マーキュリーロードって本当に「ポケモンらしくない終わり方」をしてしまっているなあって

なんかこう……女性主人公たちの個性とか独特の歪みとか、そうしたものが存在するのは当サイトにおいて最早当然のこととなりつつあるのですけれども、
その当然と同じくらい、長ったらしい物語の最後にはちゃんとその歪みにも落としどころが見つかって、その困った個性だってちゃんと昇華されて、
そうして成長あるいは変化した主人公たちは心を許し合った誰かしらと共に在ることを選ぶっていうのが……まあ当然の流れだったはずなのですけれども……。
モノクロステップとか、サイコロを振らないとか、躑躅とか、ユークリッドに咲く三つ葉とか、上に落ちる水とか、この辺りは特にその傾向が強いのだけれども……。

でもマーキュリーロードって、ちゃうやん。だってあれ、なんにも解決してへんやん。
「私にしかできないことが欲しい」って1話とか6話あたりで言っていて、それがずっとずっと彼女の揺るぎない願いであったにもかかわらず、
それが叶うことは最後までなくて、71話で辿り着いた結論が「私にしかできないことなんか、ただの一つもなかった」とかいう惨たらしいものだったし、
第三章後半でやたら穏やかで物分かりのいい彼女が爆誕していたのは、彼女がグズマさんやザオボーさんの愛により更生したからでもなんでもなくて、
ただ単に「宝石になることを綺麗さっぱり諦めてしまった」からに他ならず、
その諦念を抱いて大人しくならなければ彼女はアローラの人とまともなコミュニケーションを取ることさえできなかった訳で、
狂気を振りまいて、リーリエを手酷く傷付けて、アローラの人を沢山巻き込んで困らせて、そうまでしておきながら彼女は何一つ変わっていなくて、
彼女の決意も、博愛も、笑顔も、祈りも、懇願も、本当に「世界においては取るに足らない、ちっぽけなものでしか」なくて。
……あかん、書いていて本当に虚しくなってきた、誰だこんなふざけた連載を書いた奴(私はもう正気では)

夢と希望に溢れるポケットモンスターの世界をお借りしておきながらこの終わり方はどうなんだと考えなくもないのですが、
けれどもこの「74話を費やしたにもかかわらずなんにも解決していない」という最高に不毛な「こいしの喜劇」は、現代のままならなさに通ずるものがあります。
人は他者を変えることなどできないし、自身を変えることだってひどく難しい。
理不尽に魂を根こそぎ持っていかれるような、身が引き裂かれるような思いをしながら、それでも朝は来てお腹は空く。
私達は、心を殺してでも、諦めてでも、望みを全て手放してでも、それでもなんとか生きていかなければならない、そうした悲しい世界に住んでいる。
「生きるって悲しいこと」であることを、ミヅキに名言されずとも、私達はきっととてもよく知っている。

誰も彼もが【このままならない世界からもう一生逃げられない】のです。ミヅキも、そして私達も。
「それでもいい」「きっとそれでいい」と思ってくださる方が、このマーキュリーロードを読んで一人でも増えてくださったら、とても、とても嬉しく思います。

© 2025 雨袱紗