恐れて泣いている。馬鹿げていると思った。こんな痛々しいものが彼のようやく手にした人間性であるというのなら、むしろ出会った頃の無機質極まりない強靭な彼の方が彼にとっては良かったのではないかとさえ一瞬ばかり思ってしまう。
 けれど大丈夫、彼はこのプログラム内に完璧に人間というものを再現している。ぼろぼろと赤い目から零れ続けるそれだって、あたしがこうしてあやすように囁きかけながら指でひたすらに拭っていればいつかは止むように出来ているのだ。彼自身が体験していないはずの人間のあらゆる挙動、生体反応、反射、癖のようなものまで、彼の完成させたプログラムは忠実に再現する。彼は確実に、生きている。生きていると思わしめるに足るだけの技術を彼は持っている。そこに動物的かつ有機質的な生命が存在していなかったとして、そんなものはあたしとイズルにとって何の問題にもならない。
 あたしは今からそうしたところへ行く。彼の生きる世界へと、彼の手により招かれる。彼がようやく、迎えに来てくれたのだ。他の誰が下らないままごとだと揶揄したとしても、それがあたしと彼にとっての真実だった。他に何が必要だったというのだろう。
「あたしを愛している、なんて戯言を言うのなら、99.99%の確率で成功するこれしきのこと、やり遂げてみせて」
「……」
「イズルならできる。あたしは信じている」

0と1本編から3年が経った後の話。番外編「1100101」の「いつかあたしを迎えに来てくれる?」をイズルなら必ず現実にする。
元々、0と1はハジメや狛枝を含む全ての主要人物が死ぬまでを書こうと思っていたのだけれど、自らの死に恍惚とするのはこの狂人二人だけで構わないと思ったのでやめた。
この3年の間になんやかんやあってYは死んでいて、その意識はとうに電子化済み。イズルはちゃっかりハジメの意識も同じように複製している。
狛枝にもその話が来たけれど、彼は死ぬほど悩んだ末に「ボクはやめておくよ」と正しい形でYと別れることを選んだ。あれっ狛枝が正気だ、そんな馬鹿な(?)
イズルが致命的に正しすぎるが故に、KとYの狂人っぷりが目立つから書いていてとても楽しいから困るね……。

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