E:薪の呪詛が聞こえる

どうして、どうしてと私はしきりに繰り返していた。
その疑念は声にこそならなかったけれど、きっと私の顔はみっともなく歪んでいて、その表情は、その視線は、やはりどうしようもなく「どうして」と乞うてしまっているのだろう。
そんなこと、とてもよく解っていた。解っていながら、そんな表情をすべきではないと知っていながら、そうせずにはいられなかったのだ。

そんなことを言うんですか。どうしてそんな、訳の分からないことばかり口にするんですか。
見えないレシピの話なんかして、途方もなく大きな力を饒舌に語って、変えられないものを変えてみたくはないか、だなんて甘い誘惑を持ちかけて、
それで、私がそれに怖気づくや否や「もういいよ」と冷たい声音で切り捨てるなんて。

彼は慌てたように私の顔を覗き込み、「すまない、楽しくない話をしてしまったね」と謝罪の言葉を紡いだ。
彼のそうした誠意を受け止め、彼をすぐに許してあげられる程、私は大人ではなかった。
私はとりわけ頭がいい訳でも、波動の力を使うことに長けている訳でもない、たった14歳の無力な少女だった。
だから、彼のそうした誠意を蔑ろにして、拗ねたように深く俯くことしかできなかったのだ。

アイラ、本当にすまなかった。顔を上げてくれないか」

「……貴方は、もっと別の人と話をした方がいいと思います。私は馬鹿だから、貴方の難しい話を理解することができない。貴方の想いを汲み取ることができないんです。だから、」

「そんなことはない。君がいいんだ。君に、聞いてほしいんだ」

君がいい。
彼は私の機嫌を取るのがとても、とても上手だった。少なくともこの時に限っては、彼は私の気分を上向きにさせる最善手を心得ているようであった。
「君でいい」と言われたことは数えきれない程にあったけれど、「君がいい」などという言葉が私に向けられたことなど、私の記憶している限りでは一度もなかったからだ。
此処はそうした村だった。波動の力こそが全てであり、それを使いこなせない者はどんな栄光も受け取ることが叶わないのだ。
けれどそうした村の暮らしに疑念を持ったことはなかった。そうした生き方しか知らなかったから、疑いようがなかったのだ。
彼が「そうしたもの」と戦おうとしていたことに、私はまだ、気が付いていなかった。

「君にとって楽しくはない話かもしれない。でも、聞いてほしい。あの箱の中身を君にもしっかりと見てほしいんだ。君でなければいけないんだ」

「でも、私は貴方を怒らせました。私が、間違ったことを言ったから、」

「君の答えが不快だったから、話を切り上げようとした訳ではないんだよ。君は何も間違ってなんかいない。寧ろ正直な気持ちを話してくれて、私はとても嬉しかった」

彼は私達にとっての「当然」の外にいる。そうしたことに私は気付いてしまった。
彼はこの村の尺度とはまた違う、もう一つの、私などには推し量ることの叶わない何かを知っている。そして、その「何か」が彼にそんなことを言わせている。
「君でなければならない」などという言葉は、この村での生活にしっかりと馴染んでさえいれば、まず、出てくる筈のない言葉だ。
それは「特別な人」を修飾するための言葉であって、ありふれた、いや、人よりも波動の力において確かに劣っているような人間である私に向けられるようなものでは決してない。

「私が間違っていないのだとしたら、間違っているのは貴方だと、思います。こんな私でなければいけないことなんて、一つも、ない筈なのに」

「そうだね、間違っているのかもしれない。それでも君なんだ。間違っていたとしても、君がいいんだ」

……ああ、いつから「波動の勇者の生まれ変わり」は、こんなにも愚かになってしまったのだろう?こんな私に執心するなんて、在り得ない。絶対におかしい。
ならばきっと、おかしな彼のおかしな言葉に救われていた私もまた、おかしかったのだろう。
おかしな彼に選ばれたことを喜んでいる私もまた、間違っていたのだろう。

それでも私は、嬉しいと思ってしまった。「君でなければいけない」と言われたことを、喜びたいと望んでしまった。間違っていたとしても、それでもこの人の傍がよかったのだ。
一つ罪を犯せば、積み重ねることなどあまりにも容易くできてしまった。私は悪いことを、覚えすぎていた。
もう、躊躇えなかった。

5時5分前に目が覚めた。冷たい水で顔を洗って、いつもの服に袖を通した。
櫛で髪を整えていると、いつものように『アイラ』と私の名前が呼ばれる。私はそのことに安心し、そして、どうしようもなく嬉しくなる。
どんな叱責もどんな嘲笑も、私の心臓を揺らすことなど絶対にできない。
私の心臓に直接届く声を持っているのは、この村ではゲンさんを置いてほかにいない。
そしてこの小さな村こそが私の世界であったのだから、正しく彼は「唯一」であったのだろう。彼の代わりなど、いる筈がなかったのだろう。

彼は誰よりも優秀で、誰よりも偉大なのだから、替えが利かないことなど当然のことだ。けれど、少し違う。そういう意味ではない。
彼よりも偉大な波動使いが現れたとしても、きっと私にとっての唯一は変わらずこの人であるのだ。そういう意味で彼には替えが利かなかったのだ。
他の人のどんな声も、どんな言葉も、この人の『アイラ』には敵わないのだ。少なくとも私にとってはそうであった。他には何も要らなかった。

外で私を待ってくれている彼、その手元には、あの日の箱がある。この不思議な、奇跡のような時間の始まりを告げた箱の中身を、彼は見せると約束してくれた。
……あの日、その箱から零れ出たのは二冊の本と、モンスターボールの絵が描かれたビニール袋だった。
当然、すぐにそれらは彼の手によって取り上げられてしまったから、その可愛らしい袋に何が入っていたのか、本のタイトルが何であったのか、私は全く知らない。
何故、それを彼が必死になって隠そうとしていたのかも、分からない。

けれど、それらが今日、明らかになろうとしている。

「あの日の倉庫に行こうか。滅多なことでは人もやって来ないから、しっかり扉を閉めてさえいれば、きっと安全だよ」

……でも、あの日は扉が開いていた。その偶然を思い出しながら彼を見上げる。彼も同じことを考えていたのだろうか、私と視線を合わせて困ったように、照れたように微笑んだ。
いつも洗濯物を干している場所から、ほんの少し離れたところにその倉庫はあった。
稲刈りの季節を終えた畑は、風が吹いてもさわさわと草を揺らす音を立てない。草がないのだから、音も立つ筈がない。
冬の畑には音も、色もない。夏のあぜ道は黄色だけれど、冬の土は何故だか灰色をしているのだ。そのことが少しだけ、悲しかった。

倉庫の中にはあの日の倍以上の薪が積み上げられていた。
冬は薪の消費が多いにもかかわらず、雪で木が覆われてしまい、木材を確保することが難しい。そのため秋のうちに大量の薪を此処へ入れておくのだ。
切り倒された直後の木の匂いが私は好きだった。私よりもずっと背の高いスギの木は、村をどんな風に見下ろしていたのだろうと、そうした空想を働かせるのが好きだった。
木材の香りを肺の奥までいっぱいに吸い込めば、なんだか私までスギの木のようにぐんぐんと背が高くなった気分になるのだ。空さえ飛べそうな気がしてくるのだ。

けれど、かつては私よりもずっと高くその背を伸ばしていた木は今、私達の生活のために切り倒され、無残にもバラバラにされてしまっている。
だから炎というものは恐ろしい。炎は木の命がなければ燃えないから。あの赤はきっと、自らの命を殺ぐ炎への憎しみの色だから。
私が火を使うことが許されていないのも、きっとそうした理由なのだ。私は頑なにそう信じていた。疑う理由がなかったのだから当然のことだった。

彼のパートナーであるルカリオは、倉庫の外へと歩みを進めた。
何処へ行くのだろう、と私なんかは思ってしまったけれど、彼には自らのパートナーが取ろうとしている行動をしっかりと読んでいたようで、
「ありがとう」とルカリオに告げれば、ルカリオもまた、それだけで彼の意向を察したかのように大きく、力強く頷くのだ。

「誰も来ないとは思うけれど、外で見張っていてもらった方が安心できるだろう?」

しっかりと扉を閉めてさえいれば安全だ、と告げたその口で、今度はあまりにも入念な準備を示してみせる。
扉を閉めていれば「安全」であり、ルカリオに見守っていてもらえば「安心」である。扉を閉めること、ルカリオが外に出ていることにはそれぞれ、意味がある。
では私の意味は何だろう。私が彼の傍にいることには一体、何の意味があるのだろう。何故、この人は「君でなければいけない」などと口にしたのだろう。

「……」

今のルカリオの周りには、赤と青が濃い密度で漂っていた。緊張と不安、高揚と恐怖、そうした、悉く対極にありそうな何もかもをルカリオは抱えていた。
彼もルカリオの緊張を読み取ることができたのだろう、ルカリオが外に出てしっかりと扉を閉めるのを、神妙な面持ちで見送ってから、細く長く息を吐いて私に向き直った。

「誰にも言いません。秘密にします。守ります」

誰に強いられるでもなくそうした宣誓の文句を紡げば、けれど彼は緊張の糸が切れたかのように小さく笑い始めた。

「解っているよ。君を疑ったりしない。君は約束をきちんと守る子だと、誠実で真面目な子だと、解っているからね」

大きすぎる信頼だと思った。子供の、それも私の「誓い」など、大人には悉く一笑に付されてしまうような、そうした、些末なものにしかならない筈であった。
けれどそんな私の誓いが限りなく尊重されていることが解ったから、……いや、私が誓いの言葉など口にせずとも、彼は私を信じてくれているのだと理解してしまったから、
私はどうにも嬉しくなって、幸せだと思い上がってしまって、ただただ静かに頷いて、彼の手元に視線を落とすほかになかったのだ。

彼は箱を開けて、二冊の本を薪の上に置いてから、ビニール袋の中身を箱の中へ勢いよく流し出した。


2017.3.1

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