当サイトでは、二次創作という社会の中で「非の打ちどころのないイケメン」とされがちな人物のメンタルが弱かったり、大してイケメンじゃなかったりします。
その最たる例……というか、最大の被害者が、さっきも書いたプラターヌ博士。
3つある連載の全てにおいて、彼は「ごめんね、こんなボクでごめんね」という謝罪を常套句とする弱い人間として描写しています。
フラダリさんという友人の思想を察知していながら止められなかった、止めようと動くことができなかった彼を、私はどうしても「強い」と見ることができません。
加えて、XYで彼がやらかしたEDの、主人公を含めた子供達を表彰するあのパレード。私はあれをどうしても喜ぶことができません。
「何やってくれとんねんこの博士」と憤るに十分な狂気、それをあのパレードに見出して以来、
私のプラターヌ博士、及び「カロスという美しい土地、美しくなければいけない土地」に対する見方は大きく歪み、5年経った今でもそれは修正されていません。
次の被害者はやはりゲンさんでしょう。
2つある連載「潜性サルターティオ」「上に落ちる水」の両方をどれだけ読み返しても、この彼に「勇敢さ」を見出すのはきっと不可能です。
鋼鉄島の調査を一人でする彼、他の人と交流している様子が原作でほとんど描かれていなかった彼。
そんな彼を「非の打ちどころのないイケメン」とすることが、どうにも躊躇われてしまいました。
あと、愛ゆえに(愛ゆえに!)よく暴走させてしまうのがアクロマさん。
彼の誠意が誠意の形をしているうちはまだいいのですが、彼はこっそりと邪道なことを結構な頻度でやらかします。結構、物騒です。
「カノンの翻訳」と「木犀」をお読みになった方はピンとくる……かもしれませんね。
彼は科学的な人間です。けれども感情が豊かで人間らしくもあり、それが彼をややこしくしています。
無機物と有機物の間にピンと糸を張り、その上を綱渡りして楽しんでいるようなところのある男性です。(この表現どこで書いたっけ?)
有機物を極めても、無機物を極めても、彼は常軌を逸します。その中間に立つことができたとき、彼は正しく「誠実」で在れるのでしょう。
でも常軌を逸した彼を書くのはとても楽しい作業でしてね、それ故によくやらかしてしまうのですよフフフラダリ
最後にフフフラダリ繋がりで(?)フラダリさん。
彼のような立派な人間に、私は酷い仕打ちを沢山しています。その最たる例が、
「カロスに大勢の人物を救うためにこれまで動いてきたあまりにも立派な男性のところへ死にそうな少女一人を押し付けて、
『世界という漠然としたものやそこに生きる大勢を救うことよりも、たった一人を確実に引き上げることの方がずっと難しい』
という事実を彼に自覚させ、半ば強制的に自己を内省させる」
とかいう、もう……もう……書いていて悲しくなってきた……。
ごめんなさい。本当にごめんなさい、フラダリさん。貴方はもっと立派な人であるはずなのに。少女一人に縛られていい人間では決して、ないはずなのに。
……アクロマさんとフラダリさんは一般的に見て「非の打ちどころのないイケメン」ですよね? そうですよね? だってあんなに素敵なんですものね?