「セラちゃん、ヒビキやコトネと仲良くしてくれているのね。ありがとう!」
8月2日、あなたが道中で出会ったコトネやシルバーと一緒に公園を訪れると、あなたを待っていたらしいクリスが駆け寄ってきて、そう話しかけてくれました。
ヒビキと一緒に、植物についての自由研究をする旨を報告すると、彼女はクスクスと笑いながら、麦わら帽子の上からあなたの頭を撫でてくれました。
「セラちゃんは植物のことが元々、好きだったの?」
「ううん、全然。お花は綺麗だって思うし、果物も好きだけれど、特に興味を持ったことはなかったよ」
「ふふ、そうだよね。一緒に町を歩いたときも、セラちゃんは特に草木に興味を持っている風じゃなかったもの。……どうしてそれをテーマにしようと思ったのかしら?」
ニコニコと微笑むクリスがあなたを試していることに、あなたは全く思い至ることができませんでした。
ただ単に、私が植物をテーマにしたことが不思議なのだろうと、そういう素朴かつ単純な疑問だったのだろうと、あなたは本気でそう思っていました。
故にあなたは勘繰ることをしないまま、あなたの思ったことを口にしました。
「昨日、ヒビキに植物の面白さを教えてもらって、不思議に思っていなかったことの中にも不思議なことが隠れているんだって分かったの。
今はまだ、野菜や果物やお花に特別な思い入れはないけれど、この夏休みの間で、植物のこと、もしかしたら大好きになるかもしれないでしょう?」
クリスは先程と微塵も変わらない笑顔のままに「うん、そうだね、とっても素敵!」と、あなたの選択とあなたの考えを褒めてくれました。
その後で彼女が、安心したように小さく息を吐いたのを見てようやく、あなたはクリスが、先程の質問であなたの何かを見定めようとしていたのだということに、気が付きました。
けれども気が付いたときにはもう、あなたはクリスの言葉に警戒する必要がなくなっていました。クリスはあなたへの懐疑を、もうすっかり解いてしまっていたからです。
「きっと、とても楽しい夏になるわ。だってセラちゃんが一緒に過ごすのは、私の自慢の家族たちなんだもの!」
その「自慢の家族」の中に、クリスは「クリス」を入れることをすっかり諦めてしまったような調子で告げつつ、
あなたに手をひらひらと振ってから、くるりと踵を返し、メガニウムのところへと駆けていきました。
朝食の席で、あなたはお姉ちゃんに、今日の昼食はヒビキの家で食べてくるという旨を伝えました。
彼女は快く了承の意を示し、「6時にはちゃんと戻ってくるのよ」と告げて、あなたを送り出してくれました。
もうあなたは、ヒビキの家に至るまでの道をすっかり覚えてしまいました。
一軒家ばかりが立ち並ぶ低い町も、遮るものの何もない高い空も、舗装されていないあぜ道も、そこを飛んだり跳ねたり駆けたりするポケモンの姿も、
数日前にあなたを驚かせたもの全てが、もうあなたにとっては「当然の」こととなってしまっていました。
あなたの数歩前を駆けていくイーブイとの生活にも、あなたは昨日のうちにかなり慣れてしまっていたのです。
川渡りをこの上なく器用にこなすイーブイを追いかけつつ、あなたは木漏れ日の煌めく小道をゆっくりと歩きました。
歩きながら、あなたはヒビキの第一声を思い出していました。
『木漏れ日を見るのは初めて?』
あなたの住んでいた街にだって、木漏れ日くらいはありました。小学校の隅に生えている木の下に立てば、そこに降り注ぐ煌めきをいつでも見ることができました。
けれども、何故でしょう。この小道で見る木漏れ日は、あなたの通っていた小学校の、たった一本の木が作る木漏れ日とは、何かが決定的に違っているような気がしました。
木漏れ日を見るのは、初めてではありません。けれどもこんなにも心地良く美しい木漏れ日を見るのは、確かに初めてでした。
*
昨日、食べるのを忘れていた小さなスイートポテトを、あなたは3つ、コトネとシルバーは5つ、ヒビキは2つ食べて、
コトネはシルバーの算数ドリルが完成するのを待ってから、彼とポケモンを連れて海へと出掛けていきました。
「セラも一緒に泳ぐ?」と尋ねてくれたのですが、残念なことにあなたはまだ水着もサンダルも持っていなかったので、ごめんねと断りを入れてから二人を見送りました。
家に残ったあなたは、ヒビキの日課であるという「水遣り」に同行することになりました。
毎日のように家にやってくる水色のポケモンを、彼は「マリル」と呼んで一緒に外を歩いていました。
そのマリルは野生で、ヒビキの「パートナーポケモン」という訳ではないようでしたが、彼とマリルはとても仲がいいように思われました。
イーブイはマリルにも物怖じせず近寄ったのですが、マリルはその小さな口から冷たい水を吹き出して、イーブイに勢いよくかけてしまいました。
にわかに機嫌を悪くしたらしいイーブイは、マリルに勢いよく突進していきました。突き飛ばされたマリルは、更にその丸い尻尾でイーブイの耳をぱちんと叩きました。
このまま放っておくと大喧嘩になりそうだと思ったあなたは、慌てて二匹の間に分け入ったのですが、
ヒビキはニコニコと笑いながら、二匹の様子をじっと見ているだけでしたので、あなたは「ヒビキも止めてよ」と彼に文句を言いました。
「大丈夫だよ、セラ。ポケモンってそういうものなんだ。ポケモンはこうやって「バトル」をすることで、強くなったり相手と絆を深めたりするんだよ」
信じられないような内容でしたが、あなたよりもずっと長く、ポケモンのことを見てきたヒビキがそう言うのですから、きっと彼の言葉は間違ってなどいないのでしょう。
それでもやはり、あなたはあなたの「常識」の枠を大きく超えた現象を、すぐには受け入れることができそうにありませんでした。
故に「……そうなの?」と訝しそうに確認を取ってしまったとして、それも仕方のないことだったのでしょう。
「イーブイもマリルも、互いのことが嫌いだから攻撃した訳じゃないの?」
「勿論違うよ、仲良くなるためにバトルをするんだ。人でも「喧嘩する程仲がいい」って言うじゃないか」
その慣用句は「仲良くなるために喧嘩をする」という意味で使われている訳では決してない筈だったのですが、そのようなこと、ヒビキにだって分かっているのでしょう。
突然、喧嘩めいたことを始めた二匹を案じているあなたを、安心させるための言葉なのだと、解っていたからあなたはそれ以上を追求することなく、二匹からそっと後ずさりました。
二匹は暫くの間、体当たりをしたり水をぶつけたり尻尾で叩いたりと、「じゃれ合い」にしては過激すぎることをしていたのですが、
やがて互いの気が済んだらしく、二匹は攻撃の手を同時に止めてから、まるでずっと前から仲良しの友達であったかのように、ぴったりと隣に並んで歩き出したのでした。
ポケモンにはポケモンの「常識」があり、その「常識」は、人であるあなたには時々、理解することの難しいところにある。
そうしたことを、あなたは知り始めていました。
人の言葉を解し、人の傍で寝食を共にする彼等にも、まだあなたの知らない「不思議」が沢山、隠れているのかもしれません。
「ねえ、君はコトネやシルバーと一緒に海に行かなくてよかったの?」
変わった形のジョウロを持ったヒビキが、それを僅かに傾けながらそう尋ねました。
やわらかい曲線を描いて、小さく局所的な雨が小さな花壇へと降り注ぎました。
可愛らしい5枚の花弁を持つその植物は「日々草」というのだと、あなたは先程、ヒビキに教えてもらったばかりでした。
「だって私、水着もサンダルも持っていないんだもの」と、あなたは何よりもまず、海に泳ぎに「行けない」理由を告げてから、花から顔を上げてヒビキを見ました。
彼は少しばかり顔を曇らせて、その大きな瞳であなたの方をじっと見ていました。
「それに海辺にはあまり植物がないでしょう?日々草も咲いていないでしょう?今は花が綺麗だから、……ヒビキが嫌じゃなければ、此処に居たい」
「……そうなんだ」
「それに、私は海で泳いだこともないけれど、こんなに綺麗な木漏れ日を見たこともなかったから、海だってこの場所だって、同じくらい特別なんだよ。
木漏れ日自体は私の住んでいた街にもあったの。でもどうしてだろうね、此処に降る木漏れ日は、今まで見たどんな光よりも眩しくて、宝石みたいに見える」
あなたはそう告げて、今もあなたとヒビキとポケモン達に降り注いでいる、エメラルドの煌めきを宿した木漏れ日を仰ぎました。
さわさわと葉が擦れる音も、遠くで鳴く鳥ポケモンの声も、真夏である筈なのに心地よい風が通り抜けている涼しい場所も、あなたは好きになり始めていました。
勿論、海だって好きでしたが、お姉ちゃんに水着をせがんでまで泳ぎたいとは、今はまだ思えなかったのでした。
「でも、1回だけでもいいから海も楽しんでくるといいよ。コトネはきっと、君と海で遊ぶことを楽しみにしているから」
「うん、そうだね。水着を貰えたらそうしてみる。その時はお土産を持ってくるよ!」
あの美しい海には、きっととても綺麗な貝殻が沢山あることでしょう。それらを集めて、ヒビキに見せればきっと喜んでくれる筈だとあなたは思いました。
けれどもあなたのそうした期待に反して、ヒビキは不安そうに眉を下げつつ、
「君の、海で遊んだ話を聞かせてくれることが、僕にとっては何よりも嬉しいお土産だよ」
と、まるであなたよりもずっと年上の大人が口にするような、綺麗な言葉を奏でて、困ったように笑うのでした。
2017.9.7