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「皆さん、大変失礼いたしました。今回のパーティの主役は、図書室で本を読み耽っていたようです」

アギルダーを連れたダークさんが、陽気にそんな説明をする。私はあまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にする他なかった。
弁明の余地など、まるでない。ドレスを着て図書室に籠り、本を読んでいたのは事実なのだから。しかも、私はあろうことか、その本を持ってきてしまっている。
私が両手で抱くようにして持っているその本に、彼は呆れたような顔をしてみせたけれど、どうしてもあの図書室に置いていくことができなかった。
今日の夜、この本をゆっくりと読み返すつもりだった。彼女が残してくれた物語を、私達の記憶が綴られたその本を、丁寧に読んでいくその時を楽しみにしていたのだ。

「お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」

私の謝罪を、皆は笑って受け入れてくれた。その中には私の両親や、シェリーの姿もあって、私も釣られたように微笑んでしまう。
そうして始まった、立食形式のパーティ。私は大勢の人混みの中から、私の名前を呼んでくれる知り合いを見つけては駆け寄り、挨拶をした。
城の皆が作ってくれる料理はとても美味しいことは解っていたけれど、私は皆に挨拶をして回ることで忙しく、ゆっくり食事をする余裕などなかった。

けれど、それは私の隣を歩いている彼も同じだったようで、小さく溜め息を吐いた後で「疲れたか?」と尋ねてくれた。
私が笑顔で首を振れば、彼は呆れたように微笑んで私の手をそっと引いた。
正直なところ、連日を走り回るようにして過ごしていたため、疲れていない筈がなかったのだけれど、彼のそんな気遣いの言葉で、疲労は何処かへ吹き飛んでしまったのだ。
けれど私はまた別の理由で、彼を引き止めてしまうことになる。「どうした?」と振り返ってくれた彼を見上げ、私は息を飲んだ。

「髪を切ったの?」

「……なんだ、今頃気付いたのか?」

彼は肩に掛からない程度の長さに、髪を切っていたのだ。癖のあるウエーブが小さく靡いていて、私は思わず、「彼女」が見せてくれた夢の中の王子と彼とを重ねる。
私がアクロマさんから譲り受けた、何度も読み返したお気に入りの本。そう言えば、あの本にも著者が書かれていなかった。
もしかしたら、あの本も「彼女」の著書なのではないか。私は彼女の名前を聞かずに別れてしまったから、あの著者の欄が空白だったのではないか。
だって、あの夢の中に出てきた王子と、今、目の前で呆れたように微笑んでいる彼が、あまりにもよく似ているのだ。
けれど、それを確かめる術は私にはなかった。だから私は、信じてみることにした。

私は「彼女」の物語に呼ばれていたのだと。私が焦がれ続けた本の中の素敵な世界は、ずっと私の中にあったのだと。

「とても似合っているわ」

「……当然だ」

相変わらずの尊大な物言いに私は笑った。
その彼らしさに、何故か涙が出そうな程に安心したのだ。

それから、私達は1階のホールでダンスをした。
あの時と同じ、4拍子の緩やかな曲に合わせて、私は彼の手を取り、輝く大理石の上を静かに跳ねた。

ダンスが好きなヘレナさんは、お洒落なドレスを身に纏って、ダークさんと踊っている。
その隣では、お気に入りのピンクのドレスを着たシェリーと、黒と赤を基調としたスーツを身に纏ったフラダリさんが、大理石を滑るように美しく足を運んでいた。
バーベナさんは、不機嫌そうな顔をしたダークさんの手を引き、ホールの隅で曲に合わせて緩やかなステップを刻んでいる。
Nさんはグランドピアノで見事な演奏をしていたけれど、途中でトウコさんを呼び、ピアノの連弾を始めた。

その度に湧き起こる拍手の中で、私は彼と踊っていた。途中で彼の靴紐が切れたけれど、直ぐにダークさんがアブソルと共に飛んできて、紐を交換してくれた。
するとすかさず私の手がアクロマさんに引かれ、彼が靴紐を交換している数分間だけ、私は彼ともダンスを楽しんだ。
白いダンスローブをお洒落に着こなした彼は、時折、ゲーチスさんの方を見て得意気に笑っていたけれど、彼の靴紐の交換が終わるや否や、ぱっと私の手を離して背中を押した。
「さあ、行っておいで」彼の言葉に頷き、私は彼の元へと駆ける。
彼は少しだけ不機嫌そうに私を見下ろし、何を思ったのか、そのまま私の手を取って2階へと駆け上がったのだ。

「どうしたの?」と尋ねる私に、しかし彼は直ぐに返事をしてはくれなかった。
私の部屋の前でようやく立ち止まった彼は、ダンスローブの内ポケットから小さな鍵を取り出して得意気に微笑む。

「お前の部屋のバルコニーに続く窓の鍵だ。ダークに借りてきた」

「え、どうして?」

「お前は、このバルコニーからの景色をいたく気に入っているようだったからな。一度、見ておこうと思ったんだ」

何も、今じゃなくてもよかったのではないかしら。
そんな風にも思ったけれど、彼があまりにも楽しそうな笑顔をしていたから、それに水を差すようなことは言いたくなかった。
私は肩を竦めて微笑み、部屋を開けてバルコニーに続く窓へと駆け寄った。
彼は窓の下に付いていた小さな鍵穴に、持ってきていた鍵を差し込んだ。
カチャリ、という音がして、窓がそっと開く。涼しい風が部屋の中に入ってきて、その強烈な既視感に息を飲んだ。

「!」

私の足は吸い寄せられるようにそのバルコニーへと伸びた。冷たい手すりを両手で掴み、身を乗り出すようにして空を見上げる。
無数の星が、眩しい月が、暗闇に浮かんでいた。あまりにも美しい光景に、しかし私は歓声を上げることができなかった。
心臓が大きく高鳴っていた。私の隣に立った彼が、どんな言葉を紡ぐのか、私はもう、解っていたのだ。

「お前、魔法を使えるんだろう?」

弾かれたように隣を見た。その言葉を私は知っていた。それは以前、私が此処で「彼」に言われたのと同じ言葉だったのだ。私は彼の赤い隻眼から目が離せなかった。
火に映えたような赤、椿の雨が降ったような赤、目を刺すような紅、燃える夕日のような赤。
その姿が、私の記憶の中の「彼」と重なる。緑の髪に赤い目をした「彼」が、私の記憶を飛び越えて此処へやって来る。
……いや、違う。

彼が、私と彼のこの時間が、時を超えてあの夜にやって来ていたのだ。
あの夜にこのバルコニーで見た姿は、二度、私の前に現れたあの青年は、他でもない彼だったのだ。
彼は、何も変わらずに、ずっと此処にいたのだ。

『いいえ、使えないわ。きっと人違いよ。貴方の探している魔法使いは、私じゃないの。』
あの時の私は、彼の質問にそう返していた。私に魔法など使える筈がないのだと、私はそんな美しい、素敵な物語の外にいるのだと信じていた。
けれど、今は違う。今の私なら、違う答えを紡ぐことができる。

「ええ、私は魔法が使えるの」

「!」

「だって私、こうして、貴方と一緒に空を見上げたことがあるのよ。覚えている?」

彼はそんな私の言葉に、くつくつと喉を鳴らすようにして笑った。
その特徴的なテノールの笑い声は心地良く、私の鼓膜を温かく揺らした。彼は穏やかな表情で目を伏せ、肩を竦めた。
ほら、その仕草も、その笑い方も、あの時の彼と同じだ。目を伏せるタイミングも、笑い声のトーンも、全て、あの時のままでそこにあった。

私は空を見上げた。あの夜と同じ、鮮やかな星空がそこにあった。じっと見つめていると、空すら飛べそうな気になってくるのだ。

「そんなに星を見ていて、飽きないか?」

彼そんな私を覗き込むように見据えたまま、同じ言葉を紡いで微笑む。
だから私も顔に視線を移して、今度こそ、あの時と同じ言葉を紡いだ。
彼はあの日のことを知っているのだろうか。それとも、彼の記憶にはないのだろうか。
けれどきっと、それはどうでもいいことだったのだ。だって、彼が此処にいるのだから。私が焦がれた彼が、私が願った彼の姿が此処に在るのだから。
私達は、此処にいるのだから。

「だって、とても綺麗でしょう?それにずっと空を見ていると、私が地面にいることを忘れてしまうの。空を飛んでいるような気分になるのよ」

彼はそんな私の言葉に、再びくつくつと喉を鳴らすように笑った。
彼は私の手をそっと握った。私もゆっくりと握り返した。彼の手はとても冷たかった。けれど確かな人の温度がそこにあって、私は微笑まざるを得なかったのだ。

「随分と大仰な言葉を使うんだな。空を飛んでいる、だなんて、僕たちのような人間には勿体ない言葉だ」

「そんなことないわ。だってこんなにも綺麗なのよ。少しくらい大きな言葉を使ったって許されるんじゃないかしら」

おどけたようにそう言ってみせれば、彼は呆気に取られた顔で私を見つめた。
やがて、その華奢な肩を震わせ、声を上げて笑い始める。そんな彼に釣られるようにして私も笑った。
星はそんな私達を包むように瞬いていて、一瞬が永遠に感じられた。

遠くでパラパラと、ページを捲る音が聞こえた気がした。それはきっと、新しい物語が始まる合図だ。


2015.5.22

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