(ネタバレはありません。これは個人が抱いたあの世界に対する感想であり、あのゲームの真実はきっと此処にはありません)
全てが嫌になって、死ぬこととか殺すことを疑似体験したらもうすっぱりと諦めが付くのでは……? と思った際、縋るように購入したゲームです。
それまでニンテンドーのCERO Aばかりを遊んでいて、たまに違うジャンルに踏み込んでもCERO B止まりだった私が、初めて購入したCERO Dのゲームです。
元々、創作人狼ゲームというものでこのゲームの存在は知っていて、「何このすっごい濃いメンツ」とか思いながら楽しく拝見していたのですが、
原作は「コロシアイ」を軸としたあまりにも過激な内容のもので、だからこそ遊ぶなら今しかないと思い、10月上旬くらいに購入した……ような、気がします。
何もかも諦めてしまうために、私はそれまで私が大事にしていたものを悉く軽んじる方向に持っていこうとして、
どうせ人なんて呆気なく死ぬんだから、死がエンターテイメントになっちゃうろくでもない世界に私は生きているんだから、と、当時はそんな風に思おうとしていました。
そうした私の最低な平穏を、この人がバッタバッタと死ぬタイプのゲームは肯定してくれるに違いない!
きっとこのゲームは、この世界に生きる高校生たちは、私の平穏こそが正しいことであると言ってくれるに違いない!
……などという期待を込めて購入したにもかかわらず、私はこのゲームに手酷く裏切られてしまいました。
……全て遊び終えてしまってから、大きすぎる喪失感の中でふと思ったのは、これ、コロシアイじゃなくてイカシアイだったんじゃないかなということ。
蒲公英の綿毛を飛ばすような感覚で命が楽しく散っていく爽快ハイスピード死亡ゲーム……と思わせて、実はあまりにも重々しく命を託し合う物語であったということ。
各人の願いが、祈りが、欲が、理想が、命というあまりにも重たい媒体によって他者へと託されていくさまを見るのは、半年前の私には辛過ぎました。
ああ、結局生きなければいけないじゃないか。皆、そうやって生きている子に重石を付けて、死なせないようにしてくるじゃないか。そう思ったことを覚えています。
私が私の心を殺そうとして購入したゲームであったにもかかわらず、あの高校生たちは何度でも蘇り、私を怒鳴り、叱咤し、しっかりしろと言ってきました。
やはり「死ぬための物語」は「生きるための物語」に、「殺すための物語」は「生かすための物語」にならざるを得ないのかなと、
そんな風に、傲慢にも某水銀の連載と重ねて、笑ってしまっていた、ような気がします。
軽率にオススメできる内容ではないのですが、きっと私の心の中にずっといてくれる記憶になるだろうと思ったので備忘録代わりに此処へ記載しておきます。
誰が一番好きかと問われると困ってしまうのですが、田中くんの生き方には涙が出ました。尊敬しています。
あと塩のビジュアルがあまりにも素敵で参ってしまいました。
ただ、こんなことを書いておいてあれですが、こちら、もう今は気軽な気持ちで遊べないゲーム、でもあります。
人が死んでしまう描写が多分にあるのは勿論のこと、ちょっと、破廉恥な台詞が、何の前触れもなく飛び出してきちゃうから……ね。
しっかりした精神状態のときに遊ぶとなんだかとても困ってしまうんだ。