跳ね除けようとすればするほど、死とかいうものは人をやさしく呼んでしまう

あいつは死んだ。マリーは生き続ける。お姉ちゃんも生きたがっている。彼女は死にたがっている。彼は死にそうである。
……あたしは、どうしたいのだろう。
(48話)

生きるべきか死ぬべきかと、揺れて迷ってぐらぐらしていた「あたし」が、最終的に一番強く生きたがり、一番強く他者を生かせたいと願うようになるのに対して、
幼い頃からずっと、生を喜び死を憎み続けてきた「お姉ちゃん」が、実はずっとずっと「あいつ」に呼ばれる形で死にたがっていた。
それでもシーダ(お姉ちゃん)は、最終的にやっぱり「負け惜しみでもいいから、やさしくありませんようにと祈り続ける」ことを選び、前を向いて生き続ける。

死にたがっていたアルミナや死にそうであったズミさんは、最終的にやさしくない心地を手にして強く生きることを選んでいる。
「もう貴方は、私がいなくても大丈夫ですね」と告げながらも、それでもこの二人は二人で在ることを選び、互いが互いの生を喜べるようになっている。

誰もが「あいつ」の呪いを言祝ぎへと変えて、やさしくなく生きていく。
「あいつ」の呪いを呪いのまま、大事に大事に抱えて死んでいくのは、きっとマリーとオーナーの二人だけ。

……誰だよこんな昼ドラみたいなの書いたやつ出てこいおらぁ。

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