わたしはお父様の電話を借りて、レストランへ予約を入れました。その1週間後にお母様のケーシィをお借りして、レストランの近くへとテレポートしました。
お父様の電話、お母様のケーシィ、お母様が下さるお金、そうしたものがなければわたしは彼に会うことができませんでした。
ですからわたしは、お父様にもお母様にもとても感謝していました。
けれど今日ばかりは、お母様のお金をゴミ箱へ捨ててしまいたくなったのでした。
あのレストランで手を真っ赤に汚した彼の姿が、どうにも目蓋の裏に焼き付いて離れてくれないのです。
彼はきっと、身体から汚い赤を出すわたしを嫌っているに違いありません。わたしとは醜い生き物なのです。赤を掻き出すことも叶わない、汚れた人間なのです。
女性であるとはきっとそういうことなのだと、わたしはかたく信じていました。
故にもしかしたらこれが、彼に会える最後の日になるのかもしれないと、そうした覚悟までしていたのでした。
けれどもレストランでわたしを出迎えてくれた彼は、いつものようにわたしを個室へと通して、前菜のカラフルなサラダを運んできて、一通り説明を終えたあとで、
「貴方にまた会えてよかった」
そうした、とても安心したような、救われたような、幼い子供のような覚束ない音でそう紡ぐものですから、わたしはどうにも落ち着かなくなって、泣いてしまったのでした。
彼はひどく狼狽えました。またわたしの体調が悪くなったのではと思ったのかもしれません。故にわたしは首を振りながら、縋るように言葉を吐き出しました。
もう会ってくださらないかと思ったの、とか、あなたはわたしを嫌いになっていない?とか、
こんな汚い赤の入ったわたしなんて美しくないでしょう、とか、あなたの手を汚してしまったわたしなんか、もうきっと此処に来てはいけなかったのに、とか、
そうしたことを嗚咽交じりに吐き出し続けました。彼の白い衣服にわたしの涙が染みを作りました。
わたしはそのことにひどく安堵しました。わたしの中から出てくるそれには色がなかったからです。涙は、赤色をしてはいなかったからです。
「初めてのことに狼狽するのは当然のことですよ。私に助けを求めてくださり、ありがとうございます。
私にそうした知識がなかったものですから、彼女のように適切な対処もできず、そのことが貴方を余計に不安にさせてしまっていたのかもしれませんね」
彼はそう言ってくださいましたが、決して彼のせいではなかったのです。
わたしが何も知らなかったから、わたしが煩く喚き立ててしまったから、わたしが汚い手であなたに触ってしまったから、わたしが、女性だったから。
わたしは美しくありません。芸術を愛する彼にはきっと相応しくないのです。
彼に相応しくないわたしに、月に2度、彼に会う資格などないのです。彼に会えないのなら、もう生きていたって仕方がないのです。
そうしたことを本気で考えていたのでした。彼との時間を重ねすぎたわたしはもう、ピアノと両親だけの生活に戻ることなどできなくなっていたのでした。
けれども美しい彼は、その青い目を優しく細めて、わたしが彼に会うことを、とても優しい言葉で許してくださったのでした。
「貴方が美しくなかったことなど、ただの一度もありませんでしたよ」
そういう訳で、それからもわたしは毎月、お母様から一万円札を貰い、そのお金であのレストランへ通い続けました。
いつも厨房に入って忙しなく調理をしているらしい彼は、けれどわたしが来たときだけは、調理も給仕も解説も、お会計まで全てしてくださったのでした。
彼は、わたしがこのレストランにいる間、ずっとわたしと一緒にいてくださったのでした。
わたしはいつしか、胡椒の香りがするパスタも、少し辛いスープも、食べられるようになっていました。わたしの味覚は子供のそれから少しずつ遠ざかり始めていたのでした。
そのことに気が付いた彼は、両親が食べていたものと同じような料理をわたしにも出してくださるようになりました。
きのこのアヒージョ、野菜のたっぷり詰まったキッシュ、チーズの風味が強く残るカルボナーラ、少し苦めのティラミス、そうしたものをわたしは味わっていました。
そのようなものが5千円で食べられる筈がなかったことに、けれど当時のわたしは全く気が付いていませんでした。
彼はわたしにずっと嘘を吐いていたのです。そしてわたしはその嘘に、何年もの間、気が付かないままだったのです。
わたしは、毎月のようにお母様から貰っていた「一万円札」が、世間一般的に見て多いのか少ないのか、5千円のお食事が高いのか安いのか、全く分かりませんでした。
そうしたことを誰も教えてくれませんでしたし、わたしも知ろうとしませんでした。わたしには学がありませんでした。学ばずとも生きていかれたから、学ばなかったのでした。
ノートと機械を交互に見比べる、お父様やお母様のお仕事は、とても退屈な、うんざりするようなもののようにわたしには思われました。
そのお仕事によって二人はお給金を頂き、そのうちの一万円をわたしに下さっていたのだと、わたしはそうしたことにさえ思い至りませんでした。
どうしてお父様とお母様は、あのような退屈なことを毎日なさっているのかしらと、わたしは本当に、本当にそう思っていたのでした。
わたしが16歳になった頃、フラダリラボはもう一つ、新しい名前を名乗るようになりました。「フレア団」という、名前でした。
組織の名前が増えることに、それほど大きな意味があるようには思えませんでしたが、お父様もお母様も、自らが「フレア団の幹部」を名乗れることをとても喜んでいました。
けれどわたしは少しだけ、フレア団というものに空恐ろしさを覚えていました。
何故なら彼等の理念が「世界を良くする」ではなく「世界を壊して新しく作り直す」という、なんとも不穏な、恐ろしいものへと変わってしまっていたからです。
どうしてそのような転換をするに至ったのか、わたしには全く分かりませんでした。
知らないということはわたしに平穏をもたらしましたが、分からないということはわたしにとって恐怖以外の何物でもありませんでした。
白と赤のお洋服を着て、髪を赤く染めて、赤いサングラスをかけた両親のことは、決して嫌いではありませんでした。
けれどそれ以上にわたしは、彼等の身に纏い過ぎた「赤」が恐ろしくて、お父様ともお母様とも、上手くお話をすることができずにいたのでした。
わたしは赤いサングラスをかけず、赤のラインの入っていない白いワンピースを着ていました。フレア団らしからぬ格好が故に、わたしは悪目立ちしていました。
そんなわたしに「友達」などいる筈もなく、わたしはそれからもずっと、ピアノを弾き、お母様が下さるお金で月に2回、彼に会いに行く、というだけの生活を過ごしていました。
それだけで十分に満たされていました。それでいいと思っていました。
彼の料理を食べ続けて、もう7年が経とうとしていました。
料理の腕が上達するにつれて、わたしに作ってくださる料理もどんどん立派なものになっていきました。
おそらく手土産のドレッシングとチョコレートを付け足せば、一万円では到底足りないようなものを食べさせてもらっていたのだと思います。
けれども彼はわたしに嘘を吐き続けていました。彼がお金を出してくださっていたことを、わたしは本当に、本当に知らなかったのでした。
前菜に出されるビーンズローフだけは、10歳の頃から変わらず、そのままでした。
わたしはそれが嬉しくて、つい調子に乗ってしまって、どんなに美味しい料理が運ばれてきても、「やっぱりこれが一番美味しいわ」などと意地悪を言ってしまうのでした。
月に2回の頻度で彼に会うことができましたから、わたしは彼とお話をすることが増えました。
わたしは「お喋り」になることを覚え始めていて、彼との会話はどうにも、ピアノよりもここでの料理よりも楽しいもののように感じられていたのでした。
そういう訳で、10歳の頃よりも少しだけ饒舌になったわたしは、彼のことを少しずつですが、知ることができるようになりました。
彼は料理を作っている傍ら、ポケモンリーグという場所で「四天王」というお仕事をもしているようでした。
とても忙しく生きているような人で、わたしは彼の話を聞く度に、なんだかとても彼がいたわしくて、眩暈がするのでした。
けれども当の本人である彼がとても満たされたように笑っているから、彼にとってはその「いたわしい」ことが至上の幸福なのだと、そう、理解することができました。
彼は「芸術」というものをこよなく愛していて、ポケモンバトルも、お料理も、等しく彼にとっては芸術であるようでした。
わたしの世界が彼とピアノと両親とで回っていたように、彼の世界も芸術だけで回っているようでした。
芸術という高尚なものの中でしか呼吸を許されていないようにも思われました。
わたしのことを彼は「美しい」と言ってくださったから、そういう訳でわたしはなんとか、彼の芸術たる世界の中に入ることができていたのでした。
彼の作る料理はとても美しかったので、おそらく彼がするポケモンバトルというものも、きっと美しいものなのでしょう。
「あなたが戦っているところを見てみたいわ」
そう告げると、彼はとても嬉しそうに笑って、いつかきっと見せて差し上げますと約束してくださいました。
彼がわたしに自分のことを話してくれたように、わたしも彼にわたしのことを話していました。
両親はフラダリラボというところで働いていること、お世話をしてくれる女性と料理を作ってくれる男性がいること、ピアノが好きであること、赤いサングラスが苦手であること。
彼はピアノの話にとても興味を示してくれました。ピアノという「音楽」もまた、彼にとって芸術であるようでした。
お父様がわたしに下さった古い楽譜の本はもうすっかり弾き終えてしまって、今では適当に旋律を作って楽しんでいるのだと、そうした話に笑顔で相槌を打ってくださったのです。
「貴方がピアノを弾いているところを見てみたいですね」
そうした折に彼がふと、わたしが彼に願ったことと同じように告げるものですから、
わたしもすっかり嬉しくなって、笑いながら、いつかきっと、と約束して久しぶりの指切りをしたのでした。
彼はおそらくこの頃から察していたのでしょう。わたしが暮らしている地下の異常性に、フレア団という組織が孕む危険性に。
わたしがどれだけ閉鎖的な生活をしているかということに、わたしがどれだけ無知で、愚鈍で、怠惰な人間であるかということに。
……けれど彼は何も言いませんでした。わたしの異常性とフラダリラボの危険性、わたしの美しくない本質を知っても、彼はわたしに対する態度を変えませんでした。
それが彼の静かな「愛」であったことさえも、わたしは気付きませんでした。
彼とピアノと両親と。そうした狭すぎる世界で生きてきたわたしに、愛などというものが分かる筈もありませんでした。
ただ、彼のことが好きで、彼もわたしを好きになってくれているということだけは理解できて、わたしはただそれだけで嬉しくて、舞い上がっていたのでした。
2017.4.8
(17:27)